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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第02話 消えた操言士と闇夜の襲撃
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4.修行(上)

 操言院で学んでいた間に、修了試験に合格した見習いたちを何人か見てきた。そのほとんどは紀更と同じ年齢くらいで、一人か二人、十五歳くらいで合格した見習いがいる、と聞いたことはある。十五歳でも珍しいと噂になったくらいなのに、わずか九歳で合格するとは信じがたい。


「まあ、修了試験の内容は時々見直されて変わるしね。一概に今の時代と比べることはできないけど、コリン団長の実力は本物だよ。じゃなきゃ団長にもなれないしね」

(コリン団長は、王黎師匠よりもすごい操言士ってことかしら)


 紀更が顔を合わせたことのある一人前の操言士は、意外と少ない。師匠の王黎を除けば、家にやって来た操言士団の使者レオンのほか、操言院の教師操言士が数名、そんなものだ。

 王黎と王黎以外の操言士たちの力の差がどれくらいのものなのか、比較対象が少ないので紀更にはわからない。だが、王黎が遠回しではなく直球ですごいと認めるのだから、コリンの操言士としての力は相当なものなのだろう。


(操言士団の団長さん……)


 操言士団に対する紀更の印象は、あまり良いものではない。

 レオンという操言士の一方的で横柄な態度や、操言院の教師操言士たちの理不尽な叱責。それらの印象が強すぎて、操言士団のトップであるコリンも、きっと威圧的で融通がきかない人なのだろうと、自然と思ってしまう。紀更の中にある操言士団に対する苦手意識は、まだ払拭できそうになかった。


「コリン団長は小さい頃から本を読むのが好きだったらしい。この国にあるすべての本を読んだと言われているほどにね。だからきっと、語彙が豊富でそれに伴うイメージも豊かなんだろうね」

「私も本を読んだ方がいいですか」

「いや、紀更はコリン団長みたいなタイプじゃないよ」


 王黎は苦笑する。それから、大きく背伸びをして深呼吸をすると、空、木々、建物、地面と視線を移した。


「キミはこうやって自然の中で、周りを感じながら鍛錬をした方がいいと思うよ」

「周りを感じながら?」

「紀更は、自分が操言の力を使った時のことをはっきりと憶えていない、と言ったね。でも頑張って思い出してごらん。数日前、王都を出てレイト東街道を進んでいた時のことだ。初めて怪魔と遭遇した、その直前。キミ、操言の力で風を吹かしただろう?」

「あ……」


 そう言われて、紀更は思い出した。

 王都に生まれ育った紀更が王都を出るのは、とても久しぶりだった。王都の中にも自然はあるが、そのほとんどは人が管理しやすいように整備されている。しかし、レイト東街道を進んでいた時は、人の手がほとんど入っていないイーグの森の中を通ったこともあり、ありのままの自然の中にいるような気がした。

 そんな中で吹いてきた風が気持ちよくて、思わずもっと優しい風が吹いてほしいと思って呟いた――操言の力を使っていた。


「その時キミは何を思った?」

「操言院で習ったことを思い出して……でも、そうじゃないなって思いました」

「もう少し具体的に教えてくれる?」

「えっと……操言院では、操言の力を発揮するための定型句を暗記させられました。たとえば、風を吹かせるためには〝風よ、威信をもって啼け〟とか」

「堅苦しい言葉だねえ」

「そう、そうなんです! 操言院で学んでいる時はその言葉で納得しなきゃ、って思ってたんですけど、自然の中にいたら、そんな角ばった言葉は似合わない気がして。それで、思わず自分で呟いていたんだと思います」

「自分が思う、〝自然に吹く風に合った言葉〟を、かな?」

「はい。半分は無意識だったと思うんですけど。風が、もっとやさしくたくさん吹いてくれたらいいなって……ただそう思って」


 そこまで語り、紀更は気が付いた。少し晴れ晴れとした表情で王黎を見る。


「自然の中で周りを感じながらって、そういうことですか」

「そういうこと、って?」


 あえて意地悪に王黎は訊き返したが、紀更は自分の言葉で整理した。


「言葉を……えっと、言葉を先に用意するんじゃなくて、目とか耳とか肌で感じて……感じたことをイメージしながら言葉を紡ぐ……私はそういう風に操言の力の使い方を学んでいった方が合っているのかな、と」

