4.命令(下)
【紅雷は我が言従士、ただの犬にあらず。その四足は羽のように軽く、けれども鉄のように強く、地を蹴り離れ我が敵を屠る! 紅雷、行きなさい。私以外の操言の力なんて、あなたには影響しない】
紀更は馬龍の紡いだ言葉を織り交ぜつつ、馬龍の操言の力をひっくり返すように叫んだ。
「ピラーオルドなんて要らないんだから!」
紅雷も叫びつつ、馬龍に向かっていく。紅雷の鋭い爪が、馬龍の右肩に裂傷を与えた。
【保護膜、我が損傷を覆い、血の喪失を止めよ!】
馬龍は一瞬苦痛に顔をゆがめたが、すぐに回復の加護を己に施す。
一方、カギソを攻撃するマークは紅雷ほど順調にダメージを与えられていなかった。
「はははっ! 馬の姿はなかなか凛々しいが、あちらのワンちゃんよりは動きが素人だ!」
「うるせぇっ、クソジジイ! あの雨の日に紀更にした分のお返しだ!」
マークはカギソとの距離を詰めてその間合いに入ると、一瞬で人型に戻って短剣を手に持ち、カギソの太ももに突き刺そうと腕を伸ばした。
「なにっ!」
カギソはわずかなところで短剣を避けるが、その刃先がカギソの服もその下の皮膚も容赦なく裂いた。
「なるほど、人型と動物型、使い分けて戦うか。考えたな、少年! だが!」
カギソはマークを視界の中央にとらえると、ただ一言短い言葉を発した。
【突風、直進!】
「かはっ」
カギソからマークに向かって一筋の風が吹き抜け、マークの細い身体をいとも簡単に弾き飛ばした。マークは床に倒れ、握っていた短剣が別の場所へ飛んでいく。
「君はまだまだ軽い! 攻撃も身体もな!」
「うっせぇ……人が気にしてるところを指摘すんな!」
マークはふらふらと立ち上がり、再びハネウマ型になった。
「邪魔……邪魔、する……いつも、そう……言従士……憎い……アイツ」
いつの間にか階段を上って玉座に座ったニアックが、ぶつぶつと呟いている。そのほの暗い瞳は、二人の言従士に命じて戦っている紀更に向けられていた。
「ど、して……力、ない……愛、して……光……そう、光の……カギ、ソ!」
「はい! カギソはここに!」
名前を呼ばれたカギソは、マークの挙動を監視しつつも返事をした。
「行く……行く、よ……オリジーア……弟の、ところへ」
「オリジーア王家のライアン王! 光の四分力を奪いに行くのですね、闇神様!」
「そう……そう……力……手に入れる……そしたら、キミ、逆らわない……ボクに」
「ええ、そうでしょう! ライアン王、ステファニー女王! その二人を殺して光の四分力を手に入れれば、あなたはますます神に近付く! きっとこの世界も気付くでしょう! 世界の柱は誰なのかということに! 光と闇の四分力を手にしたあなただということに!」
「行く……行くよ……ここ、は……ライオスに」
ニアックはふらふらと玉座から立ち上がると、その椅子のうしろに姿を消した。
「待ちなさい! ニアック!」
紀更はニアックを追いかけようと、玉座に向かって走り出す。
【鋭き鉄の槍、地より這い出て天を目指せ!】
しかしその紀更の眼前に、地面からいくつもの鉄の槍が生えるように伸びて出現し、それ以上の進行を防いだ。
「馬龍さん!」
紀更は鉄の槍を出現させた馬龍を睨む。
「カギソ、ライオスをここへ! 我は先に闇神様と共に行く!」
馬龍はカギソにそう託すと、階段を上って玉座に向かい、ニアックのあとを追うように椅子の裏へと走った。
「逃がさない!」
その後ろ姿を、ミズイヌ型の紅雷が追いかける。
【鋭き鉄の槍! 再び現れよ!】
しかし、馬龍が再び操言の力を使って槍を出現させたため、紅雷はそれ以上進めず、足を止めた。
「マーク、カギソは!?」
ニアックと馬龍を逃がしたが、まだカギソがいたはずだと思い、紀更は玉座の間を見渡した。しかしカギソの姿はなく、代わりに玉座の間の中心に、白い操言ローブの男がいつの間にか倒れていた。
「紀更、カギソは操言の力で姿を消した! でも消える前に何か言って、そしたらあいつが!」
