7.進路(上)
「この本には操文による効果が施されているようです。なるほど、特別な操言士のあなたとレイスロマエゴがつながるなんて」
「あのっ、優大王子、教えてください。ロゴイエマレス……いえ、レイスロマエゴさんが書いたその物語はなんなのでしょう。その物語のおかげでわかったこと、わからなくなったことがたくさんあって」
「そうですね。これもピラーオルドに関わる……というより、我らの始祖の時代に関わることです。和真、ここに持ってきていたはずだね?」
「お待ちください」
優大が背後の和真に尋ねると、和真は頷いて応接室を出ていった。
和真が不在の間に、優大はあらましを紀更に伝える。
「先ほど、わたしが我が国に伝わる伝承や資料を調べたと言いましたね。実は、それらの多くの資料はレイスロマエゴが残したものなんです。彼は初代操言士の息子の息子で、ザンドラ女王からみれば甥にあたります。とても知的好奇心が旺盛だったようです」
「オリジーアでは、ロゴイエマレスという名前の方が地理や歴史の資料を残しており、それらは現代でも重宝しています」
王黎がそう言うと、優大はそうでしょうね、と笑った。
「フォスニアも同じです。レイスロマエゴは操言士でした。初代操言士やザンドラ女王とは違って、生まれながらに操言の力を持っていた、現代に生きる操言士そのものです」
「もしかして、四分力を宿していた初代操言士やザンドラ女王と、〝操言の力〟を宿している自分との違いに端を発して?」
「いろいろ気になって調べたのでしょうね。ちょうど、今のわたしたちのように」
紀更は、ロゴイエマレスこと操言士レイスロマエゴについてもっと知りたくなった。『空白の物語』を書いた不思議な作者だとは思っていたが、まさか初代操言士の孫だったなんて。
「優大王子、なぜレイスロマエゴは不死と呼ばれていたのですか。それに操文とは……それはいったいなんですか」
紀更はやや前のめりになって優大に問うた。
「不死と呼ばれていた理由は、彼の遺体を見た者がいないからです。それと、どう考えても彼が生きているはずのない時代に彼が残したと思われる資料が散見されています。それもかなり間を置いて、いくつもいくつも」
「それは確かに不死と呼ばれますね。ひっそりと生き続けていたとしか考えられない」
王黎は肩をすくめてみせた。
「彼のおかげで過去を知ることができて助かっていますが、彼については不明なことが多いんです。それと操文についてですが、これは和真から説明させましょう。ちょうど戻ってきました」
応接室のドアが開いて戻ってきた和真は、再び優大の背後に立った。
「和真、操文について説明してほしい」
「はい」
和真は、王黎と紀更を交互に見つめながら語った。
「操文とは操言の力を使う方法のひとつですが、通常とは大きく異なります。通常、操言の力を効果的に発揮するためにはイメージと適合した言葉をいくつも紡ぐ必要があります。しかし、操文はたった一言の特定の言葉で操言の力を使えるんです。その特定の言葉を操文と呼びます」
「特定の言葉?」
紀更は目をパチクリとさせる。
すると和真は実際にやってみせた。
【風よ、吹け】
――ひゅぅ~。
応接室の中に一筋の風が吹き、結わいていない紀更の髪がさらりと揺れる。
それは紀更がよく知る、普通の操言の力の使い方だ。かすかだが、和真から操言の力の波動も感じた。
【ヴォリブウェント】
――ひゅぅ~。
続いて和真が唱えた言葉は、まったく聞いたことのない言葉だった。オリジーアで使われている言葉とは違う、フォスニア独自の言語なのかと一瞬考えたが、優大とも和真とも不自由なく会話ができていたので、フォスニア独自の言語というものはないように思う。
「今のが操文です。先に実践した〝風よ吹け〟という言葉のイメージと同じイメージを浮かべて唱える操文で、起きる現象はご覧のとおり同一です」
「和真さんはどうして操文を使えるんですか。どこでそれを学んだんですか」
好奇心を抑えきれない紀更は、和真にも前のめりになって尋ねた。
「優大王子と共に行った始海の塔。その中にあった本に書いてありました」
「始海の塔の本に?」
「その本でわたしが得た知識は、操文というある特定の言葉を操言士が唱えることで特定の効果を発揮できること。それは通常の言葉を紡いだ時とほぼ変わりがないこと。ただし、効果の出方、大小など、細かい点は操言士のイメージに左右されること。それから、数個の操文だけです」
和真がそう説明すると、紀更は王黎を見つめた。
「王黎師匠、私ずっと、王黎師匠に訊きたいと思っていたことがあります。ラテラスト平野でライオスさんと戦った時のことです」
紀更は、ここへ来る船の中で言いかけて途切れてしまった続きを口にした。
「王黎師匠はたった一言で操言の力を使いましたよね。どうやったのか、今の今までわからなかったけど……あれは操文だったんじゃないですか」
マーク以外の、ラテラスト平野で共にライオスと戦ったパーティメンバーの視線が王黎に集まる。
――ディロスシーガス!
