6.少年の戦い(上)
【無数の炎、円舞せよ】
不気味な風に乗って誰かの声がしたかと思うと、三人の周囲を取り囲むように炎が円を描いた。
「なんだっ!」
ユルゲンは紀更の腕を離し、両刀を抜く。マークはすかさず、紀更を一人にしないためにその傍に駆け寄った。ユルゲンと同じように武器を構えたいところだが、あいにくマークの短剣は、玉座の間でカギソに吹っ飛ばされた時に手放してしまった。
【風の旋律、炎にワルツを】
――ごおおおお。
激しい風が吹いて、炎が三人に向かってくる。まるで意思を持った化け物のようだ。
肌をちりちりと焦がす炎と熱風を両刀で振り払いながら、ユルゲンは紀更に怒鳴った。
「紀更、これは操言士の仕業だ! 応戦しろ!」
「そう、げんし……」
「紀更っ!」
うつろな瞳の紀更はユルゲンに怒鳴られてもまだ、意識が濁っている。熱いだろうに、迫りくる炎が目に入っていないようだ。
「紀更、しっかりしろ!」
ユルゲンは紀更に怒鳴りながらも、周囲を見渡して状況を確認する。
炎を振り払い、なんとか突破してみるか。だが火傷は侮れない。軽傷に見えても、皮膚の奥に大ダメージを受けていることもある。丸焦げになってでもこの炎の円を脱出したところで、もう一度同じ炎の攻撃を受けたら意味がない。
「くそっ」
「ユルゲン! どうする!」
マークも焦り、ユルゲンを見上げる。
その時マークは、自分たちを取り囲む炎は空を覆い隠していないことに気が付いた。マークがユルゲンよりも背が低く、彼を見上げざるを得ないからこそ気付いた突破口だった。
「そうか、オレなら!」
マークは紀更の手首を掴むと、紀更に背中を向けて身をかがめた。
「え、マークっ!?」
突然のことに驚き、紀更は素っ頓狂な声を上げた。しかし、紀更の驚愕はそれだけではなかった。
「きゃっ」
紀更をおんぶした瞬間にハネウマ型になったマークは、白い翼をはためかせて真上へ飛んだ。ちょうどマークに騎乗する形になっていた紀更はマークの首に両腕を回し、落ちないように必死でしがみついた。
「紀更、あの炎を消せ! でないとユルゲンが危ねぇ!」
紀更を乗せたまま上空で羽ばたきながら、マークは叫んだ。自分たちは炎の中から脱出できたが、地上のユルゲンはいまだ炎に囲まれたままだ。
意識が戻ってきた紀更はようやく自分たちの危機的状況に気付き、マークに言われるがまま急いで操言の力を使った。
【水……水分を含んで湿った土よ! 泥となって炎を上からふさげ!】
ハネウマ型のマークの背から地上を見下ろして、紀更は無我夢中でイメージした。
ただ水をかけるだけでは弱いだろう。そこに炎が存在できないように、水分を含んで泥状になった土で炎を丸ごと覆い尽くす場面を想像し、操言の力を使う。
紀更の操言の力のおかげで、ユルゲンを取り囲んでいた炎はどこからともなく現れた泥に覆われ、勢いをなくして鎮火した。燻る煙に囲まれて、ユルゲンはほっと一息つく。
【異形の生物、闇の使者、肉を捕食せしむき出しの魂、深く濃い闇をまとって怪魔となりて、あの傭兵を引き裂け】
しかし、ユルゲンの安心も一瞬だった。再び、どこかで声がする。そして怪魔カルーテ、ドサバト、クフヴェの群れがユルゲンを取り囲んだ。
「怪魔!」
「ギイイ!」
「ピァアア!」
怪魔の叫び声が聞こえて、紀更はハネウマ型のマークの背から乗り出すようにして地上を見下ろした。そんな紀更が落ちないように、マークは高度に気を付けて羽ばたき、ホバリングを続ける。
「マーク、下りて! 戦わなきゃ!」
先ほどまでの瞳の虚無感は消え、紀更ははっきりとした眼差しでマークに言った。大量の怪魔を目にしたことで、これまで怪魔と戦い続けてきた操言士団守護部の操言士であるという自負に熱が入り、自然と紀更に落ち着きを与えていた。
「マーク、絶対に下りてくるなよ! 紀更とそこにいろ! 紀更、加護をくれ!」
地上にいたユルゲンが大声で叫んだ。
マークは少しためらったが、ユルゲンの考えに同調して上空に待機した。
「お願いマーク、下りてよ!」
「駄目だ! 紀更、ユルゲンの言うとおりここからなんとかしてくれ!」
「でも!」
「地上の方が危ない! 紀更を死なせたら、オレは紅雷にどんな顔をすればいいんだ!」
マークに怒鳴られて、紀更の瞳が揺れた。
紀更は唇を噛み締めて身体を強張らせる。地上ではユルゲンが両刀を抜いて、最も弱いカルーテに斬りかかり始めたところだった。
【清らかなる純白の輝きよ、邪なる悪を滅し屠る神気となりて、ユルゲンさんに聖なる力を授け給え】
「おらぁっ! ハアァッ!」
ユルゲンは体勢を変え、無駄のない動きでカルーテを屠っていく。操言の加護を付与されたことで両刀の威力が上がり、斬った先からカルーテの身体が瞬時に黒い霧となって散っていくことに気が付くと、攻撃の速度をさらに速めた。
(だめ、違う……もっと!)
