5.離脱(下)
「戦うだけじゃないんだな」
ユルゲンを治療する紀更を見て、マークはパーヴァルの里付近で紀更に出会った時に自分も傷を癒してもらったことを思い出した。
「そうね。都市部の中でも操言士として働く場面はあるわ」
「紀更は戦うのが専門なのかと思ってた」
マークは、紀更が怪魔と戦う場面を多く見てきた。先ほども戦闘中にルーカスの回復をしていたが、なんとなく戦闘が専門なのかと思っていた。
「オリジーアの操言士団にはね」
紀更はほほ笑んでマークに解説する。
「四部会という組織があるの。そのひとつの守護部ってところに私は所属していて、守護部の操言士は怪魔との戦闘が多いの。だから、戦闘が専門と言えばそうかもしれない。でも、戦いが多いからこそ回復も必要で、だけどそれだけじゃなくて、なんていうのかな。操言士の役目ってたくさんあるの。だから修行するのよ。できることを増やすためにね」
マークは、自分より少しだけ背の低い紀更の横顔を見つめた。操言士について語る紀更はどこか嬉しそうで、誇らしげで、操言士という存在をとても大事に思っているようだ。
「そのための旅なのか」
「そうよ。王黎師匠がね、いろいろ教えてくれる旅。実はそれだけじゃなかったけど」
「王命とか……特別任務ってやつか」
マークは、紀更の影のようになって黙って聞いていた、メリフォース操言支部での大人たちの話を懸命に思い出した。会話の背景を知らないので、王黎や道貴が話していたことの大部分は理解できなかった。だが、紀更に関係することだけは心に留めておこうと、必死で頭をはたらかせていた甲斐はあったようだ。
「そう、それ。もう、王黎師匠も言ってくれればいいのに!」
紀更は、船尾に最美と並んで立っている王黎の背中に向かって唇を尖らした。
紀更が再び旅に出られたのは、操言士団の温情ではなかった。旅を通してピラーオルドについて究明せよという命令だったのだ。
「紀更はその王命がどうとか、知らなかったんだろう? 嫌じゃないのか」
マークは、先ほどメリフォース操言支部で取り乱した紀更を思い出して気遣った。あの時、紀更は確かに動揺していた。失望、裏切り、欺瞞。そういったものを感じ取っているようにマークには見えた。
「さっき、この旅の本当の目的を聞いた時は……うーん、そうね。嫌というか、自分が嘘の旅をしていたような気がしたけど、でも違うの。どんな理由で始めたんだとしても、私が歩いた道はちゃんと私のうしろにできてるの。ここまで進んできた道のりは、嘘でも偽りでもない。それに、一番大事なことはこの先自分がどう進むかだから」
「この先……ピラーオルドをなんとかすること?」
マークが問うと、紀更はマークの方を向いて力強く頷いた。
「怪魔を作り出しているのもオリジーアの操言士を誘拐しているのも、犯人はピラーオルドよ。彼らは、オリジーアの国と人々を害する〝敵〟なの。敵から国と人々を守るのが、操言士の役目。だから私は、ピラーオルドを止めたい。彼らが持つ闇の四分力を取り返したい。それが、操言士としての私がいましたいことなの」
潮風が吹いて、紀更とマークの髪を揺らす。
「オレも」
厚い雲の向こうの水平線の下に隠れた陽の明るさを失って、海が黒くなっていく。
「オレも手伝ってやる。ピラーオルドを止める、っての。オレは紀更の言従士だからな」
マークがそう言うと、紀更は少しばかり困った顔になった。自分より年下の彼を、ユルゲンと同じように自分の道に巻き込んでいいものかどうか、ためらいはやはりある。
しかしすぐに、ふわりとほほ笑んだ。
「ありがとう、マーク。頼りにしてます」
自分の言従士を信じて言従士を活かす。それもまた、操言士として生きることのさだめのひとつだ。
◆◇◆◇◆
「マリカさん、けがはありませんか」
海翔は人懐っこい笑顔でマリカに尋ねた。
アルソーの村を襲撃した怪魔は無事に殲滅された。マリカたちをはじめ、村の北にあるポーレンヌから応援の騎士や操言士が駆けつけたおかげだ。
マリカは周囲の状況を見渡して安全を確認すると、海翔の頭をなでた。
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、海翔」
「どういたしまして」
