3.手始め(上)
「そんなわけで、初期実戦期間中はラフーアに滞在していたんです」
「エリックさんもですか?」
紀更は黙っているエリックを見やった。よほど思い出したくないことがあったのか、エリックは苦々しそうな声でそうだな、と一言返すだけだった。
「時代の流れとともに、多少ムチは優しくなったのかもしれませんが、エリックさんが見習い騎士だった時は今以上にムチとムチとムチ、それからムチ、というぐらいに厳しかったそうですよ」
「思い出したくはないな」
「そんなにですか」
普段は冷静沈着なエリックがあからさまに顔を青くするのだから、それはよほど厳しい訓練だったのだろう。
それがどんな訓練なのか紀更には想像もできないが、日々紀更たち一般市民を守ってくれる騎士は、そのように過酷な訓練を乗り越えてきているのだ。怪魔カルーテの一匹や二匹、簡単に屠れるはずである。
「王黎、依頼を受けてきたぞ」
そこへユルゲンが戻ってきた。ユルゲンは王黎の隣に腰を下ろしつつ、店員から熱めの白湯を受け取り、一気に喉に流し込んだ。
「どんなのだい?」
「ご希望どおり、怪魔退治だ。ウージャハラ草原でカルーテ二十匹、クフヴェ三匹を退治してほしいそうだ」
「カルーテだけじゃなくて、クフヴェもか。一人で平気かい?」
「その依頼を受けようとしていた二人組の傭兵がいたから、組ませてもらった。今夜このあと、街を出て草原に行くそうだから俺も同行する。構わないか」
「うん、いいよ。怪魔の活動時間帯は夜だしね。明日の夕方とかに戻ってこられるかな」
「今夜中にケリがつけばな。最悪、明日の夜を狙うからへたしたら戻るのは二日後だ」
「わかった。頼むね」
王黎は真面目な表情で頷いた。
「ユルゲンさん、操言士はいなくてもいいんですか」
王黎とユルゲンの会話を聞いていた紀更が、不安を浮かべた瞳でユルゲンを見つめた。
記憶に新しい、怪魔キヴィネとの戦い。強い怪魔に遭遇した場合、操言の力がないと怪魔を斃すことはできないだろう。
「大丈夫だ。二人組の方が、被加護の武器を持ってる」
「ひかご?」
心配と疑問の両方を素直に浮かべる紀更に、ユルゲンは唇の端を上げてかすかな笑みを浮かべた。
「師匠に教えてもらうんだな、見習い操言士さん」
ユルゲンはそう言い残して、一足先にきらら亭を出ていった。宿に戻って身支度をしたら、その二人組の傭兵と一緒に街を出るのだろう。
軽やかに去っていくユルゲンの背中を、紀更は名残惜しげに見つめた。なぜだかわからないが、急に置いていかれたような気がして、胸の中に隙間風が吹きすさんだ。
「紀更、そんな顔をしても、キミはユルゲンくんと一緒に怪魔退治には行けないよ。キミはまだ、怪魔との戦闘が怖いだろう?」
一緒に怪魔退治には行けない――。
王黎に言われて、紀更は寂しさの理由が腑に落ちた。
(私、一緒に行きたいと思ったんだ)
ユルゲンは初対面の傭兵とあっさりパーティを組み、危険な夜の都市部外へ軽やかに出向いてしまう。そこに恐れやためらいはない。経験を重ねて、自分にできることを知っているからだろう。
一方、自分はどうだ? 祈聖石に祈りを込めることもできない、未熟な見習い操言士。ユルゲンやルーカスたちと一緒に戦うこともできず、ただ守ってもらうだけだ。それに王黎の言うとおり、怪魔との戦闘は怖いと思ってしまう。きっと、いま再びキヴィネを目の前にしたら、恐怖で足がすくむだろう。ルーカスの言葉を借りるならば、戦闘の恐怖を克服できていないということだ。
それなのにユルゲンに「置いていかれた」と思ってしまうということは、一緒に行きたいということだ。しかし今の紀更は戦力外。戦闘の場にいても役には立たない。怪魔と戦うなら操言の力が必要だろうに、紀更が操言士としてカウントされ、必要とされることはない。ひとえに、己が未熟だからだ。そんな自分が、紀更は無性に悔しくなった。
「大丈夫。一人前の操言士になって怪魔と戦うのも怖くなくなれば、いつでもどこでも、必要としてもらえるよ」
王黎は紀更の心内が手に取るようにわかっているのか、優しい声音で言った。
「切り替えも大事だよ。キミがいますべきことは、とにかく基本からひとつずつ身に付けることだからね」
「はい」
紀更は元気いっぱいに、とはいかなかったが、落ち込んだ気持ちを自分で立て直そうと、しっかりと頷いた。
◆◇◆◇◆
オリジーアで傭兵という職業が市民権を得たのはわりと最近で、六十年ほど前、第二次オルフェ戦争の頃だと言われている。
隣国セカンディアと幾度かにわたって戦争をし、休戦中であっても国境沿いで小競り合いが多発していた頃、騎士団だけでは足りなくなった戦力を補うために、主に騎士の代わりに怪魔と戦っていた平和民団の傭兵たちが、報酬と引き換えにセカンディアとの戦場に立ち始めた。そこから紆余曲折を経て、己の力や能力を契約に基づいて提供し報酬を得る、今の傭兵というスタイルが確立した。
