2.きらら亭(下)
「それは構わないよ。ただ、ほかにすべきことをしてからね」
「ほかにすべきこと、ですか?」
「うん」
王黎は〝先生〟の顔をしていた。
先ほどエリックから要求されたのは、怪魔との戦闘における紀更の能力向上だった。しかし、戦闘時に必要とされるスキルの前に、操言士本来の基礎から教える、というのが王黎の師匠としての考えだった。
「紀更はまず、祈聖石に関する言葉を憶えよう。それから、操言の力の使い方、操言士が力を使ってすべきこと、その基本を集中的に身に付けようか」
「っ……!」
ようやく、教える師匠と学ぶ弟子らしいことが始まる。そう気が付いた紀更は目を輝かせて、希望に満ちた表情で頷いた。
「はいっ、お願いします!」
「いい返事だ。頑張ろうね。ところで、ユルゲンくんにお願いなんだけどね」
「ん? 俺か?」
話しかけられるとは思っていなかったのか、油断していたユルゲンは少し間の抜けた声を出した。
「怪魔退治系の依頼を受けてきてほしいんだ」
「怪魔退治限定か?」
「正確には、街の外に出る必要がある依頼だね。外の様子を見てきてほしいんだ」
「レイトみたいに、怪魔の出現が頻発していないかどうかを知りたいんだな?」
「そうそう。レイトからここに来るまではいつもと変わらない感じだったから、大丈夫だとは思うけど。少しでもおかしな感じがあったら、教えてほしい」
王黎の狙いをすぐに読むユルゲンは、まるで高速キャッチボールでもするかのようにテンポよく話を進めた。
「依頼を受けるのは構わんが、俺はこのあたりの普段の様子を知らないから比較しようがないぞ?」
「普段と比較しなくても、ユルゲンくん自身が何か思うところがあれば、それを教えてくれたらいいよ。誰かに聞いてもらってもいいし」
「それでいいならお安い御用だ。ちょうど刀も振るいたいところだったしな」
「これから〝きらら亭〟に行くから、そこでちょうどいい感じの依頼を引き受けてね」
「あの……」
ユルゲンと王黎の会話が一段落した隙をうかがって、紀更が小さく手を上げた。
「王黎師匠、最美さんはどこに?」
「ああ、最美にもちょっとお使いを頼んでるんだ。明日まで戻らないよ」
「お使い?」
「紀更、もしかして一人じゃ寂しくて寝られない? それなら添い寝してあげるよ? ユルゲンくんがね」
「おいっ」
紀更を満面の笑みでからかう王黎の肩を、ユルゲンは強くはたいた。
「平気です! どこに行ったのかなって、心配しただけですから!」
紀更はぷりぷりと怒りを浮かべて、王黎をねめつける。ユルゲンと紀更の両方から睨まれても、王黎はくすくすと笑うだけだった。
それから五人は宿を出て、大衆食堂「きらら亭」へ繰り出した。
水の村レイトで食堂と言えば宿の一階のことを指したが、音の街ラフーアはレイトより規模が大きい都市部のため、街のあちこちに飲食店がある。その中で最も大きく、最も有名な大衆食堂がきらら亭だ。
宿を出て左手に進んだ角にあるきらら亭は、街の住民たちが一日の仕事終わりに集まって酒を飲み交わし、その日の出来事を語り合う場だ。街の外で怪魔と戦ってきた騎士たちや、宿に泊まっている客たちも食事に来ることが多く、開店から閉店まで客が途切れることがない。
そこで夕飯をすませた紀更たちは、食後休憩のため雑談をしながらまだ居座っていた。
「掲示板を見てくる」
ユルゲンが席を立ち、店の奥にある掲示板に大股で歩いていく。
掲示板とは、「仕事依頼掲示板」とも呼ばれ、こうした食堂や役場など、多くの人の目に触れる場所に設置されている。誰かに助けを請う依頼者が掲示板の管理者にお願いをして、依頼内容や達成条件、報酬などが記載された張り紙を張ってもらうための場所だ。
掲示板に向かうユルゲンの背中を見送った紀更は、ふと思い出したようにルーカスに顔を向けた。
「ルーカスさん、あの、訊いてもいいですか」
「はい、なんでしょう」
「昼間におっしゃっていた見習い騎士って、どういうことをするんですか」
「ああ、見習い騎士はですね」
ルーカスは果実水で口の中を潤してから、順番に話し始めた。
「騎士団は定期的に、見習い騎士を募集します。そこに志願して試験に合格すると、見習い騎士という身分になれるんです。操言士と違って騎士になれる、なれないが生まれつきで決まっていないということですね」
「試験は難しいんですか」
「いえ、それほどではないですよ。年齢に応じた体力や知識があるかどうかを確かめるくらいの難易度です。極端な話、十五歳の少年が騎士になりたいと志願しても、その体力や知力が五歳程度ではお話にならない、ということです」