マリカにねぎらわれて、言従士の海翔は嬉しそうにほほ笑んだ。
「マリカさん、次は? ほかの都市部にも怪魔が襲撃してるんですよね? どういう状況なんでしょうか。俺、なんでもしますよ」
「そうね。アルソーの操言支部に行って状況を聞いてみましょう」
マリカはそう言って歩き出した。
(ああ、イイ……言従士ってなんてイイ存在なの)
言従士は自分の操言士に忠実で、決して裏切らない。常に自分の操言士のことを第一に考え、操言士の役に立ちたいと願う。そうできることあ生きる喜びであると感じている。
(言従士を従えている私は優秀な操言士……そうよ、これよ。盲目的に慕われて、私は特別な存在だと思える)
言従士と出会えた自分は、普通の操言士とは一線を画する。
海翔が自分に従うのは、自分が偉大な存在だからだ。
(そして、私のことが恋しい存在だからなのよね)
本当は、あの黒髪の傭兵のように強くてたくましい大人の男が好みだけど。
いいの、若いオトコノコでも。
愛してくれるなら。愛される私でいられるなら。
でも、なぜだろう。
海翔という言従士を見つけたことで心は満たされたはずなのに。
黒髪の、精悍な顔付きの傭兵が何度夜を超えても忘れられない。
(私が欲しいものは、もうここにあるのに)
手に入れたのに。与えられたのに。
まだ足りない。もっと欲しい。愛が欲しい。
もっともっと、もっともっと私を特別にして。特別だと思わせて。
強い操言士、深く愛される価値のある女。
もっとそう思いたいの。もっとそうなりたいの。もっとそう思われたいの。
足りないの。
海翔じゃ、本当は――。
◆◇◆◇◆
「王黎師匠、さっき受け取った手紙は優大王子からだったんですか」
船は暗闇の海を進む。
水辺に現れる怪魔スミエルが不定期に襲ってくるため、船尾と船頭には交代で戦闘要員を置いていた。特に、ミズイヌのメヒュラである紅雷は水中でも自由自在に動いて戦えるため、紀更の加護を存分にもらって闇を恐れず意気揚々と戦っている。おかげで船の上にいるエリックやユルゲンは、海中の紅雷が逃したわずかな数のスミエルを斬るだけで事足りていた。
「いや、ステファニー女王だよ。離れても連絡がとれるように生活器を借りたんだ」
紀更と王黎は、スミエルが船の中まで襲ってきた場合に備えて船の中央に立っていた。
「優大王子とステファニー女王も連絡を取り合っているんですね」
「そういうことだね。サーディア国内で何か動きがあったらしい。それで優大王子が僕らを……というより〝特別な操言士〟をキキョーラの街で待つと、ステファニー女王に連絡したらしい。僕らは優大王子と連絡がとれないからね」
約一年前。オリジーアの第一王子レイモンド、セカンディア女王のステファニー、そしてフォスニア王子の優大。三国の王族が一堂に会したという秘密の会談の日。それ以来、三者は密かにつながっていた。少なくともステファニーと優大は、かなり互いを信頼し合うほどに交流していたのだろう。
(偶然にも集まった三人は、その時どんな話をしたのかしら。そして、今から私が優大王子と会うことにどんな意味があるの。ピラーオルドと関係しているの?)
船がかき分ける波の音を聞きながら、ピラーオルドと自分の関わりはいつ始まったのだろうかと、紀更はふと思いを馳せた。
音の街ラフーアの音楽院でローベルと出会ったのが、ピラーオルドのメンバーとの初邂逅だ。だが歴史の不思議――この世界の不思議、そして世界の変化に触れたのは、優大がゼルヴァイス城の城主ジャスパーに託したあの手紙がきっかけだったと思う。
「王黎師匠」
「ん~?」
「私たちの目的は、ピラーオルドだけじゃないですね。初代操言士、神様の力、四分力……始祖たちの時代に何があったのか。そしていま、何が起ころうとしているのか。世界の変化を……もっと大きな視点で見ないといけない気がします」
「そうだね、同感だ」
王黎が言うと、紀更ははっとした表情になった。
「そうだ、王黎師匠! ずっと訊きたいと思っていたことがあります」
「なんだい?」
「あの時のことです。ラテラスト平野でライオスさんと戦った時――」
――紀更がそう切り出した瞬間、船頭にいたエリックが叫んだ。
「見えたぞ! フォスニアの領土だ!」
◆◇◆◇◆




