6.姉弟(上)
「王黎さんが〝特別な操言士〟と師弟関係を結んだのは、操言士団の指示だからですよね。つまりそこに王黎さんの意志はなく、不本意な師弟関係なのではないでしょうか」
心の中に渦巻く嫉妬を隠しながら、ブリアナは王黎を揺さぶった。
「わたくしはまだ苗字を継いでいませんが、いずれ継ぐつもりでいます。わたくしを弟子にしていただければ、モワナール家とのつながりが生まれます。そうすれば、最年少師範どころか、最年少幹部だって夢ではありませんわ」
「幹部ねえ」
「モワナール家はこれまでもこれからも、王族と関わる一族です。王黎さんの力になれることが、多々あると思いますの」
ブリアナは自分を弟子にすることのメリットを提示して、自分を売り込む。けれども王黎は困ったように間延びした声で唸るだけだった。
「わたくしは操言院でしっかりと基礎を学びました。幼い頃から操言士としての訓練を受けていないあの娘なんかよりも、王黎さんの教えをすべて理解できると思います。その土台があります。ですから、どうか」
ブリアナの青い目には、真摯で懸命な光が揺れている。動機はともかく、王黎の弟子になりたいという気持ちにひとつの嘘偽りもないことは確かだ。本人の言うとおり、操言士としての基礎も、紀更よりは丁寧にマスターしていることだろう。
(はっきり言わないと駄目だねえ、これは)
だが、ブリアナの言葉は砂粒ほどの小ささでさえも王黎に届かない。王黎の心を動かすことはない。ゆるく受け流して曖昧に断ろうかと思っていたが、王黎は腹をくくった。
「師弟関係について、ラファルさんからはなんて言われてるかい?」
王黎が尋ねると、ブリアナは表情をゆがめた。ラファルの名は出してほしくなかったようだ。
「弟子入りを希望する操言士を教えてくれと。わたくしの方からは、それは明日以降にお伝えさせてほしいとお願いしています」
「ほかには? 言われているはずだよね? 師弟関係に関する条件を」
ブリアナは言いたくないようだったが、嘘をついて心証を悪くすることは避けたいようで渋々頷いた。
「一方通行の師弟関係は認められない、と」
師匠となる者、弟子となる者。双方の同意がなければ、ラファルは師弟関係を認めない。だからブリアナは、こうして王黎の同意を得ようと必死だった。
そのブリアナに対して、王黎は言葉を濁すことなくきっぱりと告げた。
「ブリアナ、僕はキミの師匠にはなれない。キミの希望には応えられないよ」
「なっ」
ブリアナは泣きそうになって目がうるんだが、すぐに表情筋に力を入れて、諦めずに食い下がった。
「なれないなんてことはありません! 王黎さんは優秀で立派な操言士です! わたくしもきっと、王黎さんのようになります……そのために、いくらでも精進します!」
「いや、いくらキミが努力して頑張ったところで、僕ではキミの力を伸ばしてあげることができない。だから、キミの師匠にはならない」
「な……なぜ、どうしてですかっ! 特別な操言士のあの娘よりも、わたくしの方が優秀です! わたくしの方が、修了試験の成績だってよかったはずです!」
「うん、そうかもね。だって紀更は、操言士としての学びを始めてまだ一年と少し。対してキミは、物心がつく頃から操言士になるために多くの時間を割いてきた。現時点ではキミの方が優秀だろうね。でも、キミが優秀かどうか、僕が優秀かどうか、それは関係ない。師弟関係は互いの人間性の相性が肝心だからね」
「どういう意味でしょうか」
ブリアナは納得できない、という風に表情を険しくした。
「キミは、師弟関係を一種の社会的地位だととらえているね? 優秀だとか立派だとか、そういう外部の評判、評価が一番気になるようだ。どんな師匠に弟子入りしているかがキミにとっての重要なこと。師匠という存在を、アクセサリーか何かだと思っている。そして師匠の側にも、どんな弟子をとっているか重要に思ってもらいたいと、弟子の自分をアクセサリー扱いしている」
「ち……違います。アクセサリーだなんて」
「じゃあ、もう一度教えてくれるかな。キミが僕に弟子入りしたい理由を」
「それ、は……」
言えるはずがなかった。
