5.離脱(中)
「メリフォースから連絡がありました! メリフォース城下町にも怪魔が出現、ゲルーネも確認されたそうです」
連絡室から走ってきた操言士の報告を聞いて、大会議室の中にいたコリンの眉間に皺が寄った。ジャックが連絡官の操言士を下がらせると、大会議室の中には幹部操言士と四部会の部長だけが残る。
「コリン団長、これはどうすればいいのか」
頭部に毛髪のないロジャーが不安げに尋ねた。その隣で、濃い口髭のヘススも頷いている。
「アルソー、ヨルラ、メリフォース……怪魔の襲撃が広がっている!」
「石の村ヒソンファは大丈夫か!?」
「イスコ山地から怪魔が押し寄せてきているんだ! イスコ山地に騎士と操言士を集結させるべきだ!」
「落ち着きなさい」
コリンは、今にも無計画な指示を出しかねないほど取り乱しているロジャーとヘススを冷たい声で制した。
「この襲撃を鎮めるために操言士を一か所に集中させることは、敵の思う壺です。彼らの狙いは別にあるのです」
「それだ! コリン団長、王黎から報告があったのでしょう!」
「敵の狙いは何なんですか! 我々はどうすればいいのです!」
「ピラーオルドの狙いは――」
コリンは一呼吸置いてから告げた。
「――光の神様カオディリヒスから力を授かった者。つまり、オリジーア王家のライアン王です」
「王……ライアン王ですか」
これまで都市部が怪魔に襲撃されたことはあっても、オリジーア王家がピンポイントで狙われたことはない。国王のライアンこそが狙いなのだと突然言われても、幹部操言士たちは納得がいかなかった。
「王黎からの報告をまとめると、ピラーオルドはサーディアと癒着した組織で、その目的は四分力と呼ばれる神の力を集めることだそうです。彼らはすでに闇の四分力を三つ集めており、続いて光の四分力を狙っていると」
「コリン団長」
歴史解明派のマティアスが、自分の顎をなでさすりながら尋ねた。
「四分力とかいうその神の力ってのは、伝承にある〝光の神様が初代オリジーア王に力を授けた〟ってやつですかい?」
「そうです」
「そんな大仰なもん、どうやって手に入れるってんです?」
力とは目に見えないものだ。圧力や腕力などどんな力であっても、固形物になっているわけでもなければこの手でさわれるわけでもない。目に見えるわけでもない。ましてや「神の力」などという壮大なものを、軽々しく「手に入れる」ことなどできるのだろうか。
「手段、方法は不明です。しかし、ピラーオルドには神の力を手に入れる術がある。それを確実に実行できるタイミングになったため、オリジーアへ侵攻してきたのでしょう。それに、代々の王の魂に宿って継承されているというその神の力も、時には魂水晶という物質になっています」
「ひたいに輝紋の浮かばない王が嵌めていたという指輪ですかい。まあ確かに、指輪なら奪って手に入れることは容易でしょうな」
「コリン団長、侵攻とは?」
マティアスが得心した一方で、薄茶色のロングヘアの萌夏が不安げに尋ねた。
「これは単なる都市部襲撃ではありません。オリジーアへの宣戦布告です」
コリンがそう言うと、八人の幹部操言士と二人の四部会部長は騒然とした。表情をゆがめはしたが声で反応を示さなかったのは、先ほど王黎からの報告をじかに聞いていた幹部操言士ジャック、守護部部長ラファル、そして国内部部長のダミアンだけだった。
「このあと、私とジャックでもう一度ライアン王に謁見します。約五十年ぶりの戦争状態に入るその覚悟を、全員がなさい」
コリンはそう言ったが、幹部操言士のうち最後に起きた報復戦争を肌身で憶えているのは、コリンを含め五人だ。半数以上は先の報復戦争時にはまだ赤子だったか、あるいは戦後生まれであり、これがもしも本当に「戦争」と呼ぶ事態なら人生初の体験である。
「これから先は、何よりも情報収集と現場の統制が大事です。どんな些細なことでも、通常と違うと思ったことはすべて報告を上げさせなさい。萌夏、清彦、平九郎」
最後にコリンは、民間部を統括する幹部操言士二名と、民間部部長の名前を呼んだ。
