8.封閉の過去(下)
「これはどう見るかね」
王都ベラックスディーオ、第二城壁内にある施設「天女の間」。
操言士団団長のコリン・シュトルツは波動符官の操言士ヘンリクと共に、部屋に浮かぶ波動符を難しい表情で見上げていた。空中に浮かぶ大小様々な波動符。それらのいくつかが、小刻みに震えている。まるで水面に広がる波紋のようだ。
「色からするに怯え、慄き、恐れ……何か、危機を察知しているようだ」
天女の間で波動符の監視を行っていたヘンリクは、一部の波動符が乱れたことに気が付き、すぐさま波動符並べを行った。波動符並べの効果はいくつかあるが、そのひとつに、特定の波動をたどり、その波動の持ち主である操言士を探り当てることができる。
その波動符並べの結果、オリジーアではなく隣国サーディアの操言士と思われる者たちが、強い恐怖心を伴いながら操言の力を使っていることがわかった。そして、すぐに団長のコリンをここへ呼んだのだ。
「サーディアで何かが起きている。波動符の揺れが微弱であることから、操言士たちは自分たちの怯えを隠したいと思っている。だが、そう思っている人数は少なくない。サーディアでも怪魔が多発しているのだろうか」
いや、違う。
黙したままのコリンは口には出さなかったが、ヘンリクの呟きを胸の中で否定した。
「どうすべきだろうか、コリン団長」
ヘンリクはコリンよりも年上だが、コリンは操言士団団長だ。この国では王の次に権威ある職に就いている。そのコリンの指示を、ヘンリクは待った。
「まだ、様子を見ます」
「王へ報告せんでいいのかね」
「オリジーアの操言士たちに何かが起きたわけではない。他国の異変をライアン王が把握する必要はないでしょう。引き続き警戒を頼みます」
「承知」
コリンはもう一度波動符をじっと見つめると、天女の間を後にした。
◆◇◆◇◆
(鬼……鬼だわ、この人!)
メルゲントの街中にある人のいない広場の地面に、紀更は今にも座り込んでしまいそうだった。眼鏡をかけた目の前の操言士を見つめる紀更の目は、愕然としながらも疲弊しきっている。
昼食後、道貴はまず紀更に、操言の力で葉っぱを浮かせたり風を吹かせたりといった、当たり障りのない課題を出した。そしてたったそれだけで、紀更が自身の操言の力のゆらめき、波動を感じていないことを見抜いた。
――操言の力が馬鹿デカいんだな。よし、ちょっと鍛えてやるか。
道貴はそう言うと、手のひらを紀更に向けて右腕をまっすぐ伸ばした。その姿に紀更は見覚えがあった。
――赤いゆらめきを押し返せばいいんですよね? 言葉は使わずに。
――お? 王黎とやったことあるのか。
――はい。一度だけですが。
――なら話は早い。ルールは同じだ。オレ様の波動を、自分の波動で押し返してみせな。
言葉を紡ぎ、操言の力を使う。そうすることで、操言士のイメージしたとおりに森羅万象が動き、変化する。イメージと言葉を的確に結び付けることもだが、自分の中にある操言の力を感じ取り、自分の口から出る言葉にその力を乗せることも必要な技術だ。
紀更は、操言院で王黎とそうしたように、自分の中に眠る操言の力を感じ取り、その力のゆらめきで道貴が赤く染めた波動を押し返そうと踏ん張った。しかし道貴の波動はとても硬く、紀更が押そうと思ってもなかなか動かない。
――密度が足りねぇのよ。もっと自分の中にあるものを全部引き出して、一か所に集中させろぃ。
道貴は余裕なようで、煙草を咥えながら紀更の力に抵抗する。
結局、道貴の右腕を覆う赤いゆらめきはほとんどびくともしないまま、紀更の集中力が先に切れてしまった。
――デカすぎる力を制御しきれていないな。ま、それだけ常人離れした量じゃ完全に扱えるようになるには十年以上かかるだろう。紀更、忘れるなよ。お前さんが使える本当の操言の力はそんなもんじゃない。もっと意識して集中して最大出力で力を使えば、今よりも強く長く、効果を発揮することができるだろうよ。
――は……はい……。
それから、道貴はいきなり模擬戦もやった。しかも紀更だけでなく、言従士の紅雷とマークも一緒にだ。
