6.点と点(下)
「明らかに不自然です。ラフーア操言支部の名簿には、ローベルの名前がある。つまり彼は、管理上はラフーアの操言士です。ところが三ヶ月前、操言士ローベルは音楽家である弟のモーリスに『王都で働くことになった』と告げ、おそらく、それ以来ラフーアから姿を消したと思われます。弟は、兄は王都に住まいを移して王都で働いていると思っているようですが」
「ローベルは行方不明なのか、そもそも生きているのか死んでいるのか」
不明要素を早く解明したい気持ちが出て、エリックは早口になった。
――コン、コン。
その時、客室内の窓がたたかれる音が小さく鳴った。エリックとルーカスは警戒して身構え、腰元の長剣に手をかける。王黎だけは臆することなく窓に近付き、静かに窓を開ける。すると、外から一羽の鳥が優雅に飛び込んできた。
「鳥?」
「きれいな虹色ですね」
見たことのない鳥にエリックとルーカスは目を奪われる。だが、その鳥がぬらりと人の姿に形を変えると、目を見開いて息を呑んだ。
「おかえり、最美」
「戻りましたわ、我が君」
最美はうっすらと笑みを浮かべ、王黎にほほ笑んだ。
「さっ……最美さん!?」
驚いたルーカスは思わず大きな声を上げるが、すぐに今が夜だと気付いてボリュームを落とした。
「え、あ、メヒュラ……なんですね」
「あえて言うことでもないし、あまり人前で変化するものでもないしね。まあ最初は驚くよね」
「申し訳ありません、お見苦しいところを」
最美は少し頭を下げると、瞼を伏せた。
「あ、いえ、こちらこそすみません。メヒュラの方の変化を見慣れていないもので」
ルーカスは驚いたことを謝罪し、エリックとともに楽な姿勢に戻った。
王黎は最美が入ってきた窓を閉めながら、最美に問いかける。
「最美、普通に廊下から来てもよかったんだよ?」
「一階の談話室に紀更様がいらっしゃったようなので、気付かれずにこの部屋に来るために致し方なく」
「ああ、なるほどね。それで、どうだった?」
「はい、ラフーアの共同墓地に操言士ローベルの名前は刻まれておりませんでした。そして今日もやはり、操言士ローベルの姿だけが確認できませんでした」
「うーん」
最美の報告を聞いて王黎は唸った。エリックの眉間に皺が寄る。
「ローベルは死んだわけではない、ということか」
「ほかの操言士たちはどう?」
「ネーチャヴィンとハリーは、今日も何かを探し回っていましたわ。その二名以外の操言士に不審点はなく、各自休暇だったり通常業務をこなしていたり、という状況です」
「わかった、ありがとう。最美は紀更の傍についていてくれる?」
「畏まりました、我が君」
最美は頷くと、なるべく足音を立てずに客室を出て階段を下りていった。
最美の登場によって少しばかりやわらいだ三人の間の空気が、再び重くなる。
「最美殿は……」
「ご覧のとおり、ニジドリになれるメヒュラです」
エリックが遠慮がちに口を開くと、王黎は特に気にするそぶりもなく平然と言った。
「上空を自由に飛べるし、ニジドリ型なら視力も聴力も桁外れによくなるんです。実に偵察向きでしょう?」
王黎はエリックにウインクを投げつけた。
王黎のその視線を片手で払いのけながら、エリックは咳払いをひとつする。
「それで、操言士ローベルだが、死んでいないということは行方不明か」
「もしくは、公にしたくない内密の任務に従事しているか」
王黎は細い目をうっすらと開いた。
「ネーチャヴィンというのは、ラフーア操言支部の副支部長といった立ち位置の男性です。その彼が昨日も今日も、ハリーという操言士と何かを探し回っている。ネーチャヴィンさんが直々に動いているということは、些末な案件ではなさそうですね」
「立場のある人間が自ら動くということは、ほかの者たちには共有できない、隠しておきたい理由がある、ということでしょうか」
ルーカスの深読みに、王黎は頷いた。
「ネーチャヴィンさんの動きにはおそらくローベルが関わっている。けど……」
王黎は胸の奥で唸った。ネーチャヴィンの動きにしろ行方不明のローベルにしろ、理由や目的の見当が一切つかない。