「うん、いいね。正解」


 よくできた弟子を、王黎は素直に褒めた。


「コリン団長はね、本当に本が好きなんだ。知らない出来事や知らない言葉、そういう未知のものに触れて、それってなんだろう、って想像したり考えたり、そうして答えを突き詰めていく、そういう作業が好きなタイプの人なんだと思う。そういう人は先に言葉を知って、そこにイメージを結び付けていく方が性に合ってる。でも紀更は真逆だね。言葉はあとからでいい。ふと肌で感じる風のやわらかさ。怪魔に遭遇して、なんとかしなければと覚える危機感。そういう感覚や体験を先にして、そのうえでどうしたいか、どうすべきか、必要な言葉を探して当てはめる。リンゴって言葉を知ってから赤い塊を見るか、赤い塊を見てからリンゴという言葉を知るか。その違いだね」

「納得しました」


 紀更は充足感で胸がいっぱいになった。

 どうして操言院では、最初にこう教えてくれなかったのだろう。どうして画一的に、誰もがみなただ定型句を憶えるだけのような、そういう教育なのだろう。


「確かに、コリン団長のような学び方は、私には合わないと思います」

「まあ、怪魔と遭遇してから怪魔との戦闘方法を考える、ってのはちょっと危険すぎるんだけどね」

「ふふっ、それはそうですね」


 紀更は小さく笑った。


「だから、先に言葉を憶えておく方法も、理には適ってるんだ。祈聖石の保守や、それこそ怪魔と戦う時みたいに、やるべきことや方法が決まっている場合は、先に言葉を憶えておいて、そこにイメージを付与させた方が、自分でどうするか考えたり感じたりするより習得は早い」

「確かに……」


 紀更は、王黎と巡ってきた祈聖石の保守作業を思い出した。

 祈聖石の擬態を解く、乳白色にする、祈りを込める、再び擬態させる。それら一連の工程は定められたもので、いつ誰がやっても同じ結果にならなければならない。また、昨日と今日で目的が変わるということもない。


「手順が定まっていて必ず同じ結果を導く作業に、操言士や言葉の個性はそんなに必要じゃない。みんなで同じ言葉を使うのが一般的だ。その代表例が祈聖石の保守。これに必要な言葉は先に憶えた方がいいね。同じ結果になるなら自作の言葉でもいいんだけど、それを考えるくらいなら、先人たちが編んで磨き上げた定型句を使って、そこにいかに具体的で美しくて強いイメージを結び付けるか、そっちの修練を積んだ方が早く成長できるのは間違いないね」

「祈聖石に関する言葉を憶えようとおっしゃっていたのは、そういうことだったんですね」


 紀更の中で、点と点が結ばれていく。王都を出て都市部を見たこと、怪魔と遭遇して恐怖を感じ慄いたこと、王黎と祈聖石を巡ったこと。その土台になった、一年間の操言院での詰め込み授業。ひとつひとつ独立した事象としかとらえていなかったものが、意味を持ってつながっていく。無駄なものは何もない。すべてのことが、いつかどこかで何かとつながり、自分を育てる肥やしになっていく。それは爽快感にも似た感覚だった。


「面白いですね」


 紀更は思わず声に出していた。自分のその声が聞こえて、はっとした。


「あ、す、すみません。真面目な話なのに面白いなんて、ふざけてるみたいで」

「いや、構わないよ。『つまらない、本当はやりたくない。やりたくてやってるわけじゃない。強制されたから仕方なく、誰かの代わりにやっているだけ』……そんな風に思われるより、よっぽどいいよ」


 王黎の言葉には少し棘があった。


――特別な待遇なんて、私が頼んだわけじゃないのに。


 それは間違いなく、少し前までの紀更のことだった。弟の俊を亡くした慰めになる、なんて言葉で飾って、これは自分の人生なのだと真面目に考えることもなく、両親や操言士団との間に波風が立たないように、無難だと思う道をとりあえず歩いているだけだった。


「王黎師匠は……」

――僕は、学び取る意志や姿勢のない者に多くの学を与える必要はないと思っている。


 ノノニス川で、王黎はそう言った。それはつまり、学ぶことに対してもっと自発的になれ、主体性を持て、ということなのだ。


「私が受け身の姿勢のままだったから……だから私を放っておいたんですね」


 見習い操言士の立場にもかかわらず、特別な配慮によって師弟関係を結ぶことになった紀更と王黎。しかし紀更が操言院にいた頃、王黎はたまに紀更と雑談をするだけで、師匠らしく何かを教えるということはなかった。その時は操言院の授業に追いつくのに必死だったので放っておいてくれることがありがたく、なぜ放っておかれるのかは深く考えなかったが、今になって当時の王黎の意図がわかる。


「あの時の私はまだ、考えることも学ぶことも一人称ではなくて……やらされている、としか思っていなかったですから」

「そうだね。まあ、僕もそれなりに忙しかったし? キミも必死だったし?」


 王黎は自分の意図を悟られたのが恥ずかしいのか、いつも以上に軽い口調でまくしたてた。

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