2.きらら亭(上)
「王都の操言士団や水の村レイトの操言士たちから何か聞いていませんか」
「知らん」
「たとえば祈聖石についてとか。あいにく、僕は弟子と旅を始めたのですぐに情報が入らないんですよ。だから教えてほしいんですが」
王黎は糸目になり、ゴンタスとネーチャヴィンを交互に見つめた。二人は口を閉ざしたいようで沈黙していたが、しばらくしてゴンタスが渋々と答えた。
「王都の操言士団から、祈聖石の保守と点検の頻度を高めるよう、要請がきている」
「その理由は?」
「お前、儂を尋問するつもりか!」
「やだなあ、そのつもりならさくっと操言の力を使ってますよ」
「水の村レイト周辺の祈聖石に異常あり。それが理由です」
すぐに激昂するゴンタスに代わり、ネーチャヴィンは静かに答えた。
「異常あり……それだけですか」
「何者かが無効化した……その可能性があると聞いています」
「ふ~ん」
「王黎! 知っていることがあるなら吐け! なにが情報が手に入らない、だ! お前は仮にも守護部の操言士だろ! 何のために各地を行脚してるんだ! 異常がないか観察して、それをいち早く支部に共有するのがお前の仕事だろ!」
たたみかけるように怒鳴るゴンタスをやかましく思いながらも、王黎は素直に口を割った。
「数日前のことです。レイトの村の中三つ、村の外、北近郊ひとつ、南近郊ふたつ、計六つの祈聖石が効力切れを起こしていました」
「そ、そんなにか……っ」
「それは確かに、何者かによる仕業としか考えられませんね。それだけの数の祈聖石が、同じタイミングで自然劣化して効力を失うはずがありません」
ゴンタスとネーチャヴィンは急にトーンダウンして驚愕の表情を浮かべた。
「レイトの操言士たちが保守管理を怠った、とも考えましたが、それはないようです。全員に確かめました。それと、妙なことがもうひとつ。怪魔の出現です」
「怪魔の出現? それだけの祈聖石が一気に効力を失えば、村の周辺に怪魔が出現しやすくなるのは道理では?」
ネーチャヴィンの指摘に対して、王黎は首を横に振った。
「ただの出現ではありません。数日前からレイトの南方には怪魔が多発し、その量は以前の二倍だったそうです」
「それが?」
「二日前、レイト操言支部は、最年少の操言士一名を村に残し、ほかの全員で村の南へ向かいました。怪魔の調査と退治のためです。そうして村の操言士が手薄になった時間に、村の北口付近にキヴィネが出現しました」
「キヴィネだと!?」
「それは昼間の出来事なのですか!」
二人はほぼ同時に王黎に問いかけた。
キヴィネは六種類の怪魔の中で二番目に強い怪魔だ。怪魔は強い個体になればなるほど光、すなわち太陽を嫌うので、昼間には出現しにくいと言われている。祈聖石の効力がなくなっていたとしても都市部の間近に、それも昼間にキヴィネが出現するなど、普通の感覚ではあり得ない話だった。
「真昼間のことです。それだけではありません。近くの森からはカルーテが湧き出て、キヴィネが村に近付くのを援護していたようなんです。僕が知っている現場の情報はそんなところですね」
王黎は少し得意げに、細目のまま笑った。
ゴンタスとネーチャヴィンはしばし無言になった。王黎が語ったことが事実ならば、それは二人の経験上起きたことのない事態だった。
「信じられん」
「つまり、南の怪魔は陽動で北が本隊……しかも怪魔が村に近付きやすいように、祈聖石は前もって無効化されていた?」
「まあ、そう考えられますよね。ちなみに、北のキヴィネを退治したのは〝特別な操言士〟とその護衛たちですよ。僕はその頃、レイト南方の怪魔と戦ってましてね」
それもまた信じられない、とネーチャヴィンは思った。
特別な操言士はまだ操言院で学び始めて一年ほどで、しかもその成績はよくない。つまり、操言の力について知識も少ないし、力の使い方もぎこちないということだ。ましてや、怪魔との戦闘経験などあるはずもない。騎士二人と、誰だか知らないが傭兵一人を伴っていたとしても、カルーテを相手にしながらキヴィネを退治したなど、冗談か偶然、まぐれとしか思えない。
「怪魔が……怪魔がやったというのか」
ゴンタスはわなわなと震えた。
「祈聖石の無効化、南の陽動……そんな戦略的なことを怪魔が!?」
「いいえ、ゴンタス支部長。怪魔にそんな高い知能はありません」
きっぱりと言いきる王黎を、ゴンタスは強く睨みつけた。
「ではなんだ! 誰か、人の仕業だというのか!」
「王都の操言士団も言っているのでしょう。祈聖石の無効化は、何者かによって行われた可能性があると」
「そうだとしても、なぜ怪魔は……」
言葉を濁すネーチャヴィンに、王黎は淡々と告げた。
「僕が気になるのはふたつです。ひとつは、操言士しか知らないはずの祈聖石の置き場所、つまり擬態まで、その何者かは知っていた。犯人は操言士である可能性が極めて高いこと」
ゴンタスとネーチャヴィンの表情が青ざめていく。王黎が導き出そうとしている結論は、二人が最も考えたくない事態だ。
