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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第01話 特別な操言士と祈聖石
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8.祈聖石(上)

 何が得意で、何が苦手か。

 自分にできること、自分がしたいこと。

 誰かが求めること、必要とすること。

 応えられること、応えられないこと。

 この国で、この世界で、自分は操言士としてどんな風に生きて歳を重ねていくのか。


(真剣に……考えなきゃいけないんだ)


 光学院で読み書きや歴史を習い、この国のことを理解したつもりでいた。この国を守る騎士のことも王都以外の都市部のことも、実家の呉服屋に来る客から少し聞きかじっただけで知った気になっていた。けれど、実際に見て感じてみて、自分は知らなかったのだ、ということをようやく知ることができた。

 操言士のこともだ。

 弟の俊が操言院に通い始めても、操言士という存在は自分には無関係だと無意識のうちに線を引いていた。操言士が作る生活器を当たり前のように使ってはいても、それを作った操言士がどんな風に学んでいるのか、働いているのかなど、考えたこともなかった。


(年齢は成人だけど、中身は子供だ)


 もし見習い操言士にならなかったら、この一年間をどう過ごしていただろう。いつまでも実家の呉服屋の手伝いでいられると、いていいと、無意識に甘え続けていたのではないだろうか。

 自分は何をしてどうやって生きていくか、生きていきたいのか。それを真剣に考えたことなど、今まで一度もなかった。年齢だけは大人の仲間入りをしても、精神はまったくの未熟だ。その甘えが許される期間は、本当はとうに過ぎているのに。

 紀更はちらりと振り向いた。うしろには少し間隔を置いて、ユルゲンが歩いている。


 昨日、彼にありがとうと言われ、報われた気がして嬉しくなった。見習い操言士としての自分が役に立ったと、自分の存在に意義があったのだと、そう思えた。

 しかし、そんな昨日の自分が恥ずかしくなった。

 どんなに怪魔が恐ろしかろうと、それに立ち向かうのは操言士として当たり前のことだ。自分は特別なことをしたわけではない。ユルゲンが操言士としての自分に感謝してくれたように、他人からはもう、操言士としての役割を求められているのだ。


(なりたくてなったわけじゃないとか、勉強のさせられすぎとか……。そんな風に愚痴を言っていいのは子供だけだわ)


 自分はもう、成人している。大人とみなされる。他者や社会のためにどう貢献できるのか、ということが求められる。モラトリアムはとっくに終わっているのだ。


「紀更?」

「……は、はいっ」


 隣を歩く王黎に呼ばれて、紀更は慌てて前を向いた。


「話を祈聖石に戻そうか」

「はい、お願いします」

「怪魔から都市部を守るための祈聖石。誰がそのありかを知っているかというと、まずは国内部の操言士たち。自分が定住している都市部周辺の祈聖石の場所は把握しているよ。それから守護部の操言士。街道や郊外とか、国内部の操言士たちの手と足が届かない場所にある祈聖石は、守護部の操言士が管理するんだ。祈聖石を作った民間部の操言士も、人によっては置き場所を知っているだろうね」

「王黎師匠も祈聖石がある場所をご存じですか?」

「自慢じゃないけど、オリジーア国内にあるすべての祈聖石の場所は知っているよ」


 王黎はにこりと笑った。

 楽しくて笑っているのではない。王黎のその笑顔には、守護部の操言士としての誇りが見える。国全体を守る操言士として過ごして培ってきた自信が、そこにはある。紀更はそう感じた。

 まるで、目の前にあった靄が晴れたようだ。王黎という人はいつもへらへらと笑って人を振り回し、師匠らしいことをしてくれない、自由気ままでマイペースな人。そう思っていたが、それは自分の色眼鏡で見ていた印象にすぎない。


(王黎師匠の本当の姿……。操言士としては、どんな人なんだろう)


 もっと知っていきたい。操言士や、この国のことを。

 どんな人がいて、どんな操言士がいて、何が起きて、国は動いているのだろう。

 弟の俊がなるはずだった操言士。今は、自分がなるべき操言士。

 昨日は「俊のためにも自分が操言士になるのだ」と思ったが、今は少し違う。


(俊のためじゃない……これは、私の人生なんだから)


 なぜ自分は後天的に操言の力を宿したのか、それはわからない。だが、どんなに前例がなくて疎まれるような特別な存在であろうとも、もう自分は見習い操言士なのだ。一人前の操言士になるのは、亡くなった弟のためではない。紀更自身に課せられた、紀更の運命だ。

 操言士として生きていかねばならないことは、もう決まってしまった。けれど、どんな操言士になるか、操言士としてどうやって生きていくかはまだ決まっていない。これからしっかりと考えればいい。


(いろんなことを知って、経験して……生きていきたい)