――紀更は紅雷とマークに操言の加護を与えろ。んで、二人でオレ様を攻撃しろ。オレ様の頭上にある操言の力で作ったこの風船を割れたら、お前さんたちの勝ちだ。ただし、オレ様の風船は自由に動かすからな。あと、もちろん防御もする。
――い、いいんですか? 危ないのでは。
紀更がそう心配すると、道貴はニヤりと笑った。
――おうよ。だから、オレ様も全力で抗うからな。
道貴に言われて、紅雷とマークが前衛に立ち、紀更が後衛に立つ。紅雷はこんな風に怪魔と対峙したことが何度かあるが、模擬戦とはいえ、マークは紀更と組むのは初めてだ。自分の操言士から操言の加護をもらうということがどういうことなのか、マークの胸は期待で高鳴った。
そしてその結果は、紀更たちの惨敗だった。
紅雷にはミズイヌ型になってもらい、操言の力で鉤爪を与えて何度も道貴に攻撃したが、紅雷の攻撃すべてが道貴の操言の力で防がれてしまった。一方、マークは短剣を取り出して道貴の頭上に作られた風船を割りに行った。紀更が操言の力で身体能力を強化してくれたため、普段の何倍も高く飛べるし速く動けるので「いける」、と思ったのだが、道貴が素早く風船を移動させ、馬鹿正直にそれを追いかけているうちに息切れしてしまった。
――まだまだだな。紅雷はいい動きをしているが動きと動きの間が長い。一撃で決めようとする心構えはいいが、連続攻撃ってものを憶えな。渾身の一撃で決まることの方が少ないんだ。マークは基礎全般が全然だな。相手の行動の一手先を読むことを憶えろ。逃げる相手がどこに逃げるのか、先回りして手を打てないか考えろ。まあ、お前さんの場合、基本的な体力や攻撃の動きを身に付けることが優先だな。騎士さんたちと一緒にいる間に基本を習うといいんじゃねぇの。
紀更も、そして紅雷もマークも、疲労で喋ることも億劫なのに、若者三人の合計年齢よりも年上のはずの道貴はほとんど息も乱れていなかった。その年齢からは想像もできない体力と、そして紀更たち三人を余裕でいなす実力に紀更は脱帽した。
(容赦がない。王黎師匠以上……違う、王黎師匠の源流がこの道貴さんなのね。すごい……すごいっ! これが守護部の操言士!)
そして道貴は、疲れきった紀更たちが一休みしている間に今度は王黎と最美を相手に模擬戦を始めた。
「王黎、弟子の前でいいところ見せろよ?」
「そうですね。弟子の敵討ちでもしますかね」
王黎と道貴の攻防は、紀更たちのそれよりも当然ながらレベルが高かった。驚いたのは、二人とも攻撃と防御の手が多彩なこと、繰り出す言葉が豊富で早いことだ。そして、王黎の考えを読み取っているのか、ニジドリ型になった最美が王黎の指示なくとも道貴を追い詰めるように攻撃していることだ。
(最美さんって、あんな風に戦うこともできるのね)
紀更が普段見る最美はおしとやかで寡黙で、戦闘時は上空から戦況を把握して王黎に伝達したり、怪魔を弱らせるために作り出した光の玉を守ったりと、どちらかというと支援役に徹していた。
ところが、道貴の頭上の風船を割るために空中を滑空したり、道貴の視界を遮って王黎に攻撃のチャンスを作ったり、かと思えば道貴が防御するのを邪魔したりと、普段見せないアグレッシブさを見せる。それは、道貴に勝ちたいという王黎の願いを手助けしているようにも見えた。
「鍛錬はサボっていないようだな」
「そういう道貴師匠はさすがに衰えましたね。以前よりも早く勝負がつきましたよ」
結果、王黎と最美は連携して道貴の作り出した風船を割ることができた。
「次に行くぞ。メルゲントの祈聖石巡りだ。紀更、生半可な祈りはするんじゃねぇぞ」
二人の模擬戦に見入っていた紀更は、道貴の言葉ではっと意識を戻す。
休む間も与えない鬼のようなスパルタぶりに、紀更はうんともすんとも言うことができず、ただ置いていかれないように必死で道貴の背中を追うのだった。
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