「貝伝器をまだ設置していない支部へ、急いで設置を。それと、連絡員の確保も。それから、例の円盤の実証実験と実用化を急ぎなさい。円盤の方は、最低でも城のある都市部を行き来できるようにすること。いいですね」
「はい」
萌夏、清彦、平九郎はそれぞれ頷いた。
◆◇◆◇◆
怪魔との戦闘を稲美子一人に任せて戦場を離脱し、彼女に言われたとおり西へ向かうと確かに船があった。しかもそれは、メリフォース城下町の漁師が使うような漁業用の小型艇ではなく、明らかに中距離を移動することを前提としたダウ船だった。
紀更も王黎もエリックでさえも、すぐに始海の塔が寄越した船だと確信した。そしてなんの迷いも疑いもなく乗り込んだ。マークだけは、見たこともないほどに大きな船を物珍しく見上げて硬直していた。
「これ……これが船なのか」
マークの故郷であるパーヴァルの里はオリノス湾に近いため、漁に出ることもある。しかし、豊かとは言いづらいパーヴァルの里にある船と言えば、網や銛などの道具とせいぜい二人分ぐらいしか乗るスペースのない、小さな船体だ。
ところが、いま目の前にある誰が用意したのかわからないこのダウ船は、マストの帆の頂上が見えない高さにあるほど大きかった。
「マーク、早く乗って」
ほかの小さな船が停泊している桟橋を歩き、木の板のタラップを渡って船に乗り込んだ紀更は、桟橋の上で口を開けて首をうしろに倒したまま固まっていたマークに声をかけた。紀更の声で我に返ったマークが船に乗ると、すぐにダウ船は動き出した。
「なっ、なんだ!? 誰かいるのか!?」
船が動き出したことに驚いたマークが、警戒するように声を上げる。そんなマークの背中を、紀更はぽんぽんとたたいた。
「大丈夫。たぶん、誰もいないはずよ」
「たぶん?」
「この船は、始海の塔が用意した船だと思うから」
「ハァ? なんだそれ。どういうことだよ!」
「始海の塔っていう不思議な建物があるの。その塔は操言の力なんかよりももっとすごい超常の力を持っていて、こうして用意した船に私たち乗せて運んでくれるの」
「そ、そんなの……なんでそんなことするんだ? それに、なんでこの船がそれだってわかるんだよ」
マークの疑問はもっともだった。
「なぜ始海の塔が僕らを運んでくれるのか、それはわからない。でも便利だから利用させてもらう。こういう非常事態に船を用意してくれるのはいつものことだからね。ちなみに、オリジーアからセカンディアへもこうして不思議な船で向かったんだよ」
徐々に遠くなってくメリフォース城を眺めながら、王黎はマークに答えた。
「いつものことって、お前ら何なんだ?」
「僕らは普通の人間なんだけどね。どうも僕らの旅は普通の旅じゃないみたいでねえ。ピラーオルドの調査のため、紀更の修行のため……それだけじゃこの旅は語りつくせないのさ」
妙にもったいぶる言い方の王黎を、マークは腹立たしげに見上げた。
「意味わかんねぇ」
「そうだね、僕らもわからないことだらけだ。だから知りたくて、次へ、前へ、先へ、進み続けてきたのさ。これまでも、これからもね」
(これまで……)
マークと出会うまでに紀更たちがしてきた経験、歩いてきた道のり。そこに自分がいなかったことを、マークは残念に思った。
「王黎師匠、心なしか速度が速くないでしょうか」
東に見えるメリフォース城は、もう人差し指ほどの小ささだ。始海の塔が用意した船にはこれまでに二度乗っているが、その時よりもこの船は速く進んでいるように思う。
「気を遣ってくれているのかもしれないね。夜が近いから」
王黎は西の空へ目を向けた。
今日は朝から曇りだった。雨は降らなかったが一日を通して日差しは少なく、今も西の空にかかる雲は厚い。晴れていれば沈みゆく夕焼けが見えるだろうに、雲が影を背負っているせいで、空のキャンバスはただの夕闇よりも暗かった。
「紀更、操言の力で傷口をふさいでくれるか。応急処置はしたが念のためな」
甲板で話し込んでいると、ユルゲンが紀更に左の上腕を指し出した。
「あ、はい! 待ってくださいね」
紀更はユルゲンの上腕に手のひらをかざし、回復のための加護を施す。血の滲んだ布の下で、ユルゲンの皮膚がゆるやかに再生された。
「助かる」
ユルゲンは短く紀更に礼を述べ、船頭に立った。