あの時、ライオスが爪を立てて上空から飛びかかってきた。そのライオスから紀更を守るために王黎はただ一言、聞き慣れない言葉を叫んだ。すると、分厚い光の盾が現れてライオスの攻撃を受け止めたのだ。
「あの時は……いえ、あのあともずっといろんなことが続いて、すぐには気が付きませんでした。でも数日前、内省の修行をしていて思い出したんです。あの時、王黎師匠はたった一言で光の盾を作り出し、ライオスさんの攻撃を受け止めてくれた。あの言葉は」
紀更は一呼吸置いた。
「操文……ですよね。それから、この『空白の物語』に文字が浮かぶきっかけの言葉である〝プレカ〟も」
「そうだよ」
王黎は茶化すことなく、普段は閉じられていることが多い目を見開いて真剣な眼差しで頷いた。
「和真さんと同じだ。サーディアの始海の塔にあった本で知ったんだ」
王黎の答えを聞いて、紀更はまたひとつ過去の場面を思い出す。それは始海の塔でラルーカに別れを告げている場面だ。
――あなた方はこの始海の塔が呼んだ方。始海の塔にとって必要な方々なのでしょう。ならば始海の塔が万事手助けをしてくれるはずです。この先もきっと。
――塔にとって必要、か。その話、もっと詳しく聞きたかったなあ。
――この塔の中の物は、始海の塔が許せば持ち出すことが可能なはずです。たかがフォスニアの操言士にすぎない我々の話よりも、よほど有意義な土産になるかもしれませんよ。
「ラルーカさんは知っていた。塔の中にある本が、何か参考になること……操文について書かれていること。王黎師匠はその本を持ち出したんですね」
「いくつか拝借したよ。でも、塔が用意した船から降りた瞬間にすべて消えてしまったんだ。だから、僕も憶えている操文は和真さんと同じ、数個しかない」
「でも王黎師匠のことだから、そのすべてを平然と使えるんですよね」
「まあ、ね」
王黎はふっと笑った。
「弟子をとったからって、己の研鑽をサボってはいないからね、一応これでも」
紀更は小さく肩をすくめると、和真の方に視線を戻した。
「和真さん、『空白の物語』の最後のページに書かれている文字は、最初はなかったんです。でもプレカと呟いたらその文字が浮かび上がってきて……プレカも操文ですよね」
「そうですね。わたしが知っている操文のひとつです。意味や効果は〝現れる〟。つまり、隠されていた文字よ現れよ、といったところでしょうか」
「でも、私は操文なんて知りませんでした。操言の力を使おうと意識してプレカと言ったわけでもないのに、どうして効果が発揮されたのでしょうか」
「操文については、わたしたちもまだ不明確なことばかりです。研究途中、とでも言いましょうか。いきなり答えだけ与えられて、その答えにたどり着くための道が見つからない状態なんです。でも、操言士のあなたが唱えた操文なら、効果が出てもおかしくないと思います」
和真はそう言うと、持ってきた小さな本を優大に手渡した。そして、優大がその本の題名を確かめてから、紀更に差し出す。
「この本もまた、紀更殿が操文を唱えれば真の姿となるのでしょう」
「こっ、これ!」
紀更が受け取った数ページの薄い本の題名は、『空白の物語Ⅲ』。
目の色を変えた紀更は急いで中身に目を通した。一度目は黙読し、二度目は声に出して読み上げる。
空白の物語Ⅲ
友よ、兄よ、なぜ日の当たる場所で正しく生きないのか。
友よ、弟よ、日に当たっては生きていけぬ者もいる。
友よ、兄よ、なぜ人の生きる時間を正しく守らないのか。
友よ、弟よ、時間など無意味、あるのは無か全のみなり。
