9.共有(上)
壱の鐘が鳴って日の出を知らせたのち、弐の鐘が鳴って住民たちは仕事を始める。
その弐の鐘が鳴ってすぐ、王黎は同室のユルゲンに操言支部会館へ行ってくると一言告げて、宿を後にした。そして渋い顔をする操言支部会館の受付の女性操言士を無視して操言支部会館の三階へ上がり、支部長室の扉をノックもせずに開け放った。
「おはようございまーす。操言士団守護部所属の王黎でーす」
努めて明るくにこにこと朝の挨拶をしてみせたが、中にいた二人はまったくと言っていいほど笑いもせず、挨拶を返すこともせず、眉間に皺を寄せてたいそう鋭い目付きで王黎を睨みつけた。
「帰れ! お前の相手をしている暇はない!」
今日も今日とて、支部長のゴンタス・ビロカミールは顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。こめかみには血管が浮かび、明らかに血圧が上昇している。
しかし王黎は、そんな怒声も右から左へ軽く受け流し、ずかずかと大股で支部長のデスクに近寄った。
「まあ、そうでしょうね。街の南側エリアはしっちゃかめっちゃか。破壊された民家、焼けた畑、凹凸のできた道に、ガレキの混じってしまった井戸。何より、多くのけが人とわずかな死者。ラフーア始まって以来の大混乱ですかね」
「笑うな! 不謹慎だぞ!」
「すみませんね。僕、怒るとつい目が細くなって笑ったように見えちゃうんですよ」
王黎はずいっとゴンタスに顔を近付けると、その細目を見開いた。獲物を狙う蛇のように瞳孔が縦長に開き、ゴンタスにプレッシャーを与える。
「操言士ローベルについて教えてください」
「っ……!」
王黎の口から出たその名は、ゴンタスの赤い顔を一気に青くさせた。ゴンタスの隣に立つネーチャヴィンは無反応を気取るが、ずれてもいない眼鏡の位置をしきりに直し始めたあたり、動揺しているのは確実だった。
「僕、言いましたよね? 何かあったら教えてください、と」
「お、お前に教える義務なんぞないっ!」
「そうですか。じゃあ僕も、昨夜見たことについてあなた方に教える義務はない、ということで構いませんね?」
「なっ……! 何を見た!」
ゴンタスは苛立って机をたたいた。
「僕は王都の操言士ですから、王都の操言士団本部に報告しますよ。重要なことなら、あとで王都からあなた方に情報が入るんじゃないですか。まあ、入らない可能性もありますけど」
「いま教えろ! 儂はラフーア操言支部の支部長だぞ! この街に関することすべてを知っておくべき義務が、儂にはあるんだ!」
「怪魔との戦闘に赴く義務はないのに?」
「っ……お前、そんなことを根に持っているのか!」
昨夜、怪魔が現れた街の南部へゴンタスは向かわなかった。人々の平和な生活を守り支える操言士でありながら、襲われる人々の傍に駆け寄ることさえしなかった。
そのことを王黎が怒り非難していると考えて、ゴンタスは唇を噛んだ。
「王黎くん、すべての操言士が怪魔と戦えるわけではありません。怪魔退治は操言士の役目のひとつではありますが、それができない、しないからといって、必ずしも操言士としての働きを放棄していることにはなりません。街を守るためにラフーア操言支部が組織として機能するには、支部長という存在が必要です。いたずらに失ってはならない」
ネーチャヴィンが冷静な口調で諭すように語るが、王黎には詭弁にしか聞こえなかった。
「そもそも、組織として機能していると胸を張って言えますか? 操言士が一名、行方不明になっているのに解決できていないじゃないですか」
「なっ、なっ……なぜお前がそれを知っている!」
馬鹿正直な反応を返したゴンタスに、王黎は深いため息をついた。
こんなにわかりやすくては、駆け引きもはったりもありゃしない。お互い正直になって持っている情報を交換し、早く真実を明らかにした方が賢明だ。
「ゴンタス支部長は昨夜の疲れが抜けていないようです。ネーチャヴィンさん」
王黎は支部長デスクから一歩離れると、ゴンタスではなくネーチャヴィンの方へ身体と視線を向けた。
「あなたの方がまだ冷静なようですから、あなたに向けてお話しします」
「ふざけるな! 儂が支部長だぞ! 儂に話せ!」
ゴンタスは机から身を乗り出して、唾を飛ばす。
王黎はそんなゴンタスに見向きもせず、眼鏡の位置をくいっと直したネーチャヴィンにゆっくりと語った。
「昨夜、街の南側に怪魔が発生してからしばらくして、北部にも怪魔が現れました。ラフーア音楽堂のちょうど目の前です。ドサバト、クフヴェ、キヴィネが合わせて五匹です」
「多いですね」
「僕と連れの騎士二人と傭兵一人、それと街にいた傭兵二人でこれを殲滅しました。そしてその直後、音楽堂の上に男性二名の姿を見つけ、セカンディアの者かと問うたら違うと返されました」
「ほかには?」
「いくつか質問しましたが、前述以外の返答はせず。ただ、片方の男がもう一方の男にローベル、と呼びかけていました。水の村レイトの件でもお話ししましたが、祈聖石の置き場所と擬態を知り、その効力を意図的に喪失させることができる人物、それは操言士です」
「犯人は操言士ローベル……そう言いたいのですね」
認めたくない。その可能性すら考えたくない。気持ちのうえではそうだが、ゴンタスと違って感情をひとまず置いておくことのできるネーチャヴィンは、王黎の言わんとしていることを渋々言葉にした。
王黎の語る事実と推測に、ゴンタスとネーチャヴィンはしばし黙る。
そうあってほしくない。そうあってはならない事態だ。もしそれが事実なら、絶対に許されることではない。操言士がその力を使って国と人を傷つけることは、都市部への裏切り、国への裏切り、何より国民への裏切りだ。光の神様カオディリヒスから授かった力を正しく使い、人々のために生きなければならない操言士として、絶対にしてはならないことだ。
「昨日街中でモーリスという青年から、『王都にいる兄のローベルを知らないか』と無邪気に尋ねられました。モーリスは三ヶ月前、兄のローベルから王都で働くことになったと聞いたそうですが、それはローベルの嘘ですね? ローベルは三ヶ月前に行方をくらました。本当に王都へ異動したのなら、ラフーアの操言士名簿から名前が消えているはずですが、彼の名前はまだ名簿にある。公にできない内密の任務に就いた可能性も考えましたが、昨夜の件でその可能性はほぼ消えました。ローベルは操言士団を……いえ、オリジーアを裏切り、どこかの誰かと結託して怪魔を都市部に呼び寄せている。時期と手口からして、おそらく水の村レイトの件も、ローベルの仕業ではないでしょうか」
「言うな……それ以上、言うな……っ」
ゴンタスは机の上に肘を置いて両腕を組み、その手の上にひたいを押し付けた。怒声はどこかへ鳴りを潜め、覇気のない声からは悔しさが滲み出ている。
「操言士ローベルについて、教えてください」
王黎はもう一度、同じことを言った。
「僕は守護部の操言士として、昨夜の戦闘について王都の操言士団に報告しなければなりません。あなた方はあなた方で同じように報告をするでしょうが、互いの報告内容に相違が出ないように、共有できることはしておきたいんです。ローベルという〝裏切りの操言士〟について」
ネーチャヴィンは、頭髪の密度が低いゴンタスの頭頂部を見下ろす。机上に視線を落としたまま停止したゴンタスは、口を開きそうになかった。
「ローベルは」
ネーチャヴィンは心を決めて話し始めた。




