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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第20話 最初の操言士と王都決戦

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2.過去(上)

 少し前の時間にさかのぼる――。

 王黎たち一行と合流して王城の正面扉にたどり着いた時、レイモンドの足はふいに止まった。


「レイモンド王子、どうしました?」


 扉を開けようとしたアントニオの一歩うしろで、王黎はレイモンドを振り返った。一行の最後尾、扉に続く短い階段の下でレイモンドはぼんやりと首を横に振った。


「やめた。ここじゃない」


 ここまで来てもなお、レイモンドは誰にも心の奥底を語らない。それなのに、その心に従って行動だけはする。天女の間に隠れていろという命令を無視したり、ピラーオルドのリーダーを殺すと言ってみたり、かと思えばその足を止めてみたり。

 理由のわからないレイモンドの言動に我慢の限界だったアントニオは、苛立ちを隠さずに怒鳴った。


「ここじゃないって何なんですか、もう! ピラーオルドのニアックとかいう人物が王城にいて! そいつはライアン王を狙っていて! あなたはニアックを殺すのが役目! 自分で言ったことじゃないですか! それが違うってんですか!? ああっ、もう!」

「王黎、お前らは行け」


 アントニオの剣幕を無視して、レイモンドは王黎の背中を押した。


「レイモンド王子? どういうことですか」


 さすがに王黎も、ここで足を止めたレイモンドの真意がつかめないようで、切羽詰まった表情でレイモンドに尋ねた。

 扉を隔てていはいるが、王城の中からは叫び声や唸り声など、明らかに戦闘が始まっていると思われる騒音が聞こえてきている。一分一秒でも時間は惜しい。


「オレは城の外にいる。その方がなんかいいんだ……なんか」


 レイモンドは静かに答えた。

 レイモンドたちの事情を知らないエリックとルーカスは、一刻も早く国王のもとへ駆け付けたい気持ちでじれる。王黎とアントニオはなんとかレイモンドの胸中を推察しようとしたが、あまりにもふわっとしたレイモンドの言葉からは正解が見えない。最美とイアンは黙って成り行きを見守っている。ただ一人、レイモンドに理解を示したのはイアンの言従士由布子だった。


「レイモンド王子、あなたは常々、ほかの誰にもわからない何かを感じながら生きているように見えました。言葉では説明できない、けれどもあなたにとっては確かな何かが、あなたに別のことをさせようとしているのですね?」


 由布子の落ち着いた少し低い声が、王黎やアントニオの中の苛立ちを鎮める。


「あなたがわざと道化を演じ続けてきた理由も、今夜サンディ王子と共に天女の間に避難しなかった理由も、いまあなたが成し遂げたい役目に関係しているんですよね」

「お前らは理解なんかしなくていい」


 レイモンドは虚勢を張ったが、由布子の指摘は図星だった。

 つっけんどんなレイモンドの態度を気にすることなく、由布子はほほ笑んだ。


「レイモンド王子……他者には理解できない、何か不遇な役目を背負った王子よ。あなたの命の意味が、正しさを証明できることを祈ります」


 操言士イアンがレイモンドの護衛役に就いてから、イアンの言従士由布子もまた、イアンやアントニオと共にレイモンドと日々関わってきた。その中で見てきたレイモンドの本質は、市井で噂されるようなうつけではない。それらはすべて、レイモンドが自ら作り出した虚像だ。本当のレイモンドは誰にも理解されない何かを一人で抱え、その何かに苦しみながらも自分の生まれた理由を、生きる意味を、納得しようとあがいている。彼のその葛藤は、どんなに言葉を交わし合ったところで真にわかり合えるものではないのだろう。


「さ、皆さん行きましょう。私たちには私たちの役割があります」


 由布子が全員を急かす。最後に、王黎がレイモンドに声をかけた。


「レイモンド王子、次に会う時はお互いもっと腹を割って話しましょう」

「ハッ、王黎が腹を割って話す? 末恐ろしいな。どんな禍々しいものが出てくるんだ」

「失礼な。僕の腹の中には常に愛しかありませんよ」

「気色悪い。はよ行け」


 しっしっと、犬を追い払うようにレイモンドは手を振った。

 アントニオが正面扉を開け、レイモンド以外の七人は王城の中に入る。そしてその直後、奇怪な姿に変わり果てたニアックが正面ホールに下り立ったのだった。



     ◆◇◆◇◆



(景色が……消えていく)


 見えていた世界が突如として変わっていく。右から左へ、左から右へ、人が、闇が、城が、わずかな明かりが、高速回転して入り混じっていく。そして紀更の意識は、何かを見ているような誰かの頭の中に入り込んでいるような、不思議な感覚にとらわれた。


(誰かいる……あれは……)


――奏桜という少女がそこにいた。

 彼女の眼は生まれつき奇妙だった。光の神様カオディリヒスが世界を照らす昼間は、目を開けても何も見えない。反対に、闇の神様ヤオディミスが居座る夜間は光量が減るためなのか、薄ぼんやりとではあったが周囲が見える。その眼のせいで、奏桜は昼間に眠り、誰もが寝静まった夜に生活を営むという、昼夜逆転の日々を過ごしていた。