ネーチャヴィンの指示でローベルは姿を消したのか。それとも、ネーチャヴィンとローベルはまったく別の理由で動いているのか。
(無効化されたレイトの祈聖石……まるで意思を持って陽動作戦をとったかのような怪魔の襲撃……行方不明の操言士ローベル、何かを探すネーチャヴィンさん……ウージャハラ草原で多発する怪魔)
怪しく気になる点は多々あるのに、それらをつなぐ線が見つからない。それらに共通する何か別の点がなければ、憶測の域を出ない。
(紀更の祈聖石巡礼の旅……このまま続けていいのか)
王黎の脳裏に浮かんだひとつの迷い。
その迷いは、突如宿を襲った大きな揺れと、窓ガラスが割れそうなほどの衝撃波、そして木々がいっぺんに倒されるような地鳴りによって霧散した。
◆◇◆◇◆
エリックたちの客室を出た最美は静かに廊下を歩き、階段を下りた。
太陽の光を蓄えて夜間にゆるく光る明灯器がひとつ、廊下の天井からぶら下がっているが、その光量は足元を完全には照らせない。
しかし一階の受付と、その隣にあつらえられた談話室にはもう少し大きな明灯器が床上に設置されており、そこにいる人の表情がはっきりと認識できた。
「カカコ……回復、加護……えっと……」
談話室のソファのひとつに座り、小さな声で独り言を呟いているのは紀更だった。彼女のほかには誰もおらず、夜なので小さな声でもわりとはっきりと聞き取れる。
「紀更様」
談話室に足を踏み入れながら、最美はそっと声をかけた。誰かに話しかけられるとは思っていなかったのか、紀更はびくっと身体を震わせてから最美を見上げた。
「あ、こ、こんばんは。あれっ、最美さん、いつ戻ったんですか」
驚く紀更の隣に最美は腰を下ろし、ふんわりと笑う。
「つい先ほどですわ」
「そうですか。私、全然気が付かなかったです」
「紀更様は一人で、操言士の役割の復習ですか」
紀更よりも背丈がある最美は、座った状態でも少し紀更を見下ろす。
紀更は照れくさそうに頬を染めた。
「はい。昼間、街中の祈聖石の場所を教えてもらいながら、王黎師匠がカカコの話をしてくれたんです」
「回復、加護、攻防の三つですわね」
「そうだ、攻防だ」
思い出せなかった三つ目の役割を最美が口にしてくれて、紀更は胸がすっきりとした。
昼間、街中を歩きながら王黎がしてくれたのは、怪魔との戦いにおいて操言士が担う三つの役割、「カカコ」についてだった。
――まずひとつ目は「回復」。前線に立つ力がない操言士は、なるべく後衛にいて仲間の回復をするんだ。身体の傷をふさいだり、疲れてきた仲間を癒して体力を回復したりね。ふたつ目は「加護」。これはきらら亭で少し話したね。騎士や傭兵たちの武器に操言の力を付与して、彼らの武器が怪魔にダメージを与えられるようにするんだ。戦いの前に加護を与えておいても、戦闘中に加護の効力は段々と弱まってしまう。だから戦いの途中でも定期的に加護を授けるんだ。武器だけでなく、時には前衛で戦う騎士たち自身に加護を与えることもあるよ。そして三つ目は「攻防」。これは、攻撃と防御の両方だ。怪魔の攻撃が仲間に当たらないように防御したり、操言の力を使って怪魔にダメージを与えたりする。でも、怪魔の種類によっては操言士一人で攻防を担うのは無理があるから、あくまでも仲間のサポートだと思えばいいかな。この三つの役割を、頭の文字をとってカカコなんて言ったりするんだ。
「最美さんもご存じなんですね、カカコって言葉」
「わたくしは言従士ですから。我が君のお役に立てるように、学べることはなんでも学びますわ」
「そっか、言従士だから……」
これまでの講義で、王黎が言従士について触れたことはまだない。順を追ってこれから教えてくれるのかもしれないが、紀更はふと気になってしまった。
(カカコが操言士の役割なら、言従士の役割はなんだろう)
最美に訊けば教えてくれるだろうか。
「あの、最美さん――」
紀更が最美に声をかけたその瞬間、地震でも起きたのか宿全体が大きく揺れた。続いて窓ガラスが強い風にでも吹かれたように――いや、見えない衝撃波を食らったかのようにガタガタと揺れ、ひび割れそうなにぶい音がそこかしこで合唱する。そして、どこか遠くの方で木々が倒れたのか、ドオオオンという強い地鳴りが聞こえた。