一般的な傭兵は、傭兵団等、特定の組織に所属する。大きな組織の場合はリーダーを筆頭に会計や事務などの裏方メンバーと、実際に仕事を行う実務メンバーで構成されており、所属メンバーは働きぶりに応じて組織から賃金が支払われる。また、無所属のフリー傭兵でないかぎり、所属組織を通さずに個人で仕事を受けることはご法度とされ、その規律を破った者はペナルティを課されるか組織を追い出される。命の危険性と報酬を交換する彼らにとって、横のつながり、縦のつながり、そして組織のつながりは絶対であって揺らいではいけないからだ。
常時武器を装備し、身体も強く鍛えているからこそ、メンバー全員が誰かを傷つける可能性があり、そして傷つける可能性を疑われる。そんな中でお互いを信頼し合うには、物事をクリーンにしておく必要がある。具体的には、命令系統と報酬の透明さだ。
オリジーアは先代王チャルズの即位以降、セカンディアと国交はないが戦争もない平和な時代が続いており、戦争に傭兵の手が必要とされる機会はなくなった。その代わり、騎士団では手の届かない地域の治安維持や怪魔退治に必要とされ、仕事の依頼は途切れることなく舞い込んでくる。
そんなオリジーアの中で一番大きな傭兵の組織は、「メルゲント傭兵団」だ。その名が冠するとおり、傭兵の街メルゲントを実質的に仕切っている組織である。
ユルゲンはメルゲント傭兵団に所属していたが、王黎たちに語ったように、一ヶ月ほど前に組織を脱退してフリーになり、メルゲントの街を出て各地を転々としていた。きらら亭で出会った二人の傭兵も、同じような境遇だった。
傭兵同士の場合、初対面の相手とパーティを組むことは珍しくない。特定の傭兵団等に所属せずフリーで仕事を請け負っているならなおさら、その日に顔を合わせたばかりの同業者と背中を預け合うことはよくあることだ。
きらら亭から宿に戻り、防具を身に着けたユルゲンは街の西口に向かった。ほどなくして、二人組の傭兵がユルゲンに声をかけた。赤毛の楊と、金髪のミケルだ。
「待たせたな」
「いや、そうでもない」
二人はどの傭兵組織にも所属していないフリーの傭兵で、二人でコンビを組んで仕事を探しながら、都市部間を行き来しているのだと言った。
「まずはワル営所を目指す。そこから南ウージャハラ草原を南下するぞ」
赤毛の楊が声をかけ、三人は陽が沈んですっかり暗くなった西国道を西へ進んだ。
ウージャハラ草原を左右に見ながら進む西国道は、エンク台地を南から回っていけばオリジーア最西端のゼルヴァイス城に到達する。昼間はそれなりに人が行き交う道で、道中には主に騎士団が管理している営所がいくつかあり、騎士だけでなく隊商や操言士もそこで休憩をしたり、夜を明かしたりしていた。
今回ユルゲンたちが合同で引き受けた依頼は、南ウージャハラ草原に出没している怪魔を退治してほしいという内容だ。依頼主は音の街ラフーアの町長で、すなわち自治体からの依頼だった。
楊とミケルは、最近はゼルヴァイス城とラフーアを行き来しては依頼を受けて、生計を立てていると言った。楊の方が二歳年上なので二人の間では楊がリーダーとなっており、ユルゲンはきらら亭でパーティを組む際にそのことを了承した。
「俺は今日、水の村レイトからラフーアに来たばかりだ。二人はいつからラフーアにいるんだ?」
先頭を歩く楊の持つ携帯用明灯器の灯りを頼りに夜道を進みながら、ユルゲンは二人に話しかけた。ただし、人に質問をするときは先に自分のことを明かしてから、という傭兵同士の暗黙ルールを忘れずに。
「オレたちは今日の朝一に到着したばかりだ」
「ゼルヴァイス城にいたが、ラフーアやレイト周辺で怪魔が多く発生しているらしいと聞いてな。稼ぎ時かと思って来たんだ」
楊とミケルは順番に答える。ユルゲンも足を止めずに雑談を続けた。
「確かに、数日前のレイト周辺はいつもより怪魔が多かったよ」
「怪魔はいつどんなタイミングで発生するかわからないからなあ。たまたまそういう時期なのかもしれないな」
淡々と答える楊に、ユルゲンはそうだなと頷いた。
(ラフーア付近も怪魔が多い……それは本当か?)
レイトで怪魔が多発していたのは、村周辺の祈聖石が効力切れを起こしていためだ。ラフーア周辺も怪魔が多く出現しているとなると、ラフーアの祈聖石も効力切れを起こしているのだろうか。だが王黎いわく、ラフーアの祈聖石の保守は手抜かりなく実施されているとの話だった。
(王黎がやけに気にするから、俺も気になっちまうな)
ユルゲンは気を付けているつもりだが、自分もすっかり、王黎のペースに乗せられている気がした。