 紀更は胸元に手を当てた。ゆらゆらと燃える何かが、そこにあるように感じる。それは自分の鼓動か、それともこれから未来に向かっていくんだという気持ちのたかぶりか。


「さて、ここだよ」


 王黎が足を止めた。

 そこは村の大通りをずっと北に進んできて、村の北口の手前で右折し、東へ少し進んだところだった。人や馬が歩くために慣らされた土の道が右手に伸びており、道なりに南へ進めば宿へ戻ることができそうだ。土の道の両脇には丸太や干し草が無造作に置かれており、付近に建物はない。


「ここ……ですか?」


 疑問の声を出したのは紀更だったが、訝しげな表情をしたのはルーカスも同じだった。

 村の中にある、特に用途のない区域。ただそれだけの風景にしか見えないこの場所に、怪魔から村を守る祈聖石があるというのだろうか。


「エリックさん、今から僕と紀更の姿を見えなくしますけど、驚かないでくださいね」

「わかった。わたしたちは周囲を警戒している」


 王黎はエリックの了承を得ると静かに合掌し、ゆっくりと目を閉じた。


【陰影の暗幕、暗影の閑寂、我らの姿と声を覆え】


 王黎は言葉を紡ぐと同時に操言の力を使う。すると王黎と紀更の頭上から、半透明の黒い布のようなものが広がりながら地面に下りてきて、そして消えた。それは言葉通り、二人を覆い隠す暗幕だった。


(王黎師匠の力を感じる)


 王黎が操言の力を使うところをこんなにも間近で見たのは初めてだ。紀更は集中している王黎に釘付けになった。


(操言の力……こんな風に感じるんだ)


 操言の力は視認できるものではない。音も出なければ、温度も匂いも持っていない。

 しかし〝波動〟と称されるその力の存在感は、まるで揺れて押し寄せる波のように紀更の肌にふれ、〝そこにある〟という感覚を紀更にもたらした。


(どうしてだろう……操言院では感じなかったのに)


 操言院の教師たちが操言の力を使ってみせる授業は何回もあったはずだ。しかし記憶にある限り、どの授業でもこんな風にはっきりと波動を感じることはなかった。


(王黎師匠が使った力だから? それとも私が変わったの?)


 王黎自身からあふれ出てくるような、あるいは周囲から王黎へエネルギーが集まってきているような、そんな感覚。

 ああ、本当に操言士は普通の人とは違う。謎の力、不思議な力――操言の力を持っているのだ。


「紀更、周りを見てごらん」

「え……あれ、エリックさんたちがいないです!」


 王黎から周囲へと視線を移した紀更は、近くにいたはずのエリック、ルーカス、ユルゲンの姿がないことに気が付き、瞬きを繰り返した。


「消えた?」


 土の道も丸太も浅い雑木林も、周囲の景色は何も変わっていない。それなのについ少し前まで一緒にいたはずの三人の姿だけが忽然と消えていた。王黎が言葉を発してから数秒しか経っていないので、見える範囲の外へ移動したはずはないだろうに。


「見えないだけで、消えたわけじゃないよ」


 合掌の手をゆるめた王黎は言った。


「いま、僕と紀更は幕のようなもので覆われているんだ。操言の力の幕でね」

「幕……」

「幕の中から外は見えない。同じように、幕の外にいる人から幕の中は見えない。ちなみに、互いの声も今は聞こえないよ。そういうイメージで操言の力を使ったからね」

「どうして……」

「祈聖石がある場所は、操言士以外に明かしてはいけないからだよ。都市部防衛の要だからね。盗まれたり悪用されたりしないように、秘密にしておく必要があるんだ」


 王黎は少し歩いて道の脇に寄った。積み上げられている丸太と違って、そのあたりにごろんと放置されている丸太のひとつにとことこと近付く。


「祈聖石は、普段は別の姿に擬態させている。一目で祈聖石だとわからないようにするため、あるいは勝手に移動させられないようにするため、配置場所にとけ込ませているんだ。擬態の種類によってはそこから動かせないように固定している場合もあるよ」

「じゃあ、まずはその擬態を解くんですね?」

「そういうこと。よく見ておくんだよ」


 師匠らしく手本を見せてくれるらしいので、紀更は背筋をピンと伸ばして集中した。

 王黎はどんな言葉を使うのか、何をイメージして操言の力を使うのか。その操言の力はどんな風に作用するのか。手元に紙とインクがあったらなら書き記しておきたいと、紀更は思った。


(集中して見て、憶えるしかない)


 王黎は再び左右の手のひらを合わせた。ルーチンなのか、目も閉じる。それが集中するための王黎のスタイルなのだろう。


【聖なる光の石よ、(まこと)を以て(まこと)を現せ】


 王黎の足元から強いエネルギーが伸びていく。それは手近にあった、長さが人の上腕程度のひとつの丸太を包み込んだ。すると、丸太の樹皮が内側からゆっくりと剥け、空気中にとけて消える。あとには表面がでこぼことした灰褐色の、紀更の顔より一回り小さい石が地面に転がっていた。

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