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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第16話 師匠操言士と親の過去

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7.再会(上)

(籠の中の鳥……)


 言い得て妙だ。

 王黎と共に王都を出るまで、紀更はこの国のことはおろか、自分自身の将来についてもぼんやりとしか考えていなかった。考えなくても、日々は平穏に過ぎていった。あの頃は、そんな現状になんの疑問も違和感も抱いていなかった。自分が籠の中にいることさえ気付いていなかったのだろう。

 けれど旅に出て、様々な人と出会って様々な出来事が起きて、あらためて王都に戻って一人前の操言士になって、自分の生きる道を考えてきた。そうだ、自分は籠の中にいる鳥だった。自分に羽ばたける翼があるとは思いもしなかった。自分の足で歩いて見つめるこの世界が、こんなにも広く美しいことを知らなかった。


「アタシら傭兵は今でこそ多くがここメルゲントに定住しているが、仕事を探し求めてさすらう奴らが多かったんだ。いや、今も少なくなったわけじゃないね。あっちの街そっちの村、こっちの森あっちの山。稼ぐため、あるいは活躍して名を揚げるため、アタシらはどこへでも行く。自由な鳥……いや、自由な風みたいなもんさね」

「そうやって生きている人がいることも、私は想像したことさえありませんでした」

「ま、それが普通だね。自分以外の他人の生き方なんか、気にしたところでなんも得はないもんさ。けど、そうだねえ」


 ドリスは黙しているユルゲンを見て、ニヤりと笑う。


「生きていく場所はどこでもいいんだけどね。自分の心のありかってのは、誰かの中にあると安心するもんだ」

「自分の心のありか?」

「誰と生きていくか、ってことさ。紀更、アンタは操言士だ。きっと国のためとか人々のためとか、そういう大義名分を押し付けられたり、自分で大切に思ったり、真面目にやっているんだろう。若いうちはそれでもいい。でも、本当に大切なのは自分自身だ。自分の心が安らかでいられないような生き方はしない方がいい。いろんな都市部を見て回ったように、自分の心の安らぐ場所を探してみるんだ。そしてそれは、できれば誰かの中がいい。傭兵がこの街に定住したように、いつかは紀更も、誰かの中に自分の心のありかを見つけられるといいね。どうだい、ユルゲン」

「ん?」


 説教じみた話の終わりにいきなり名前を呼ばれて、ユルゲンはぼんやりと相槌を打った。


「まあ、いいんじゃねぇの」

「そうじゃないよ! アンタもだよ! 力任せにふらふらと生きるのもいいけどね! ジェイドンとアタシに孫の顔を見せる前におっちぬんじゃないよ!」


 ドリスが孫という単語を口にしたので、話がよからぬ方に進みそうな気配を感じてユルゲンは席を立った。ドリスには特に何も返事をせずに、ささっと食器を片付け始める。


「あの、私も片付けますね。ご馳走様でした。とても美味しかったです」


 ユルゲンの動きに合わせるように、紀更も使った食器を持って洗い場に向かう。


「ああ、紀更! いいよ、ユルゲンも。片付けはアタシがやるから、アンタたちは休みな。移動ばかりで疲れているだろう。紀更はウチに泊まるとして、ユルゲン、アンタは離れでいいのかい?」


 紀更の手を止めて、ドリスが食事の片付けをしながら尋ねた。


「いや、ここの居間を借りていいか。一応、紀更の護衛だからな。同じ空間にいたいんだ」


 台所をドリスに明け渡し、ユルゲンは答える。

 この母屋はジェイドンとドリス夫妻の家で、どうやらユルゲンの本来の住まいは離れの方らしい。確かに、この家のすぐ隣にもうひとつ小さな建物があった気がする。


「ああ、好きにしな。ただし――」

「――わかってるって。なんもしねぇよ。だからここの居間を借りたいんだよ」


 穴撃、という言葉は使われなかったが、ドリスとユルゲンの会話はそのことを意味している。紀更はそう気付いたが、自分には特に関係のない話だ、というふりをしておいた方が身のためだと思い、すまし顔で黙っていた。

 その夜、紀更は居間のソファで、ユルゲンはその傍らの床で一夜を明かしたのだった。



     ◆◇◆◇◆



「最美、先にメルゲントに行って、紀更とユルゲンくんの居場所を把握しておいてくれるかい? 僕らが着いたら合流できるように、双声器で誘導してくれ」

「畏まりました、我が君」


 夜が明けて、メリフォース城下町に弐の鐘が鳴り響く。王黎たちは宿を出て、傭兵の街メルゲントを目指すためにメリフォースを出発した。

 道貴を置いて先に出発できないだろうかと王黎は思ったのだが、老人は早起きだった。王黎たちが宿を出るよりも前に、道貴はすでに宿の談話室で一服しながら待ち構えており、あっさりと予定通り同行することになった。