「あら……あなたは誰?」


 ある真夜中。家を出ていつものように散歩をしていた奏桜は、その存在と出会った。暗闇の中で休息をとる誰も彼もが出会ったことのない、それは闇の神様ヤオディミスだった。


「ねえ、もしかしてあなたはヤオディミス?」


 黒い塊のような、それでいて白い光の輪郭を伴っているような。人の形のような、角の生えた動物のような。奏桜の眼にその姿ははっきりととらえられなかったが、「神がそこにいる」と強く認識できた奏桜は笑顔で話しかけた。


「私は奏桜というの。私ね、昼間は明るすぎて目が見えないの。でも、明かりの少ない夜なら少し見えるのよ」


 それから奏桜は、夜になるたびにヤオディミスと語らった。

 ヤオディミスは人間と同じように発声をしないし、ジェスチャーのような反応も示さなかった。しかし「聞いているよ」、「そうなんだね」、とヤオディミスが思ってくれているのだと、奏桜には感じ取れた。


「私ね、何も見えない昼間が嫌いなわけではないの。でも、昼よりも夜の方が好き。安らかで落ち着くわ」


 奏桜がそう言うと、ヤオディミスはとても嬉しそうだった。


「これはなあに? 生き物のようには見えないけれど」


 ある夜、奏桜はヤオディミスが連れている妙な生物と出会った。不思議そうな表情で疑問符を浮かべる奏桜に、ヤオディミスは思念で語った。

 この世界の生物は、闇の神様ヤオディミスが想像の力で魂を作り出し、光の神様カオディリヒスが具現の力でその魂を、生物が作り出した肉の器に入れるのだと。しかしいまここにいるこれら「異形の生物」たちは、肉の器に入ることができないでいる、魂だけの存在なのだと。


「魂だけの存在? 肉体がなくて、夜だけ動くことができるの? 私と一緒ね」


 奏桜はふんわりと笑い、不格好な異形の生物たちと戯れた。

 意思や性格、本能などもなく、たゆたうだけのはかない異形の生物たち。それは奏桜とヤオディミスの周囲にふわふわと浮かび、時折、空中を泳いでいるように流れていった。

 感情などあるはずないのに、奏桜がいると異形の生物たちはどこか楽しそうで、ヤオディミスはとても嬉しくなった。


「どうして、異形の生物は肉の器に入れないの?」


 奏桜が疑問を口にすると、ヤオディミスの反応はにぶくなった。何か言いたくない、恥ずかしさや後ろめたさを覚えているようだった。


「一人でやってみたかったの? でも、やっぱりできなかったの?」


 カオディリヒスとの間に何かがあって、ヤオディミスは一人で生物を作ろうと試みた。しかしそれは失敗し、結果として、魂だけの存在という異形の生物が誕生したようだ。

 疑問の答えを得た奏桜は、くすりと笑った。


「ふふっ、おかしい。神様なのに、人間みたいなのね」


 神様は、人間とはまったく違う存在なのだと思っていた。けれど、神様にも思考があり、感情があり、得手不得手があると知った。一人ではできないこともあるのだと知った。


「この子たちは、生き物には成れないのね」


 生物が地上で暮らし、子孫を作って世代をつなぐためには、魂と肉の器の両方が必要。それは、神様でも変えられない理だという。

 異形の生物はその理に当てはまらない、魂だけの存在。夜間にうごめくそれらをうっかり見てしまった奏桜以外の人間たちは、みなこぞって蔑んだ。気味が悪い、気持ちが悪い、奇怪で恐ろしい、おぞましいと。けれど奏桜は言った。


「でも、この子たちはこのままでもいいと思う。だって、この子たちはヤオディミスの傍にいる。一緒に夜を過ごしてくれる、私の友達でもある。私も、この眼のままでいいの」


 このままでいい――そう肯定しているのに、奏桜はどこか悲しげだった。


「ありがとう、ヤオディミス。あなたが夜を作ってくれたから、少しだけど私は世界を見ることができる。世界を知ることができる。夜のこの優しさに、わずかな光のあたたかさに、ふれることができる。あなたのおかげよ」


 カオディリヒスと共にこの世界を創り、生物たちの魂を作り続けて幾年。

 ありがとう――。

 闇の神様ヤオディミスにとって、そんな風に感謝されるのは初めての体験だった。

 人々が眠る時間、夜。その闇を恐れる者はあまたいても、感謝する者はいなかった。

 この時のヤオディミスにとって、奏桜の存在は不思議で、衝撃的で、そして何ものにも代えられないほどのいとしい存在だった。

 そんな奏桜に、ある日ヤオディミスは自身の持つ力の四分の一を与えた。ヤオディミスなりの愛情表現だった。


「ねえ、ヤオディミス。私ね、少し、ほかの人と話せるようになったの」


 昼間は視力が皆無の奏桜は、日中に起きていても誰かと話すことはほとんどなく、息を潜めるように生活していた。

 ところが、ヤオディミスから四分力を与えてもらって以降、彼女に変化が起きていた。以前よりも口がなめらかに動き、様々な言葉が自然と口から出てきたのだ。中には誰も知らない言葉もあったが、その言葉を人々が使うようになり、その影響なのか、奏桜の周囲の人々の生活はどんどん豊かに変わっていった。

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