マークは人型に戻ると紀更に駆け寄り、操言ローブの男を指差した。紅雷も紀更に近付き、紀更のふくらはぎに頭をこすりつけて一瞬だけ甘えると、再び戦闘態勢に入る。
「紀更様、あれって」
「ええ、操言ローブ……オリジーアの操言士だわ。でも油断しないで」
紀更は、倒れているその人物を心配しそうになる自分を必死で律した。
「ピラーオルドは操言士を誘拐していたわ。それに、裏切りの操言士もいる」
そこに倒れているのは、ピラーオルドに攫われて彼らの駒になるように何かされてしまった人物かもしれない。あるいはオリジーアを裏切ってピラーオルドに加担した操言士かもしれない。
三人は呼吸ひとつするのにも力が入るほどに緊張する。
しかし、ゆっくりと起き上がったその操言士に紀更は見覚えがあった。
「あなたは」
操言ローブの下は、袖をすべて千切ったようなラフなシャツにハーフパンツ。足元のサンダルは、超距離を移動するのには向かなさそうだ。
緑色の髪のその男は、カルディッシュへ向かう途中ですれ違った隊商の護衛をしていた、ポーレンヌの操言士秀介の言従士だったはずだ。
「紀更、知り合いか」
「旅の途中ですれ違ったことがあるわ。オリジーアの操言士秀介さんの言従士よ」
その時、男の目が開かれた。しかしそれはうつろで、焦点が定まっていない。
三人が身構えたままでいると、やがて男の身体を黒い霧が覆い、その姿が変わった。
「タテガミライオン!?」
「紀更様、あれは!」
男が見知ったメヒュラに姿を変えて、紅雷と紀更は震えた。そんな二人をめがけて、黒毛のタテガミライオンが突進してくる。
「紀更!」
「ハッ!」
瞬時にハネウマ型に変化したマークが紀更の前に立ち、タテガミライオンに前脚の蹴りをお見舞いしようと脚を上げた。しかしその攻撃に直前で気付いたタテガミライオンは、空中で無理やり姿勢を変えて飛び退いた。
「ライオスさん!」
「ああ……おお……やっと聴力が戻ったぜ」
飛び退いたライオスは牙を見せて不敵に笑った。
紀更は驚愕の表情で声を上げた。
「どうしてその言従士さんがあなたに!? 秀介さんに何かしたの!」
「秀介? ああ、こいつの操言士か? そいつは新たなニドミーを作るためにカギソが殺したはずだ。んで、オレは言従士の方の身体をレプティするのに使わせてもらったぜ。こいつの魂は、もうここにはない。こいつの魂を抜いて、空っぽになったこの身体にオレの魂が入った。これはもう、オレの新しい身体だ!」
「嘘……っ」
魂がここにはない。それはつまり死だ。
「ンディフ墓地で右手を失って不便だったからな。お前らが来るまでの間にレプティしてたんだ。おかげで、思いっきりお前らを殺れるぜ!」
ライオスは、今度はマークに狙いを定めて飛び込んできた。真正面から行くと前脚で蹴り上げられると想定して、ハネウマ型のマークの腹に噛み付こうと牙をむく。
【マーク、避けて!】
紀更が叫ぶと、マークはライオスに背を向けて逃げた。
【動くな!】
「あっ!」
しかし、ライオスが操言の力を使うと、マークの身体は途端に止まってしまう。
「マーク!」
紅雷が動けなくなったマークに近付き、ライオスの身体に爪で攻撃する。しかしライオスはそれをひらりとかわした。
「ライオスさん、あなたは言従士なのにどうして操言の力を使えるの!」
紀更が叫び声で尋ねると、ライオスはニヤりと笑った。
「オレの操言士はオリジーアの騎士たちに見殺しにされた。悪いヤツじゃなかったのに……オレはアイツと別れるのが信じられなくて、アイツの魂に宿っていた操言の力を取り込んだんだ」
「操言の力を取り込んだ? 何を言っているの?」
「オレは言従士だ。操言士のアイツと……アイツの操言の力と未来永劫一緒だ!」
「そんな……」
先ほど紀更は、ニアックが初代言従士ではないかと一瞬だが疑った。しかしすぐに否定した。己の操言士亡き世界で生き続ける言従士など、いるはずがないと思ったからだ。だが、実際にはいた。ライオスがそうだった。
「操言の力は魂に宿る。魂とは別のものだ。だから、アイツの魂に宿っていた操言の力をオレが持つこともできた! 闇神様がそうさせてくれた! オレがアイツの言従士だからできたことだ!」
