6.姉弟(中)
(言いすぎたなあ)
残された王黎は、腕を組んでため息をついた。
(でもねえ……いつまで経っても矯正されないんじゃ、苦しむのは彼女だしねえ)
王黎は誰にともなく、言い訳めいた懺悔を胸中でこぼす。
高飛車で自信過剰。肩書きや、半分以上おべっかでできている評価など、そういったものでしか自分と他人を測れないのは、ブリアナ自身の生来の気質によるものだろう。しかし、それで良しとされて今日まで過ごしてきてしまったのは、周囲の環境のせいだ。
自分自身と向き合うことの大切さやそのきっかけを、ブリアナの周囲の大人たちは彼女に与えなかった。いや、むしろその大人たちこそ自分自身の内面を省みたり、物事の本質をとらえたりせずに、今日まで過ごしてきているのだろう。
今夜ブリアナに言ったことが、今は悔しくて受け止められないとしても彼女の頭の片隅にでも残り、彼女の今後のためになるといい。王黎はブリアナが憎くて、彼女の申し出をきつい言葉で断ったわけではないのだ。
(ほんと、華族も幹部会も人間としての質が浅いよなあ)
これが、オリジーアというこの国を動かしている中心人物たちをとりまく環境だ。見え透いたお世辞、下心を隠すための称賛、他人を自分の野望のために動かすことにご執心で、すっかり本質を忘れきっている。そして自分の目がそうやって曇り汚れていることにすら気付かず、いつしか完全に、クリアな視界で物事を見ることを忘れてしまった人たち。
「はぁ~……僕も気を付けよ」
けれど、そうやって他人を優雅に見下ろしているつもりの自分にも、まだまだそうした面はある。
他人の粗を指摘するのは簡単だ。難しいのは、ブリアナにも言ったとおり、自分を客観的に見ること、向き合うこと。自分の中にあるままならないものを受け止め、それを無視することなく、自分自身とうまく付き合って生きていくことだ。
王黎の深いため息は、パーティーの喧騒にまぎれて誰にも聞こえなかった。
◆◇◆◇◆
「調査を進めるためには、フィールドに出る機会を増やすべきではないでしょうか。操言士はもっと積極的に、都市部の外に出るべきです」
「しかし、ただでさえ操言士は誘拐の危険にさらされています。野に現れた怪魔を殲滅するために都市部を離れるのは仕方ないとしても、できるなら都市部内にとどまっている方が安全ではないでしょうか」
テオドール・ガルシアの意見に第二王子のサンディは反論した。しかしテオドールはめげずに主張する。
「騎士団や操言士団が日々怪魔に対処してくださっているように、我ら平和民団も、オリジーア国民以外の人物がいないか、定期的に都市部内を見回っています。隊商の荷物ひとつとっても、以前より厳重に調べています。ですが、怪魔が増えている原因もピラーオルドという組織の詳細も、手掛かりひとつつかめていません。このままでは原因不明の恐怖が国中に広まるばかりです。せめて、なぜこんな事態になっているのか理由くらいは知りたいのが、国民の正直な気持ちではないでしょうか」
「さすがテオドール殿、わたしもまったく同意見です」
ヨーゼフ・ペレスは強く目を開き、サンディに語りかけた。
「サンディ王子、夜中に響く音は、ただそれだけで怖いものです。ですが、その音は野良猫が興奮して走り回っている音なのだと知っていれば、決して怖くなどはない。正体不明、原因不明という無知こそが、人々の恐怖を増長させる要因なのです」
「怪魔多発の理由にしろ、誘拐された操言士の居所にしろ、ピラーオルドの正体にしろ、なんでもいいから明らかにしろ。それが国民の安寧につながる。そうおっしゃりたいわけですね。そしてそのために、操言士を危険にさらせと」
サンディは笑顔を取り繕えず、硬い表情を浮かべた。
ペレス家の当主ヨーゼフは、サンディより三十も年上だ。しかしサンディが王子であるため、ヨーゼフもテオドールも表面上は遠慮がちに意見を述べてみせる。
「危険にさらせと言っているわけではありませんよ。私たち平和民団は期待しているのです。操言の力という素晴らしい贈り物を持った彼らがいれば、きっとこの状況を打破できると。怪魔もピラーオルドも、そのピラーオルドを抱えていると思われるフォスニアの脅威も、きっと操言士たちがいれば大丈夫。国民はみなそう思っている。操言士たちは、全オリジーア国民の希望なのです」
