6.傭兵の街メルゲント(下)
「っ……最美さん!」
二人の目の前にニジドリが下り立ったかと思うと、それはぬらりと姿を変えて人型になった。それが最美だとわかった瞬間に、紀更は最美に駆け寄った。
「紀更様、ユルゲン様、ご無事で何よりです」
「最美さんも! あ、あの! 王黎師匠たちは!? どうして最美さんがここに!?」
ピラーオルドに攫われて心配されるのは自分の方だということをすっかり忘れて、紀更ははぐれたままの一行の安否を確認する。そんな紀更に、最美は小さくほほ笑んだ。
「ええ、無事ですわ。今は全員そろってメリフォースの城下町にいます」
紀更にこれといった異変などはなく、攫われる前と何も変わらない様子でいることが見て取れて、最美はほっと胸をなでおろした。
「そうですか。よかった」
「紀更、それは俺たちの台詞だ。攫われたのは君なんだぞ?」
「あ、はい。その……そうなんですけど」
ユルゲンにも言われて、紀更は苦笑した。
「紀更様、ユルゲン様、我が君より伝言があります。今夜はメルゲントにとどまり、明日、我が君たちがメルゲントに行くまで待っていてほしい、とのことです」
「王黎師匠、私たちがここにいることを知ってるんですか?」
「セカンディアにいた折、マークさんが、紀更様の魂は海を越えてオリジーアのコールチャ半島にあると感じたそうです。それを根拠に我が君は、紀更様たちがメルゲントを目指すはず、と推測なされたのです」
「マーク……そっか、マークが」
「彼もセカンディアから共に来て、メリフォースにいます。紀更様、明日マークさんと再会したら、ぜひ彼を労わってあげてください」
最美は穏やかに笑った。
紀更の、二人目の言従士マーク。なぜ二人目の言従士がいるのかわからないが、故郷の里も国も出て自分の操言士の傍にいようとする少年の思いは、間違いなく言従士のそれだ。そのことを見て感じ取っていた最美は、同じ言従士として少しでも彼が報われればいいと思った。
「はい、必ず……。でも、紅雷が拗ねちゃうかもですね」
「ええ、ですから同じくらいに紅雷さんのことも労わってあげてください。ロムザの街で紀更様を守れなかったと、とても落ち込んでいましたから」
「紅雷……」
「わたくしたち言従士にとって、自分の操言士は世界でたった一人の特別な存在です。ほかの何ものにも変えられないほど、とても大事な人なんです。その方からたった一言でもお礼を言われたり褒められたりするだけで、わたくしたちは満足なんです。どうか――」
最美はちらっとユルゲンを見やり、それから紀更に視線を戻した。
「――言従士は言従士として、気にかけてくださいまし」
たとえ、特別な想いを抱く異性がほかにいるのだとしても。
操言士として言従士をねぎらい、思いやり、目を向けてほしい。それは言従士最美の、ささやかな紀更への願いだ。
「はい、最美さん。ありがとうございます、いつも紅雷のお手本になってくださって……それと、これからはマークのお手本にも、ですかね」
「いいえ、わたくしなんてまだまだ。我が君のお役にもっと立たねばならぬ身ですわ」
最美はそう謙遜すると、またニジドリの姿になって夕焼けの空へ羽ばたいた。
「言従士は言従士として、か」
小さくなっていく最美の姿を見上げ、紀更は呟く。
紅雷に会ったら、たくさんなでてあげよう。人型のままでは少し恥ずかしいからミズイヌ型になってもらって、桜色の毛をもふもふとたくさんなでよう。尻尾をはち切れんばかりに振って、きっと喜んでくれるだろう。
それから、マークにも。あの雨の夜、ユルゲンと一緒に助けに来てくれてありがとうと伝えよう。嬉しかったと。そして、これからよろしくと。まだまだ未熟だが、オリジーアのため、この国の人々のため、操言士としての務めを果たしたいと思っている自分をどうか紅雷と共に支えてほしいと、頼ってみよう。操言士を信じて付き従ってくれる言従士――彼らに対する最高の誠意は、彼らを信じて頼り、活かすことだから。
「はあ~」
最美の姿が見えなくなると、ユルゲンはため息をついた。それから、付近に人の気配がないことを確かめて、細い腰に両腕を回すように紀更を背後から抱きしめる。そして紀更の後頭部に頬ずりをした。
「ユルゲンさん?」
突然のことに驚いた紀更は、上ずった声で彼の名前を呼んだ。
「ど、どうしました?」
「んー……」
明日になれば、別れていた旅の仲間がそろう。そこに不満はないのだが、それは同時に、紀更を独占できる時間の終わりを意味する。