「そして、南と北に時間差で怪魔が出現したのは、十中八九その犯人の仕業によるもの。つまり、犯人は怪魔を操ることができるのでは、ということです。自然発生した怪魔を誘導しただけ、とも考えられますが、どちらにせよ犯人は、怪魔を操る何かしらの術を持っている可能性が高い。これがふたつ目です」
「そ……そんなわけ、あるか……っ!」
ネーチャヴィンは口を閉ざし、ゴンタスは唇を震わせて否定した。
「お前! 操言士が祈聖石を無効化したと、本気で思っているのか! それに凶暴で獣以下の怪魔を操るだと!? そんなこと、できるはずがない!」
怪魔は自然現象の一部と考えられている。その存在はあたかも風が吹いて雲が生まれ、やがて雨が降るかのように自然に発生し、そこに何者かの意思が介在する余地はないと。
だが、果たして本当にそうだろうか――という疑念を抱く者は、少数ながら操言士団の中にも、騎士団の中にもいる。なぜなら、怪魔は動物のような肉体の朽ち方をしないし、生殖行為によってその数を増やしてもいない。手当たり次第に人や動物を襲うが、襲って捕食することでエネルギー源としているわけでもない。自然の一部と考えるにしては、あまりにも自然の摂理と異なっている。
では、怪魔はいったい何なのか。その答えを導き出す仮説のひとつが、自然現象ではない――すなわち、人為的な現象である、という考え方だ。
しかしその仮説は支持を得ていない。なぜならその仮説の先、つまり「誰が怪魔を作り出しているのか」という点で、必ず行き詰まるからだ。
「なにが気になること、だ! お前の言うことはでたらめだ! 阿呆も大概にしろ!」
ゴンタスはたまらず、拳でデスクをたたいた。
「怪魔についてわかっていることは多くありませんが、動物と違う存在であることは確かです。それは認めましょう。けれど、人が怪魔を発生させる、あるいは操るなど、甚だ荒唐無稽。そんな術があるのなら、我々はこんなにも怪魔の脅威に怯えたり苦労したりしていないと思いますがね」
ネーチャヴィンは冷たい声で、しかしやたらと言葉数多く反論した。
「たとえば、それがこの国を滅ぼし、領地を手に入れたいと企む隣国のセカンディアやサーディアの仕業である、とするなら納得もします。ですが怪魔はその二国にも出現しており、オリジーアと同じように都市部は常に怪魔の脅威にさらされているそうじゃないですか。人が怪魔を操るだなんて馬鹿馬鹿しい。王黎くん、君の言っていることは推測でも憶測でさえもない。ただの妄想です」
(妄想ねえ)
ネーチャヴィンは理知的に喋っているというよりも、冷静な風をよそおって、怖くて認めたくない可能性から必死で目をそらしているように王黎には見えた。
いつの頃からか、人々の生活を脅かすようになった怪魔。その存在は人為的なものかもしれないという可能性。それはネーチャヴィンだけでなく、ゴンタスをはじめ多くの操言士たちが考えたくない、認めたくないと、目をそらしてきた可能性なのだ。
「ゴンタス支部長、ラフーアの操言士たちに何か異変は起きていませんか」
王黎は少しだけ話題を変えた。
「なぜそんなことを訊く? お前、我々を疑うのか!」
ゴンタスの苛立ちは収まるところを知らず、話題が変わってもなお、王黎への怒鳴り声はやまなかった。
「怪魔のことは置いておくとしても、祈聖石の無効化は、操言士でなければできないはずです。僕は実際に、効力を失ってくすんだ茶色になった祈聖石を見ていますから、これは妄想ではなく事実に基づいた推測です。根拠がある。レイトの操言士が何も知らなかったということは、レイト以外の都市部の操言士の仕業です」
「それなら王都の操言士も疑え! ポーレンヌ城下町の操言士も、港町ウダの操言士も! ゼルヴァイス城下町の操言士もな!」
「疑っていますよ。僕は僕の言従士以外は誰も信じていません」
王黎は自嘲を含ませながら、薄笑いを浮かべた。
「ふん! お前に話すことなどない!」
ゴンタスは力強く鼻を鳴らした。
王黎は期待する気持ちでネーチャヴィンに視線を送ったが、彼は眼鏡のフレームの位置をくいっと直し、静かに首を横に振った。
「ラフーアの操言士はよく務めてくれています。王都の操言士団からの指示には従いますが、君の妄想に付き合う道理はありません」
「まあ……ごもっともですね」
王黎はそう言うと、操言の力を使って暗幕の効果を終了させた。
「何かあったら教えてください。ラフーアにいる間は、ラフーア操言支部に手を貸しますから。あ、宿のことはよろしく頼みますね。それでは」
王黎は見事なまでの作り笑顔と社交辞令を二人に向け、すたすたと退室した。
残されたネーチャヴィンは、頭髪の密度が減ったゴンタスの頭頂部を見下ろす。
「伝えなくてよろしかったのですか、ゴンタス支部長」
「いいも何も、あの若造に言ってなんになる!」
「では引き続き、わたしとハリーが例の件の対応にあたります」
「ほかの奴らには言うなよ!」
「そろそろ時間の問題だとは思いますがね」
「いいから早く見つけろ!」
ゴンタスが頻繁に飛ばす唾で、デスクの上には妙な染みができている。
ネーチャヴィンはゴンタスの怒声を右から左へ聞き流しながら、ゴンタスが死ぬ時はきっと頭に血が上ったことが死因だろうと、ぼんやりと思った。