(そんな言葉でごまかせていると、本気で思っているのか)
サンディの横で話を聞いていたコリンは、反吐が出る思いだった。
怪魔が多発する原因、攫われた操言士、いつどこに出現するともわからないピラーオルドとその組織の目的。それらを調査するためには、とにかく都市部の外に出るしかない。自宅と操言士団本部を日々往復したところで、なんの原因究明にもつながらないのだ。場合によっては、国交のない他国への密偵や、囮捜査が必要になるかもしれない。いかにも攫いやすそうな操言士で、ピラーオルドをおびき出すのだ。
そうした苦労を操言士団は負え、犠牲を払え――ヨーゼフとテオドールが主張する綺麗事の真意は、つまりそういうことだろう。コリンは声にこそ出さないものの、苦々しい思いに満ちて肩が震えそうになった。
「やみくもな動きでは、何も明らかにできません。ポーレンヌが襲撃されてから三週間……いえ、水の村レイトの襲撃が最初だとすれば、すでに一ヶ月以上。我らは怪魔にもピラーオルドにも、後手しかとれていない。それは事実です。ここから先は、明確な戦略が必要になる。それはライアン王も認識しています。コリン団長」
サンディはヨーゼフたちから視線を外し、険しい表情でコリンを見つめた。
「国中の操言士たちが危険を顧みず、この民のために日々尽くしてくれていることは誰もが知っています。ですが、新たな手を……この状況を変えるために投じる一石が、やがて必要になるでしょう。しかし、それがどんな手になるのかは我が父ライアン王がお決めになること。どうか操言士団は、いまできることに集中していただきたい」
平和民団の幹部を務めるヨーゼフ・ペレスとテオドール・ガルシア――四大華族の当主二人の言いなりにはならないでほしい。役割と数が違うが、三公団は対等な存在だ。どちらかが指示を出し、どちらかがそれに従うという構図になってはいけない。それはやがて、オリジーア王の権威を揺るがすことにもつながりかねないからだ。
いくら平和民団の幹部が要望したところで決定権は王にある。平和民団の意見に惑わされず王の決定に従ってほしいと、サンディはコリンに対して言外ににおわした。
「はい、心得ております」
言葉の裏に隠されたサンディのその意図をくみ取り、コリンは重々しい表情で頷いた。
◆◇◆◇◆
時間は少しさかのぼり、ペレス家でパーティーが始まった頃――。
王城では久しぶりに、現王ライアンが姉のイレーヌと夕餉を共にしていた。
「力が大きい?」
「はい。〝特別な操言士〟こと操言士紀更が持つ操言の力は、とてつもなく大きいのです」
「操言の力は個人差があるのだろう。コリンをはじめ、有能な操言士の多くが強い操言の力を持っていると聞くが、そうした先人たちと同様ではないのか」
「おそらく、異常値と言えるかもしれません。操言の力は生涯を通して訓練や修行で成長、変容させることができますし、状況や本人の心の持ちようによっても変化するものなので一概には言えませんが」
イレーヌはちらりと、テーブルの上に視線を走らせた。二人が口にする食事は今夜も豪華で、主菜、副菜、スープ、パンのどれも、大小様々な食器にまるで芸術品のように丁寧に盛り付けられている。
「平均的な操言士の持つ力の量が、一般家庭用の鍋で四人分のスープを作るぐらいの量だとします。それと比較した際、コリン団長の操言の力は大釜数個分の量です。しかし、修了試験で感じ取れた紀更の力の量は少なくとも小さな民家ひとつ分……鍛えればその何倍にもなるでしょう」
「なるほど。鍋や釜と比べて民家……桁が違うというわけか」
操言の力を持たない者は、操言の力がどのようなものか、見たことのあるもので喩えてもらわないと把握ができない。それを踏まえたうえでのイレーヌの説明だった。
「戴冠してから二十年以上、わたしはどの国民の《光の儀式》でも判別を誤ったことはない。十六年前の彼女についてもだ。このひたいに浮かぶ輝紋は、間違いなく反応しなかった」
ライアンは自分のひたいに意識を集中させた。するとひたいの中央に、四辺が内側に歪曲したひし形が浮かび、淡い朱色の輝きを放った。