「知識も必要なんですか」
「文字の読み書きは当然ですが、地理や歴史も多少は憶えている必要がありますね。騎士は王族と関わることもありますから、さすがに無学では務まりません」
「じゃあたとえば、光学院で学んでから騎士を目指すといいんですね?」
「そうなります。一番多いパターンは、光学院である程度勉強して、十二歳から十六歳ぐらいで志願するケースです。あ、もちろん女性もなれるんですよ」
「えっ!?」
紀更は声を上げて驚いた。
「女性の騎士もいるんですか?」
「志願者が少ないので人数は多くないですが、女性王族の身辺警護など、需要はありますから」
「なるほど」
紀更のような一般市民には想像しかできないが、王族のように高貴な身分の場合、四六時中護衛の騎士が傍にいるのだろう。しかし、さすがに入浴や着替えの際に男性が近くにいるわけにはいかない。そうなると、女性の騎士というのは一定数必要なのだろう。
紀更はまたひとつ、自分の知らない世界を知った気がした。
「騎士団の所属となった見習い騎士は、まずは初期訓練を受けます。これは都市部の中で行う訓練です。武器や防具の使い方、集団行動のとり方など、あらゆる基礎を学びます。それが終わると初期実戦といって、都市部の外に出ます」
「外に?」
「はい。つまり、野生動物や怪魔との実戦です」
「もう実戦をするんですか? 早くないでしょうか」
「そうでもありません。訓練とは違い、実戦でしか学べないこともあるんです。それに、相手が怪魔にしろ人間にしろ、戦うということは相手を傷つけること、そして自分が傷つけられるということです。その恐怖を克服しなくては、一人前にはなれません。三日で克服できる人もいれば、三年かかる人もいる。一生克服できない人もいる。タイミングはまちまちですが、乗り越えなければならない壁には、なるべく早くぶち当たった方がいいんです。それに、都市部から離れて物資の限られた状況で生き延び、困難に対処する精神力と知恵を磨くためにも、都市部の外で過ごす経験は必須です。戦うことは生きること、生きることとは〝どんな状況でも諦めずに己の力と知恵を使うこと〟ですから」
すらすらと語るルーカスを、紀更は尊敬するような眼差しで見つめた。
ルーカスはさわやかな好青年で人当たりもやわらかいのでつい忘れそうになるが、怪魔と戦う時は戦士の顔になる。戦いを生業とする人間なのだ。
「ルーカスさんも……壁にぶち当たりましたか」
紀更は恐る恐る尋ねた。ルーカスは少し困り顔になって悩んでから苦笑する。
「そうですね。自分も、いくつか壁がありました」
「どうやって乗り越えたんですか」
「鍛錬あるのみ、ですよ」
ルーカスはそう言ってエリックに視線をやった。その視線に気付いたエリックは、同じ文言を復唱する。
「そうだな、鍛錬あるのみだ」
何かつらい、心苦しいことを思い出したようで、エリックの顔が少し青白くなる。しかしルーカスと同じ言葉を繰り返したので、その言葉は騎士団内のスローガンのようなものなのかもしれない。
「騎士はとにかく身体が資本ですから、教官からムチとムチをもらいながら訓練に励むしかありません」
「ムチとムチ……。あの、アメは」
「騎士団にアメはありません」
ルーカスはさわやかさと苦々しさが混ざったような、複雑な笑顔を浮かべた。
「自分の場合、初期実戦はラフーアの西にあるウージャハラ草原でした」
そう言いながら、ルーカスは空いたテーブルに指で丸を書いた。紀更はルーカスのその指先に視線を向ける。
「ここがラフーアです。ラフーアを西に出て西国道をしばらく進むと、南北に草原が広がっています。北ウージャハラ草原、南ウージャハラ草原と呼ばれています」
テーブルの上に指をすべらせて見えない地図を描きながら、ルーカスは続けた。
「ウージャハラ草原を抜けるとエンク台地があります。その台地を南側から回り込むように北へ進むと、ゼルヴァイス城です」
「どうしてウージャハラ草原だったんですか」
テーブルからルーカスへ視線を移し、紀更は問うた。
「訓練に適したところなんです。西国道から離れれば、怪魔と遭遇しやすくなる。それでいて草原だから基本的に見通しがいい。万が一見習い騎士では太刀打ちできない怪魔や野生動物が近付いてきても、発見しやすいということですね。それに負傷者が出ても、ラフーアに戻れば医術師がいて手当ても休養もできますから」
「確かに、訓練向きの場所ですね」
ルーカスの話に紀更は大きく頷いた。




