7.言従士たち(上)
異なる立場の異なる思いが交錯する交流パーティーも、終了の時間になった。
最後にまた、ヨーゼフ・ペレスが広間の前方に立って挨拶をして、解散となる。
紀更たち新米操言士は、一度マチルダのもとに集まった。まだ退寮していない理知介、カシム、タレレンカはマチルダと一緒に寮へ戻り、実家が王都内にあるブリアナと紀更はそれぞれの自宅へ帰るようにと告げられる。
理知介たちは明日退寮して故郷へ帰るので、ひとまず今夜でお別れだ。紀更は三人それぞれと言葉、握手を交わし、今後の互いの精進を健闘し合った。
守護部の操言士フローレンスが回してくれた馬車がペレス家に到着し、マチルダたちを乗せて操言院へと走っていく。操言院に置きっぱなしの紀更の着替えは、ご丁寧にフローレンスが回収して、紀更の実家の呉服屋つむぎに移してくれたとのことだった。
ペレス家の敷地を出て石畳の歩道に立った紀更は、ブリアナにも右手を差し出した。
「ブリアナ、今夜はありがとう。あなたが隣にいてくれたから、失態を演じることなく乗り切れたと思うわ」
紀更はそう言ってほほ笑んだが、ブリアナはじっと俯いて黙っている。
「ブリアナ?」
嫌味のひとつやふたつでも言ってきそうなのだが、ブリアナは貝のように動かない。
紀更は困り顔になった。わかりやすく嫌ってくれるならともかく、無反応を貫かれてしまってはどうしたらいいのかわからない。
(王黎師匠と何かあったのかしら)
紀更が庭から戻ってきた時、王黎とブリアナは元の場所にいなかった。紀更はブリアナを探したが、少ししてパーティーがお開きになってしまい、マチルダの集合の声がかかったのだ。マチルダのもとへブリアナは戻ってきたが、そこからずっと、このノーリアクションが続いている。
(それとも、私が原因かなあ。どうしよう)
理知介たちと違って、ブリアナとは明日以降も顔を合わせる機会があるだろう。早ければ明日、守護部会館で鉢合わせる。変にこじれたままでいたくないと紀更は思うのだが、ブリアナの頑なな沈黙はとけてくれるだろうか。
「から……」
「え?」
「っ……あなたよりいい操言士に、なってみせるから!」
「え、ちょっと」
ブリアナは突然肩を震わせて、顔を上げた。紀更を睨んだかと思うと涙目になってそう言い残し、紀更をはねのけて夜のヴェレンキ地区へ駆けていく。あたりは暗いので一人で危なくないだろうかと紀更は心配したが、彼女は四大華族なので、おそらくこのヴェレンキ地区に自宅があるだろう。一応周囲にはちらほらと招待客がいるし、慣れた近所なら一人でも大丈夫かもしれない。
(私よりも、って……あれだけ人のことを下に見ておいて、今さら?)
修了試験の日から、やけに突っかかってきたブリアナ。紀更よりも自分が優位だと声高に言い放ち、事実試験では紀更よりも丁寧に操言の力を使っていた。自分を卑下しているわけではないが、紀更自身は、自分とブリアナでは多面的に考えて、ブリアナの方が操言士として一歩先にいると思っている。
しかし今のブリアナは、自分の方が紀更より下だと思っているかのような言い回しだった。百八十度変わってしまったブリアナの中の評価に、紀更は首をかしげる。
(上とか下とか、誰よりいいとか悪いとか……操言士同士でそんな優劣をつけることに、意味はないんじゃないかなあ)
得意不得意は誰にだってある。
ゼルヴァイスの操言士皐月は怪魔と戦うことが苦手だと言っていたが、一方で生活器作りは得意だ。そして、紀更は生活器を作るような緻密な操作は得意ではないが、怪魔と戦うことは苦手ではない。
今まで出会った操言士の中で紀更が知る限り、力の使い方が巧みですごいと思うのは間違いなく師匠の王黎だ。しかし、だからといって王黎以外の操言士が劣っているとは思わない。
(自分と他人は違うんだから、優劣で格付けするんじゃなくて、人と違って自分には何ができるのか、それを考えるのが大事だと思うんだけど)
紀更はそんなことを考えながら、マルーデッカ地区にある自宅に向かって歩き出した。
操言士として何ができるか、何をしたいか、何をすべきか。それを紀更はずっと考えている。けれど、修了試験に合格してもまだ、その答えは出ていない。きっと生きているかぎり考え続けるのだろうと思う。
ままならないものを抱えているのは、おそらく誰もが同じだ。そうした答えの出ない、もやもやとした思いや悩みが紀更にあるように、ブリアナの中にもきっと、そういうドロドロしたものはあるだろう。