カルーテの牙を受け止め、あるいはかわし、ドサバトとクフヴェを無視しているようで密かにそちらとの距離も詰めていくユルゲンに、紀更はもっと加護を与えられないかと必死で考える。
【二振りの刀に宿るは光の力、哀れな魂を安らかな眠りに誘い、その内にある肉の器を焼き尽くす。理の外に置かれし異形の者たちよ、あるべき生物の道へ次はいたらんと、我が願いを刀に託さん】
「いいぞっ!」
紀更は、自分の中にある操言の力すべてがユルゲンに届くように強く願った。
ユルゲンの両刀は、濃さを増していく周囲の薄暗さの中でまばゆいほどに光り、その明るさにひるんだ怪魔たちを容赦なく斬っていく。いつも以上に怪魔の身体はやわく、そしてあっという間に霧散していった。
【我らに仇名す闇の者よ、我が光の明るさの元に姿を現せ!】
続いて紀更は、炎を差し向けて怪魔を呼び出し、自分たちを攻撃してきた敵の姿を暴こうと操言の力を使った。紀更の右手に出現した光る球体が周囲を照らし出し、青白い肌の青年を紀更の視界に映し出す。
「ローベルさん……っ!」
ユルゲンと怪魔が戦闘している領域から離れたところに立っていたのは、音の街ラフーア出身の裏切りの操言士、ローベルだった。
「マーク、あの人のところに下ろして!」
「っ……わかった」
マークは迷ったが、ユルゲンと怪魔がいる戦闘領域からそこは離れている。怪魔の方はユルゲンが一人できっちりと相手をしているので、紀更に危険がおよぶ可能性は低いだろう。主の紀更の言うとおりに羽ばたいて地上に下りたマークは、光球に照らされた青年の前に紀更を下ろした。
「ローベルさん」
ローベルと対峙した紀更は、苦しい表情で彼を見つめた。
「馬龍さんに言われて、私たちの足止めですか」
ローベルがぼんやりとした視線で見つめる先――紀更の背後にはまだ怪魔がいて、ユルゲンが一人で戦っている。マークは紀更を気にしながらも、ユルゲンがやられやしないかとはらはらとした視線で戦闘も見守っていた。
「ライアン王は死に、オリジーアはめちゃくちゃになる」
「それがあなたの望むことですか。故郷にいる家族を裏切ってまで求める未来ですか」
「家族などっ!」
ローベルは歯ぎしりした。
【この地に巣食う異形の生物たちよ! 肉を喰らえ! 光を奪え!】
ローベルは苦悶の表情を浮かべると、操言の力を使った。縹色の三日月がローベルの頭上に現れて、怪魔カルーテが十匹ほど現れる。
「紀更!」
マークはハネウマ型のまま紀更の前に立ちはだかり、カルーテの攻撃に備えた。
「マーク……」
「紀更、ためらうな! 紅雷はもういない! 怪魔との戦いもお前を守るのも、オレがやってやる! オレも紀更の言従士なんだ!」
紀更の鼻の奥はツンと痛くなり、涙が込み上げる気配がした。
だが、そんなことには構っていられない。
紀更は覚悟を決めると、マークの背中をひとなでして叫んだ。
【我が言従士マーク、ハネウマの翼から放つ光の刃はすべての怪魔を一瞬で切り裂き打ち払う! 行きなさい、マーク! 怪魔も、そしてローベルさんもあなたが斃しなさい!】
「ハッ!」
紀更から操言の加護を受け取ったマークは、力強く地面を蹴ってローベルに向かった。その途中で、羽ばたくためではなく紀更の言葉が表現したとおり、怪魔を切り裂くために翼を振って光の刃を放つ。
「ギイイィ!」
マークの放った光の刃で、カルーテの群れの半数が消し飛んだ。残りのカルーテにも、マークはハネウマの翼を羽ばたかせる。そして残りの一匹は飛びかかってきたタイミングで、脚力のある後脚で蹴り上げて斃した。
「ローベルさん、もうやめてください」
「やめられるものか……何もかももう遅い!」
ローベルの瞳に激情が宿る。しかし、その内に秘めた熱さとは打って変わって、ローベルは紀更には聞こえない小さな声で冷静に言葉を紡いだ。
「ぐあああっぁっ!」
その時、ローベルと対峙していた紀更とマークの背後でユルゲンが咆哮した。
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