6.姉弟(下)
「この輝紋は、光の神様カオディリヒスから力を授かったことの証。初代オリジーア王からずっと、我々オリジーア王家はこの力と輝紋を継承してきた。一歳をむかえた乳児がもしも操言の力を持っていれば、《光の儀式》においてこの輝紋が輝き、必ず反応する。それはすなわち、カオディリヒスの力が、乳児の持つ操言の力に反応しているということだ。《光の儀式》を執り行うのは歴代の王だが、正確には、王に宿るカオディリヒスの力が判別をしているのだ。そして、これまでその判別に、ひとつの誤りもなかった。特別な操言士以外はな。なぜ彼女は、後天的に操言士になったのであろうか」
「操言士団でも、最初は様々な憶測がなされました。ひとつは、普通の操言士同様、生まれつき力を宿していたが、何かが原因で《光の儀式》では輝紋が反応しなかった。そして、また何かが原因で、乳児の時は表に出ていなかった操言の力が、彼女が十六歳になると同時に表に発現した、と考える説。もうひとつは、生まれつき操言の力は宿っておらず、十六歳をむかえると同時に、後天的に操言の力が宿ったとする説。今は後者の可能性の方が採択されている状況です。おっしゃるように、ライアン王が行った《光の儀式》の判別結果に誤りはなかったかと」
イレーヌとライアンは姉と弟だ。二人が王族だと知らない者からすると、弟に対してやけに他人行儀でしかも丁寧に対応する姉なので、違和感を覚えるだろう。
しかし、イレーヌは王族でありながら操言士であるため、弟のライアンに対しては子供の頃から常に一歩引いて接してきた。自らもれっきとした王族の一員でありながら、やがて王になる者と一介の操言士という関係を、イレーヌは意識し続けてきたのだ。
そのことを子供の頃のライアンは寂しく思ったものだが、長子でありながらも弟に気を遣う謙虚な姉の姿は、王子という立場だったライアンにとって、決して高慢になるでない、という良き手本であった。そしていざ王位を継いでみれば、一人の操言士として城の外で見聞きしたことをこうして教えてくれる姉の存在は、非常にありがたかった。身内でない者たちは、平和民団の侍従にしろ護衛の騎士や操言士にしろ、どうしたって王への遠慮やためらいが入る。しかし、姉であるイレーヌは保身のためのそうした遠慮や下心は一切ない。客観的に、事実だけをライアンに伝えてくれる。
聡明で、操言士として生きつつも時には王族の一員として、王である弟をサポートしてくれる姉のイレーヌ。その存在は、周囲が味方ばかりとは言いがたいライアンにとって文字通り心の支えだった。
「桁が違うというその力。後天的に授かるとそうなるものなのか、それともそれだけ大きな力ゆえに、後天的に宿したのか」
「因果関係は何ひとつわかりません」
イレーヌはきっぱりと言い切った。それから話題を変える。
「ライアン王、諸々の件の進捗は、その後いかがでしょうか」
「芳しくはない。成果はないのに被害は出ているからな」
「耳に入る噂は、すべてが噂ではないようですね」
「怪魔の数は確かに増えている。今は主に国の南部で顕著だ。それに三日前、アルソーの村にいたはずの操言士がまた一人、行方不明になった。それなのに、相変わらずなんの手掛かりもつかめぬ。他国の人間と思われる者も見つからないし、操言士を誘拐している方法も不明だ。操言士団……特に、守護部の負担は増える一方だろう」
「怪魔多発も操言士誘拐も、過去に例のない事態へ発展しつつあると、多くの者たちが危機感をつのらせています。わたくし個人としては、末端の民の声に応えられないことが心苦しいです」
怪魔の脅威から守ってほしい。夜に怯えることなく暮らしたい。都市部間を安全に移動したい。そんな陳情が、平和民団の民から操言士団へ日々届けられる。
だが、依然として怪魔はフィールドのあちこちに出現し、夜に都市部の外を歩くことは自殺行為に等しい。王都は城壁があるが、城壁のない村や街の住民たちは、もしかしたら怪魔が侵入してくるかもしれないと、毎夜怯えながら朝を待っているのだ。
