1.潜入(中)
「それは本当なのか!」
朝早くから大会議室に集められた操言士団の幹部と四部長たちは、いっせいに青い顔をした。たまらなくなったヘススが拳で机をたたき、わめく。
「祈聖石の紛失、破壊。それもヒソンファとヨルラの両方で! そんなわけあるか!」
「事実です、ヘスス殿。受け入れてください」
民間部部長の平九郎は、声に苛立ちを含めた。
「ふたつの都市部で、主に怪魔が襲ってきた方角周辺にあった祈聖石はそこに存在していないか、あるいは効力がなくなってただの石と化していました」
「そんなことがあり得るのか!」
「擬態を知る者が擬態を解けば、祈聖石の移動は容易です。日々操言士が祈聖石を巡回、保守しているはずですから、タイミングを狙うのは簡単なことではないですが。それと祈聖石を無効化する方法も、ないわけではありません。ただ、その数があまりにも多いとなると、こちらも簡単なことではないはずです。民間部はそんな脆い祈聖石を作ってはいません」
「く、ぬぅ~」
平九郎の話を、ヘススはそれ以上否定できなかった。
ヘススには構わず、ジャックがため息をつく。
「昼間なのに怪魔が都市部を襲撃できた理由は、間違いなくそれだな。祈聖石の守りがなかったのだ」
「そんで、想像以上に実はヤバい事態だな。怪魔を都市部に近付かせるために祈聖石を故意に移動させた奴がいるとなると、つまりそいつは裏切りの操言士の可能性が高い」
幹部操言士マティアスは、自分の顎をなでさすった。
「祈聖石の擬態を知る操言士が、オリジーアを裏切りピラーオルドに加担している……。どうします、コリン団長。これは由々しき事態ですよ」
議長席に座るコリンを見つめて、マティアスは自虐気味に言った。コリンは机上を見つめて考え込んでいたが、しばらくしてから口を開いた。
「裏切りの操言士探しはしません。現場に混乱を招くだけでしょう。怪魔に襲われた都市部の祈聖石はどうなっていたかと問われたら、破壊されていた、とだけ答えなさい。特に平和民団には、裏切りの操言士がいる可能性をもらしてはなりません。そのうえで、アルソー、ヒソンファ、ヨルラ、メリフォースについては祈聖石の擬態を変更し、新たな擬態を知る者は各支部長と、支部長が選んだ者だけ限りとするよう命じなさい。いいですね」
コリンの指示に、民間部部長の平九郎は頷いた。
◆◇◆◇◆
キキョーラの街を出て、馬を走らせること数時間。遠くから見た印象通り、サーディア国内には薄い霧が立ち込めていて見通しが悪かった。キキョーラの街では雲の切れ間から太陽が見えたのに、サーディア国内に入って王都イェノームに近付けば近付くほど、空は不自然な灰色の雲がかかり、日光を常に遮っている。だが、空に浮かぶそれは本物の雲とはどこか違って、まがい物のように思えてならなかった。
(ここがサーディア……これが普通なの? これじゃ、作物も育たないわ)
麦、野菜、果物、何を育てるにしても、日光は欠かせない。だが、もしも毎日がこのように薄暗い日々なのだとしたら、サーディア国内で育つ作物は少ないだろう。
(やっと育っても、それらを貴族に献上しなきゃいけないなんて)
オリジーアとは違う形態の政治が行われているサーディア。紀更はサーディアの一般市民の立場になって考え、その不条理さを苦く思った。
「イェノームが見えてきた! 少し離れた場所で止まって、あとは歩きで行くよ!」
先頭を走る王黎が振り返り、声を張り上げる。紀更たちはもうしばらく馬を走らせたのち、馬を止めて下馬した。
「んっ……苦しい。なんか、すっごく息苦しいですね」
馬を下りて両手両足を伸ばしながら、紅雷が呟く。
確かに、降り注ぐ日差しが少ないだけではなく、心なしか空気も薄い気がした。
「最美、僕らは歩いてイェノームの城下町に入る。ただし、姿は見えないようにしておくから。キミは先に飛んでいって、軽い偵察のあと、操言士スラヴェナさんのいる屋敷を見つけてくれるかい? 連絡は、いつものとおりで」
「畏まりました、我が君」
最美はぬらりとニジドリの姿になると、暗い空へ羽ばたいた。