(それでも、夜は更けて朝になる。毎日が積み重なっていく)
明日からは、ついに操言士としての本格的な日々が始まる。操言ブローチを付け、操言ローブを羽織り、いよいよ操言士団の一員として働き始めるのだ。
(まずは守護部会館に行って、紅雷のことを相談して――)
「紀更様っ!」
少しぼうっとしたその瞬間、背後から何かに強く抱きつかれた。紀更は驚きのあまり、夜なのに大きな声を上げて固まる。
「ひゃぁっ! 誰、って……こら、紅雷!」
「えへへ~っ」
紀更の背中にぐりぐりとご機嫌で頭をこすりつけるそれは、紅雷だった。
紀更は驚かされたことを咎めるように少し紅雷を睨んだが、笑顔を引っ込め紅雷も、咎めるように紀更に注意する。
「紀更様、夜道は危ないですよ! 一緒に帰りましょ!」
「一緒にって……でも、紅雷はジャウドモ地区の共同営舎でしょ?」
「ああ、違います。えっと……そう! 紀更様を送っていきます!」
「えっ、でも私、マルーデッカ地区だし、それじゃ帰りの紅雷が危ないわ」
「大丈夫です。あたしなら帰りはミズイヌ型で帰るので。夜道を歩くきれいな女の子にちょっかいかけるお馬鹿さんはいても、夜道を歩く大きな犬に手を出そうなんてお馬鹿さんは、そういないと思いません?」
紅雷はいたずらっぽく笑うと、紀更の腰に巻きつけた腕を離し、紀更の手を取った。もう片方の手には、事前に準備をしておいた小さなランタンを持っている。明灯器よりも短い時間しか発光できないが、なんとかマルーデッカ地区に着くまでは二人の足元を照らしてくれそうだ。
「行きましょ、紀更様」
「う、うん」
紅雷にうながされて、紀更は再び歩き出す。そしてすぐに、まだ紅雷に言っていなかったことを思い出した。
「紅雷、私ね、ちゃんと修了試験に合格したよ」
「ほんとですか!?」
「うん。王黎師匠と同じ、守護部の所属になったの」
紀更が告げると、紅雷はランタンの心許ない灯りの中に太陽のようにはっきりとした明るい笑顔を浮かべた。
「よかった~! 紀更様なら大丈夫だと思ってましたけど、それを聞いて安心です!」
「ごめんね、言うのが遅くなって」
「いいえ! 大丈夫です!」
「ねえ、紅雷はどうしてこんな時間にここに?」
夕餉の時間も家族団欒の時間も終わり、時刻はもはや就寝時間に近い。それに、ヴェレンキ地区は富裕層が住む地区で、紅雷がこのあたりに用事があるとは考えにくかった。
「決まってるじゃないですか。紀更様がいたからですよ!」
「私?」
「夕方、王都内をぷらぷら歩いていたら紀更様がいるような気がしたんです。それでこのあたりまで来たら、あの大きなお屋敷から紀更様の匂いがしました! だから待ってたんですよ。夜道を一人で歩いたら危ないなーと思って。案の定、一人で帰ろうとするし! もう! 誰かに送ってもらうとか、考えなかったんですか!」
「そ、そうね」
夜ではあるが、ここは生まれ育った王都の中なので、帰り道が危険だとは思っていなかった。先日も、夜道は気を付けるようにとユルゲンから言われたばかりなのに、相変わらず警戒心が薄かったことを自覚し、紀更は反省した。
「ま、いいんですけどね。こうして久しぶりに、紀更様を独占できるし」
紅雷は歩きながら紀更の顔を下から見上げ、嬉しそうに笑う。いまミズイヌの姿になったら、きっと尻尾をぶんぶんと振って、全力で喜びを表していることだろう。
「ところで、今夜の紀更様はとてもきれいでかわいいですね! 大人っぽいです! 人がたくさんいたみたいですけど、あのお屋敷、なんだったんですか」
「ペレス家っていう……えっと、ライアン王の近くで政治をしている、平和民団の幹部の方のお家なの。そこでパーティーがあってね、修了試験の合格者が招待されたのよ」
「パーティー! すごいですね! 合格するとパーティーに呼んでもらえるんですか!?」
「いつもじゃないわ。今回だけみたい」
「そうなんですね。ねえ紀更様、パーティーってどんな感じ?」
「えっとね」
マルーデッカ地区の自宅に向かって歩きながら、紀更は今夜体験したことを紅雷に説明した。紅雷はパーティーという単語を知ってはいたが、もちろん参加したことなどないので、興味津々に相槌を打った。
「それでね、紅雷。たぶん明日以降、あなたを言従士として登録することになると思うの」
「いよいよですか! ちょ~嬉しぃ~~っ!」
紅雷は紀更の二の腕をぎゅっと抱きしめ、目を細めて喜んだ。