王黎が優秀な操言士だから、優秀だと言われているから。だから、弟子入りしたい。そしてモワナール家の自分を弟子にすれば、今後の王黎の社会的地位にも利がある。だから、弟子取りしてほしい。
ブリアナの中にあった理由は、王黎の言うとおりだ。「最年少師範」という二つ名を持つ王黎を師匠にすることで、自分のステータスを一段とよく見せたかった。自分も王黎のように、あらゆる人々から優秀だと言われたかった。まがい物ではなく、自分こそ優秀な王黎の弟子にふさわしいと思っていた。誰かが口にする評判や評価が大事だった。
「僕が優秀かどうか。キミが優秀かどうか。それを判断するのはキミの自由だ。他人の勝手な評価をそのまま鵜呑みにして、自分の判断だと思い込んでいたって別に構わない。そこは好きにすればいいよ。でも、そんなちっぽけな評価を理由に弟子入り志願をしてくるキミを、僕は教え導くことはできない。中身や本質ではなく、誰かが勝手に貼った耳障りのいい言葉のラベルを重視するキミの人間性は、僕と合わないからね」
「そっ、んな……」
ブリアナは悲しそうな悔しそうな、なんとも言えない苦しい表情をする。パーティー会場というこの場所で泣き出さないところは、彼女なりの矜持だろう。
ブリアナが傷ついていることを察してもなお、王黎は手加減せずに続けた。
「僕にとっての師弟関係は、キミが思っているものとは違うよ。師匠も弟子も、優秀かどうかなんて関係ない。キミのご実家だとか最年少幹部だとか、そういうものはもっと関係ない。僕とキミとでは、互いに理想とする師弟関係は築けないだろう。だからお断りさせてもらうよ。キミはキミと同じように、他人の勝手な評価やお家柄に価値を置く人と師弟関係を結べばいいんじゃないかな」
王黎の放つ言葉のひとつひとつに、ブリアナは自身の人格を否定された気持ちになり、化粧で飾った表情が不細工にゆがんでいった。
(じゃあ、あの娘となら……)
特別な操言士と揶揄される紀更となら、理想とする師弟関係が築けているのだろうか。あの娘の人間性なら、相性がいいのだろうか。
そんなブリアナの心情は、王黎には手に取るようにわかった。唇をきゅっと結んで硬くなっているブリアナに、王黎は告げる。あくまでも穏やかな声で。
「ブリアナ、キミはいま、自分と紀更を比べていることだろう。ただでさえ年齢が近く、同期なら意識し合うのは当然だからね。でも、キミはもっと、自分自身に目を向けるべきだ。紀更がされている特別扱いやその境遇。あるいは、修了試験で見せた実力。そういう彼女の表面的な部分ではなく、もちろんキミ自身の表面でもなく、キミの内面をね」
「内面?」
初めてその単語を聞いたかのように、ブリアナは光の消えた目で繰り返した。
「紀更が着ているドレスでも、キミが着ているドレスでもない。ドレスを着ているキミ自身の、目に見えない部分だよ。たとえばキミの心、キミの言動、キミの思想。それらがどうしてその形をしているのか、その色になったのか。そしてそれらはキミ以外の他人からどういう形に、どういう色で見えているのか。キミは紀更でも僕でもなく、もっとキミ自身を客観的に省みるべきだ」
「そ……そんなことに、なんの意味が」
ブリアナは反抗期の子供よろしく、深い根拠もなく反論した。
「成熟するのに必要なんだよ。自分を知り、自分が周りに与える影響を知ること。自分の内面が周りからどう見られているか想像すること。人が本当の意味で大人になって成熟するのに、それらはとても大切なんだ」
「ですから、わたくしはあの娘よりも優秀で、王黎さんの教えできっと成長できると!」
「いや、できないね。ドレスという目に見える上辺部分でしか自分や他人を語れないかぎり、キミの本当の成長はあり得ない。現にこれだけ言っても、どうやら僕の言葉はキミに響いていないらしい。師弟関係というのは、操言士としての部分だけでなく、あらゆる面での成長と成熟を図るためのものだ。だけど僕は、キミに気付きを与えるためのこれ以上言葉を、もう出せそうにない。だから僕はキミの師匠になれないし、ならないよ」
ブリアナは鼻で大きく息を吸い込む音を立てた。そしてとうとう我慢しきれなくなって、挨拶もせずに王黎の前から小走りに立ち去った。広間を出て、先ほど出てきたばかりの化粧室へと駆け込む。誰もいないところで、一人になりたかった。