「あなたは、オリジーアの騎士たちに復讐するためにピラーオルドに入ったの」
「ああ、そうだ! オリジーアの騎士ども……いや、国そのもの! オレからアイツを奪ったすべては滅びればいい! 何もかもだ! 四分力を手に入れた闇神様の手でな!」
「そんなこと……絶対させないから! 紅雷、行きなさい!」
紀更はライオスを指差した。
紅雷は鋭い目付きでライオスを睨むと、床を蹴って飛びかかる。
【紅雷の鉤爪は鋼よりも硬く、折れはしない! ライオスの身体を引き裂き、動きを止める!】
「てぃやっ!」
【突風! 吹き荒れろ!】
紅雷がライオスに向かって爪を振り下ろした。その紅雷を弾き飛ばすイメージで、ライオスは風を吹かせる。紅雷は踏ん張ったが風圧には敵わず、ライオスに到達する前に身体が押されて、態勢を崩して床に着地した。
【マーク、その身体はもう自由! 風に羽をはためかせ、上空よりライオスを打ち倒しなさい!】
紀更は紅雷に構わず、次はマークに攻撃を命じた。マークは腰から生えている羽を大きく羽ばたかせてライオスが吹かせた風に乗り、上空からライオスめがけて飛びかかった。
「おらぁっ!」
「来いっ!」
タテガミライオン型のライオスを押しつぶさんと、マークの前脚に力が入る。
ライオスはギリギリまでマークを睨み上げ、マークの攻撃が届く寸前で後脚を使って飛び退いた。
「速い!」
「バアァカ! お前らの攻撃が遅くて単調なんだよ!」
「なら、俺が相手だ」
背後から低い声が聞こえて、ライオスは焦って振り返った。しかしわずかに遅く、何か黒い影を目にしたのを最後に、ライオスの右目は影が振るった剣によって縦に裂かれ、視力を失った。
「うああああああ!! てんめえええええ!!」
ライオスは絶叫し、残った左目を凝らす。そして、その影の人物の正体を見定めるやいなや、もう一度絶叫した。
「黒髪ィっ!!」
「待たせたな。どうも左の方が長い迷路だったようだ」
「ユルゲンさんっ!」
いつ玉座の間に入ってきていたのか、両刀を手にしたユルゲンはライオスから目をそらすことなく姿勢を正して構え直した。
「紀更、馬龍たちは!」
「あ、えっと、闇神様と一緒にオリジーアへ……ライアン王から光の四分力を奪うつもりなんです! 追いかけなくちゃいけないのに、ライオスさんが……っ」
「ハッ! お前らはここで死ね!」
紀更がライオスに忌々しい視線を送ると、ライオスはニヤりと笑った。
「紀更はこいつの動きを止めろ! 紅雷、マーク! 確実にやれる瞬間を狙え!」
「いいぞ黒髪! そうだ、お前が来い! 今度こそ殺ってやる!」
睨み合い、見えない火花を散らし合うライオスとユルゲン。そのユルゲンの背後で紀更は深呼吸をした。
(声で悟られないようにしなきゃ)
操言の力を使うライオスにこちらの言葉が聞こえてしまえば、その効果を打ち消される可能性が高い。激情に任せて叫ぶように言葉を紡ぐのではなく、波紋のない水辺のように落ち着いた声で言葉を出さなければいけない。紀更は己に言い聞かせた。
「ハッ!」
脚に力を入れて踏み込むと、ユルゲンはライオスに向かっていった。獣のライオスの方が素早さは上だが、目に与えた傷の痛みで多少にぶるだろう。
――シュッ!
ユルゲンは両刀を振るい、次から次へとライオスに斬りかかっていく。ライオスは視界の半分を失っていながらも懸命にそれらを避けたが、やはり右方からの攻撃は見切れず、右前脚に多数の裂傷を負った。黒い毛皮が裂け、出血し始める。
「くそっ!」
ライオスは苦痛で表情をゆがめ、一歩大きく後退る。しかし、そのうしろは壁だった。ライオスがその壁を振り返った瞬間、壁から何かがにゅるりと伸びてきて、ライオスの前脚と後脚にからみついた。
「なんだっ!」
「オラァ!」
ライオスが蔓のようなものに気を取られたその一瞬を逃すはずがなく、ユルゲンは両刀を振るってライオスの胴体を斬りつけた。
「いってえぇええ!」
「まだだから!」
続いて、苦しみもがくライオスの鼻先に、紅雷が鉤爪を立ててえぐった。