友よ、兄よ、なぜ守りたいものを傷つけ壊し、手に入らないと憎むのか。
友よ、弟よ、己が力ではどうにもできぬこと、ままならぬ苦しさゆえに憎むのだ。
Ⅰは親子の会話だった。Ⅱは恋人同士の会話。そしてⅢは兄弟の会話だった。
紀更は読み上げたあとに、本の後半ページを確認する。そこにはいま読み上げた以外の文字はない。しかし、不自然な空白のページがあった。
「プレカ」
紀更は操文を唱えた。操言の力を使うためではない。これまで通りぼんやりと、心を無にしてその言葉を呟く。すると紀更の手の中で少しだけ本が熱くなり、空白のページには数行の文章が浮かび上がった。
愛する者がいれば、愛さぬ者もいる。
愛される者がいれば、愛されぬ者もいる。
愛ゆえに人は泣き、憎み、そして奇跡を起こす。
愛は人が持つ力。愛は神が持たぬ力。
兄は愛したが愛されず、また弟も愛したが愛されず。
同じようで異なる二人は、やがて別々の道を歩き出す。
一人は新たな愛を見つけて善き道へ、一人は古き愛にとらわれて悪しき道へ。
紀更が新たに浮かんだ文章を読み上げる。応接室の中には思案にふける沈黙が流れた。
「初代操言士の孫、不死の操言士レイスロマエゴ。彼はどうやら、後世に何かを伝えたかった……いえ、何かをしてほしかったようですね」
王黎が呟くと優大は頷いた。
「これまでそんな風に考えたことはありませんが、今はわたしもそう思います」
「問題はその〝何か〟……なのですが」
「いま起きていることから確認しましょう。まず、ピラーオルドと癒着しているサーディアですが、癒着というよりもはやピラーオルドに乗っ取られている、と考えた方が早いかもしれません」
「どういうことですか」
エリックが表情を引き締めて優大に尋ねた。
「この大陸の四国は、長いこと互いに干渉せずに時を過ごしてきました。オリジーアとセカンディアでは幾度か戦争がありましたが、平和的交流はサーディアもフォスニアも含め、ほぼない。だから、今までサーディア国内の事情にあまり関心はありませんでした。ところが、昨年のエンリケ王の件があって、わたしたちはサーディアを調べました。そこでわかったことですが、サーディア王は長らく国民の前に姿を見せていません。国内の統治は王都イェノームにいる五大貴族と地方にいる三貴族が行っており、貴族でない一般の民はこの貴族に逆らうことが許されず、搾取されています」
「ステファニー女王から聞きました」
紀更は暗い表情を浮かべた。
自分たちの贅沢のために一般市民から税を搾り取る貴族という身分。つたない想像しかできないが、苦しい思いをする民のことを思うと、他国のことながら胸が痛む。
「民たちの作った農作物はすべて貴族に押収され、貴族は裕福ですが一般の民は非常に貧しい生活です。現在南部拠点にされているイスコ村では、サーディアの王都イェノームから来た貴族たちの命令で住人たちが寝る間もなく働かされているようです」
「そこまでしてオリジーアとセカンディアを攻めたいなんて……!」
紀更が悔しさを浮かべた表情で言うと、優大は少し目を伏せた。
「そしてこの貴族たちですが、彼らもピラーオルドとつながりがあるようです。オリジーアとセカンディア侵攻の戦力は生身の人間ではなく怪魔ですが、イスコ村から怪魔を次々と繰り出す所業を、貴族たちは許しているのです」
「これだけ人にとって害悪でしかない怪魔がピラーオルドによって作り出されたものであることをサーディアの貴族たちは承知している……というわけですね。オリジーアの民としては、同じ人間の認識とは思えません」
ルーカスは厳しい表情で言った。