「さて、ここからは全員、なるべくくっついて移動です。僕と紀更で二重の暗幕を僕ら自身にかけて、僕らの姿も声も、誰にも感知されないようにします。でも僕らは普通にいるわけだから、街中では誰かにぶつからないように細心の注意を払ってくださいね」
王黎は目を閉じて集中すると、操言の力を使って七人の周囲を覆うような暗幕をイメージした。姿も声も、外に漏らさないための仕掛けだ。その後に、紀更も王黎を真似してまったく同じ言葉を紡ぎ、同じ効果を付与する。
先頭に王黎とルーカス、そのうしろに紀更と紅雷、マーク、そして殿をエリックとユルゲンが歩き、七人は静かに王都イェノームの入り口を目指して歩き出した。
◆◇◆◇◆
「ねぇ~、ブリサック様ぁ。やけに王都から人が出ていくじゃない? 誰も王様のお傍にいらっしゃらないのぉ?」
甘い声に問われて、アンソニー・ブリサックは鼻の下を伸ばした。己が買い与えた美しく妖艶なドレスに身を包んだ女の腹に顔を押し付けて、かぐわしい匂いを嗅ぐ。まだ昼間だが、この愛らしい女と過ごせる艶めいた時間を、ここ最近のブリサックは何よりも優先していた。
「王のことが心配なのかい? ベラは優しい子だね」
「怖いのよ~。なんだか最近、王都の空気が前と違ってるからぁ」
「王なら心配ないよ。常にあの方々がお傍にいる。それに、我らがサーディア王は不死の王である。何があっても大丈夫だ」
「不死って、死なないってことぉ? すごいのねぇ~。神様みたい!」
女はきゃっきゃと興奮し、子供のように無邪気にはしゃいでみせた。
アンソニーは自分の言葉に驚く女の表情に満足して、なおも喋る。
「それもあの方々のおかげだ。いずれはわたしも……そうだ、ベラ。その時はお前も一緒に不老不死になろう。その美貌を永遠のものにして、永久にかわいがってあげよう」
「まあ、嬉しい! でも、どうするのぉ? 痛いことはないのかしら」
「痛くはないさ。眠って起きれば、それで終わる。老いた身体は捨てて、起きたら若い身体になっているそうだ」
「不思議ねぇ~。それ、ベラはブリサック様のことを忘れちゃわないのぉ?」
「忘れないさ。以前のことは憶えている。わたしがお前をかわいがったこともね。さあ、ベラ。わたしのことはアンソニーと呼んで。共に夢を見よう」
「待ってぇ、ブリサック様。ベラ、まだ怖いのぉ。王様みたいに、あの方々がお傍にいてくれればベラも怖くない?」
「なんだい? わたしが傍にいるのでは不満か?」
「ブリサック様のことも心配なのよぉ。ねえ、どうすればあの方々にお近付きになれるの」
「そうだなぁ」
アンソニーはベラのスカートをゆっくりとめくり、あらわになった太ももに頬ずりをしながら答えた。
「王城を守る城壁の一部に、開かずの扉があるそうだ。その扉の先にあの方々はいると聞いたが、実際に扉が開いたところは見たことがない。わたしたちが近付くことはできない方々なのだよ。あの方々の方から、わたしたちに近付くことはできるけどね」
「なぁ~んだ。それじゃあ、ベラ、やっぱりブリサック様と一緒にいる方が安心だわ」
女がそう言って甘えた声を出すと、アンソニーはとろけんばかりの笑顔をこぼした。
「ああ、かわいい、かわいいベラ。ほら、今日も外は暗い。仕方がないから寝室へ行こう、ね?」
「ブリサック様ってばぁ」
女の目が怪しく光る。
【アンソニー・ブリサック、あなたの意識は薄闇の水面下へ落ちていき、ベラという愛人の記憶は風に舞う砂埃のように小さな粒となって無限の空へ飛んでいく。あなたに残るのは安らかな眠気だけ。さあ、眠りなさい、アンソニー・ブリサック】
アンソニーの瞼が閉じ、四肢から力が抜ける。
女はアンソニーの身体を己の太ももの上から退けると、いやらしくめくられたスカートの裾を手で振り払い、正す。そしてすっとソファから立ち上がり、窓の外に視線をやった。
「城壁の開かずの扉、ね」
薄日しか許さぬ、王都イェノームの暗い空。その一部で見慣れぬ鳥が旋回しているのが目に入り、女は窓を開けた。