「騎士も操言士も、力は尽くしている。だが平和民団は要望するばかり。調査にしろ対処策にしろ、後手ばかりの状況を打破し、先手を打ちたいとは思っている。だが、どうすればよいのか」
「コリン団長とライアン王がためらっている方法をとるしかないのではないでしょうか」
イレーヌの言葉は、ライアン王の表情を曇らせた。
「コリンが言ったか」
「いいえ。ですが、操言士団幹部会だけにとどめているつもりでも、聞こえてしまうものです。たまたま耳に入ったその話がどこまで正しいのか、信憑性はあまり高くないと思っていますが。この状況を打破する一手があるとすれば、彼らではないでしょうか」
「唯一ピラーオルドと接触しており、なおかつ怪魔の都市部襲撃に三度も居合わせた特別な操言士とその師匠、操言士王黎」
「そうです」
王黎がピラーオルドと直接接触したことは、操言士団の中では当人と弟子の紀更、そして幹部会だけに秘されている。王族操言士であるとはいえ、幹部会が直接イレーヌに伝えるはずはない。しかし、紀更たち旅の一行が遭遇した出来事の一部は、エリックによって騎士団にも共有されている。人の口に戸は立てられぬ以上、どこからか漏れてしまい、それは巡り巡ってイレーヌの耳に風の噂として届いていた。
「この国に起きている変化……それらはすべて、根っこの部分でつながっているのかもしれません」
イレーヌはライアンを見つめて言った。
「そしてその発端は特別な操言士、紀更です」
「一年前、特別な操言士に操言の力が宿った時から、徐々に何かが変わり始めていると言うのか」
「そう考えざるを得ません。彼女は修了試験に合格し、初段操言士になりました。師匠の王黎ともども特務を与えて国内を移動させれば……」
王都に帰還した王黎からピラーオルドの話を聞いたコリンは、その話をすぐさまライアンに報告した。そしてその時から、コリンもライアンも薄々感じてはいた。
「三度も経験したように都市部への怪魔襲撃に再び遭遇するか、あるいはピラーオルドと接触するかもしれない……。イレーヌ……いや、姉上。自らも操言士でありながら、貴女も一介の操言士を危険にさらせ……囮に出せとおっしゃるのか」
コリンもライアンも、ここ数日、ずっとその可能性を考えていた。
王黎と紀更――この二人の操言士に今一度、祈聖石巡礼の旅と称して国内を移動させれば、再びなんらかの異常事態に遭遇し、ピラーオルドの手掛かりをつかめるのではないか。あるいは、怪魔が多発する原因を探ることができるのではないか。
だが、それはつまり、二人を囮にするということだ。操言士の誘拐が続いている状況下で、あえて攫われやすいような行動をとれと命じているも同然だ。
イレーヌは俯きながら答えた。
「国全体のことを思うならば、個の犠牲に目をつむることはやむなしです」
「王とは犠牲を払う決断を下し、その罪悪感を生涯背に負う者か」
「ライアン王、わたくしも、そしておそらくコリン団長も、あなた一人に罪悪感を背負わせはしません。共に業を背負い、この国のために死にましょう。ですからどうか、これ以上の犠牲が出る前に、突破口を開ける可能性に賭けてみては」
過去に例のない、「特別な操言士」。そして過去に例のない事態。
そこにわかりやすいつながりは見えないが、組み合わせてみれば、すんなりと当てはまってしまうのかもしれない。どのピースとも隣り合わないもの同士が実はぴたりと形が当てはまり、同じ事象を伝えてきているのかもしれない。
(命じるしかないのか)
危険を承知でフィールドに出てくれ。怪魔やピラーオルドと遭遇してくれ。そして、なぜ多発しているのか、その組織が何なのか、どうすれば対抗できるのか、調査してくれ。たとえその過程で傷つくことになっても、国と民のために犠牲になってくれ、と。
ライアンは食事の手を止めて、静かに目を伏せた。
答えなど、とうに決まっている。あとはその答えを突き付けるだけだ。
◆◇◆◇◆