「はあ……道貴師匠、ほんとに来るんですか」

「おうよ」

「メリフォース操言支部にはきちんと外出を伝えてきましたか」

「ま、大丈夫だろ」


 昨日と違って今日は操言ローブを羽織っている道貴だが、どうやら操言支部には外出することを告げていないようだ。メリフォースとメルゲントは近いので、片道半日もかからない。今は歩きで行くが、馬を使えばもっと早く行き来できる。万が一の場合はすぐ戻れるので、「ちょっと散歩に行く」程度の軽い気持ちで付いてくるのだろう。


「支部から何か言われても、僕はフォローしませんからね」

「安心しろ。お前に助けてもらわにゃならんほど年寄りにはなっていない」

「昨日、年寄りになるとーって言ってたくせに」


 王黎がそう言うと、道貴は王黎の頭をぺちん、とはたいた。



     ◆◇◆◇◆



「ユルゲンさん、どこに行くんですか」

「街の集会所だ。そこで親父を待つ」


 ドリスの作った朝食をありがたく平らげた紀更は、昨日と同じようにユルゲンの隣を歩いた。並んで歩くか、あるいはユルゲンの半歩うしろを歩くか、その位置がすっかり身体に染み付いている気がする。


「集会所って何ですか」

「傭兵の集まる場所だ。それなりの大きさの傭兵団なら個別の本部を持っている。けど、そうじゃねぇ傭兵の集団やフリーの傭兵は集会所で仕事を探すんだ。デカい掲示板があって、いろんな依頼が張り出されてる。直接傭兵に用事を頼みたい奴も来るし、いろんな傭兵と情報交換もできるからな」

「ユルゲンさんの育てのお父さん……ジェイドンさんは、メリフォースからそこへ来るんですね」


 ユルゲンの養父のことをなんと呼んでよいものか、紀更は言葉に詰まった。ユルゲン自身は「親父」と呼んでいるが、ドリスのことは「女将さん」と呼んでいるし、なんと呼ぶのが正解なのだろう。それに、紀更から見れば好いた男性の育ての親なので、何か失礼があってはいけないとも思うのだが、そんな風に意識するのはまだ早すぎるような、さすがに先走りすぎているような、そんな気持ちもあった。


「親父はメルゲント傭兵団の所属だが、集会所にも顔を出すはずだからな。メリフォースから戻ってきて先に集会所に行くか、本部に行くか……まあ賭けだな」

「そうですか」


 ドリスの前でもそうだったが、妙にそわそわと落ち着きのない紀更の様子に気が付いていながら、ユルゲンはその姿を見て黙ったままふっと笑った。


(変に意識しなくてもいいんだけどな)


 紀更と想いが通じ合ってから、まだ十日と経っていない。成り行きでドリスに、そしてこれからジェイドンに――自分の育ての親に紀更を会わせることになってしまったが、それはそもそも別の目的のためだ。紀更が一人で緊張感を持つ必要はないのだが――。


(――それを嬉しく思っちまう。へんに触れないでおくか)


 肩に力を入れるな。気にしなくていい。そう助け舟を出すことはできる。

 しかし、ユルゲンの育ての親だということを意識してぎこちなくなっている紀更がほほ笑ましいので、ユルゲンはあえて刺激しないでおくことにした。


「着いたぞ」


 そして二人は集会所に到着した。そこは役場かと思うほど街の中でも大きな建物だった。二階建てで、表玄関のドアは開け放たれたままになっており、絶えず人が出入りしている。そのほとんどが、ユルゲンと同じように体格がよくて髭をたくわえており、全員が何かしらの武器や防具を身に着けていた。


「すごい……傭兵さんがたくさんいますね」

「俺を見失うなよ?」

「だ、大丈夫です!」


 ユルゲンにからかわれて紀更は少しむすっとした表情で返した。


「さて、中でしばらく待つか」


 ジェイドンはどのような用事でメリフォースに行ったのか。そしていつ戻るのか。仔細をドリスから聞かなかったので、それがわからない以上、王黎たちのメルゲント到着も含めて待つしかないだろう。

 ユルゲンは紀更の背中を押し、集会所の中に入る。だが、その足はすぐに止まった。


「ユルゲンさん?」


 紀更が不審に思い、ユルゲンを見上げる。

 ユルゲンはまっすぐに集会所の中を見つめていた。


()ぇな」

「え?」

「親父だ」


 そう言ってすたすたと大股で集会所の中へ進んでいくユルゲンの背中を、紀更は小走りで追いかけた。そして、ユルゲンは掲示板を見つめている一人の男に声をかけた。


「親父、戻ったのか」

「ん? お? おお、ユルゲンじゃねぇか!」


 男――ジェイドンはユルゲンよりやや背が低く、ドリスと同じように横幅の広い体型だった。短い足は防具のせいかどっしりと太くたくましく、まるで丸太のようだ。もみあげから顔のラインを覆う豊かな髭に、日焼けした肌。なるほど、ユルゲンとは血のつながりが一切ない、と思わせるほど、外見的特徴はユルゲンに似ていなかった。

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