あの雨の夜からしばらく、朝から晩まで一日中紀更を独り占めにしていたので、明日からまた、なんでもない顔で紀更とは適切な距離をとり続けないといけないと思うと、一抹の不満と寂しさがユルゲンの胸の中に吹きすさんだ。
王黎やエリックたちの目、紅雷やマークなど紀更の言従士たちの目、それらがなければこうして気持ちがたかぶった時に好きなだけ紀更にふれられるのに。それもしばらく我慢だ。
「やっぱり、今夜は穴撃すればよかった」
「その穴撃って、なんですか」
ドリスも言っていたが、紀更には聞き慣れない単語だ。傭兵が使う言葉なのだろうか。
「紀更にもわかるように言うと、寝台の上で素っ裸の君をかわいがる、って意味だ」
「なっ、え、そ、そんな意味なんですかっ」
「安心しきって巣穴にいる獲物に突撃する、って由来らしい。巣穴が寝台ってことだな」
予想外に卑猥な意味だったので、紀更の頬は真っ赤になった。
(ドリスさんっ、なんてことをっ)
「明日になったら、しばらく君を独占するのはお預けだな。紅雷とマークが黙っていなさそうだ」
「そう、ですね」
ユルゲンの言うとおりだ。
ここ数日はユルゲンと二人きりで、幾度となく甘ったるい空気に浸っていたが、明日からは団体行動に戻るのだ。二人の個人的な感情や関係は、なるべく隠しておかなければ仲間に迷惑がかかるだろう。最美に言われたとおり、操言士として言従士を気にかけてやる必要もある。ユルゲンは紀更を独占できないし、紀更もユルゲンだけを気にかけてはいられないのだ。
ユルゲンが突然抱きしめてきた理由をようやく理解し、紀更は自分の腰に回っているユルゲンの腕をなでさすった。
「ユルゲンさん、好きですよ。私は操言士ですが、でも一人の人間として、素敵な男性であるユルゲンさんのこと、大好きですから」
操言士とか傭兵とか護衛対象とか、そういう身分は一切なしにして。
一人の女として一人の男を――彼を、愛している。
「まったく。ほんとかわいいな、紀更。俺も好きだよ。たまらなくな」
ユルゲンは紀更のこめかみにちゅっとキスを落とすと、ようやく紀更を解放して再び歩き始めた。
「親父が帰ってきたら、訊きたいことがある。俺の今の仕事仲間も一緒に」
紀更はユルゲンの実家――ユルゲンの育ての親である傭兵ジェイドンとその妻ドリスの住む一軒家にお邪魔し、ドリスの作る夕飯をご馳走になっていた。その夕餉の終わりに、ユルゲンはドリスにそう言って切り出した。
「仕事仲間ってのは?」
「紀更の師匠の操言士、その他諸々だ」
「彼らはいまどこにいるんだい」
「メリフォースだ。明日、こっちに来るそうだ」
「そうかい。ジェイドン次第だが、店はほかの奴らに任せられるようにするよ」
ユルゲンの要望に、ドリスは頷いた。黒船食堂をほかの従業員に任せるということは、ドリスも話し合いの場に同席するのだろうか。
「あの、ドリスさん。訊きたいことというのは」
紀更がおずおずと要件を切り出そうとしたが、ドリスは紀更の声を遮った。
「全員そろってから聞くよ。関係者がそろっていないのなら重要な話はしない、ってのが傭兵の流儀なんでね」
「ドリスさんも傭兵なんですか」
まるで自分の美学を語るようにドリスが言ったので、紀更は尋ねた。
「ああ、そうだよ。だいぶ前に引退したけどね。この街に住むのは現役の傭兵か元傭兵、それから傭兵を目指す奴らばかりさ」
「傭兵の街、と呼ばれるだけありますね」
「むさ苦しい街さね。紀更は出身も育ちも王都なのかい?」
「はい。王都から出たことも、少し前まではほとんどなくて」
王都は広い。生きるのに必要なものは、王都の中にすべてそろっている。商人や運び屋など、王都とそれ以外の都市部を行き来する者も大勢いるが、そんな彼らも居住地は王都である場合が多い。騎士や操言士、フリーの傭兵でもないかぎり、王都から一度も出ずに一生を終える者も少なくない。王都を離れて別の都市部で生きるだけの理由を持たない者が大半を占めるからだ。
「それじゃあ、メルゲントは野暮ったくて驚いただろう」
「いえ、そんなことは……。ここ最近、メルゲント以外にもいろんな都市部を初めて訪れたんですけど、どこも雰囲気が違って……その、なんていうか……ああ、自分は物知らずだったなあって思うばかりで。そんな、野暮とかは」
「ははっ。そうかい。籠の中の鳥が初めて外に出て羽ばたいてみて、戸惑っちまった感じかい!」
ドリスは豪快に笑った。




