5.二人の男(上)
「で、どうだったのよ。特別な操言士の修了試験」
尋ねるが返事はない。
「あんた、いつも通り試験官だったんでしょ」
しっかりと相手の目を見てなおも話しかけるがやはり返事はない。
「ちょっと、聞いてる?」
無視を決め込んでいるのか口を開こうとしない同期に、幹部操言士玲白は苛立った。
玲白に話しかけられている教育部部長のマチルダは、彼女の苛立ちに気付きつつも涼しい顔で白ワインを口にしている。
「もう! あんた、あと何年あたしを妬むのよ。同期のあたしの方が先に幹部になったからって」
「妬んでなんかいなくってよ。あなたみたいに粗野な方を幹部会に迎え入れて、呆れてはおりますけれど」
玲白とマチルダは、紀更とブリアナのように修了試験に合格したタイミングがまったく同じの同期だ。その時の試験で合格したのは二人だけで、しかも同い年なのに性格や考え方がまったく違うものだから、若い頃から二人は何かと互いを強く意識してきた。同期という仲間として、友人として、そしてライバルとして。かれこれそんな関係は、三十年近く続いている。
「そもそもあんた、まだ九段じゃない。あたしは師範になってんだから、席が空いていて承認さえされれば幹部操言士になれて当然だったのよ?」
「あなたより昇段が遅いのはあたくしが劣っているからではなくってよ! あたくしは自分のことを後回しにして、後進を育てているざます!」
「そうは言ってないじゃない。はあ、ほんとあんた、面倒くさい」
先ほど挨拶に来た新米操言士の紀更とブリアナ。少ししか見ていないが、紀更に対してどこか一方的に敵対心を燃やしているらしいブリアナの姿は、三十年前のマチルダを玲白に思い起こさせた。
(紀更も苦労するわねえ。マチルダと違ってブリアナはどこかで修正できればいいけど)
玲白はマチルダの横顔を見つめる。
若い時からそうだった。マチルダは操言士である己に誇りを持っており、努力もしていたので、修了試験の結果は優秀だった。マチルダの言うとおり粗野で、どこか大雑把な玲白と比較すると、マチルダの操言の力の使い方は丁寧で教科書通り。だからなのか、なんでもかんでも力任せにしようとする同期の玲白に、よく文句を言っていたものだ。同時に合格はしたが、自分の方が優秀なんだと、いったい何度言われたことか。
しかし時が流れて歳を重ねてくると、どうしてだかマチルダよりいい加減な玲白の方が先に昇段し、とうとう師範になり、幹部会の一人にまでのし上がった。人生どう転ぶかわからないものである。
「いいから教えてよ。やっぱり、どこか特別なの? なんか、操言の力がやたらと大きいって聞いたけど。でもブローチはタイプⅢなんでしょ? 大きいとかなんとかは噂なの? 本人はごくごく普通の娘さん、って感じだったけど」
「修了試験結果の詳細は機密事項ざます」
「いやいや、あたし幹部だし。修了試験の結果くらい、共有してくれてもいいじゃない」
そっぽを向いて唇を尖らすマチルダに、玲白は食い下がった。
二人とも年齢は四十代後半なのだが、どうも二人でいると若い頃に戻ったようで、互いに態度が幼くなってしまう。
「まあ、別にいいけどね。少なくともあたしには、保守派と見せかけてただの保身派のジジイどもが言うような、不吉の象徴には思えない。それに、特別な操言士の出現で何かが変わるなら、それもいいと思うしね」
「冗談じゃないざます。あたくしたち操言士の在り方が変わるなんて許されないざます」
「何が許されないのよ、この保守派。意味ワカンナイ」
「おだまり、歴解派。過去の操言士たちのことを明るみにしたところで現状は何も変わらなくってよ」
「それでも知りたいのよ。過去から学ぼうとすることはそんなにくだらないこと? 不思議だと思うことを突き止めようとするのは、まったく意味がないこと?」
「特別な操言士に関して言えば、後天的に操言の力が宿った理由など、わからなくて結構ざます。彼女は修了試験に合格して、普通の初段操言士になった。つまり、もう特別でもなんでもなくってよ。それに、過去を知ったところで過去は変わらないざます。ご存じありませんこと?」
「でも、未来は変えられるかもしれないじゃない」
「変えなくてもよろしくってよ。現状維持で何が悪いのか、あたくしには理解できないざます。未来も、今の時代と同じでいいじゃありませんの」
「そりゃね、あんたは現状に満足してるでしょうよ。いや、幹部になれていないから満足はしてないか」
「うるさいわね。言ったでしょう、あたくしは後進を育てることに注力しているだけざます」
「確かにあんたは頑張ってるんだろうけど、見習い操言士たちはどうだろうね。コリン団長の思想とはいえ、操言院の教育方針は変えた方がいいんじゃないの」
コリンは今でこそ操言士団団長だが、実は十年以上前に教育部部長を務めていた。当時の操言院の教育方針に変革をもたらし、操言院を大きく改革したのはコリンである。そしてその時のコリンの思想が、現在の教育部、操言院の根幹を成している。
「正直、今の操言院を修了した操言士の質は落ちていると思うわ。若い子たちは気付いてないけど、そう思ってる操言士は多いわよ」
「ふん、そんな評価、聞いたことなくってよ。あなたの主観ではなくって? 主語を大きくするのはやめてほしいざます」
「そりゃあんた、言わないだけよ。下の世代のやる気が下がるし、何より教育部の操言士たちの頭が固すぎて、言っても無駄だって諦めてるのよ」
「整理された定型句で効率的に言葉を憶えて、操言士としてやるべきことの基礎を身に付ける……その教育方針のどこが、質が落ちるというざます?」
「言葉ってさ」
玲白は腰に手を当ててマチルダに語りかけた。
「あたしたち操言士は言葉を使う。言葉が大事。その言葉ってさ、もっと自由でいいんじゃないの。定型句とか効率的とかただの丸暗記とか、そういうんじゃなくて。感じたままを言葉にするんじゃ駄目なの?」
「あなたは、自分が大雑把で野性的ですからそう思うだけざます。若くて未熟な見習いたちに自由を許せば、不適切な言葉が氾濫するだけ。自由な教育で、もしも一般市民を傷つける操言士が現れたら一大事ざます。ですから、操言士はすべての民を守り支えとなるよう、しっかりと教え込む必要があるざます」
「そうとも限らないじゃない。どうして見習いたちができない前提で話を進めるのよ」
「できないから操言院で学んでいるざます! 変な癖がつく前に正攻法をたたき込むことは、操言士としての質を落とさないために必要なことざます!」
「それがさ、なんか違うんだって!」
マチルダと玲白は性格も似ていなければ、思想も感性も似ていない。
教育部の方針や操言院の教え方に懐疑的な玲白は、相手が同期で気兼ねなく意見できるマチルダだからこそ、つい白熱してしまう。
「お二人さん、またやってるの」
交流パーティーの場に相応しくない言い合いの熱が高まってきたその時、選民派の幹部操言士エミリコが割って入った。
「声がだいぶ大きくなってるわよ。おやめなさいな」
「すみません、エミリコさん」
マチルダと玲白より少し年上のエミリコにたしなめられて、玲白はすぐさま落ち着きを取り戻した。
「顔を合わせれば言い合いばかり。無視すればいいのに、玲白はマチルダを見ると話しかけずにはいられないのね」
「まあ、たった二人だけの同期ですし。それよりエミリコさん、特別な操言士の試験はどうでした?」
「どうって……そうね」
玲白に問われて、エミリコは口ごもった。
玲白はエミリコと同じ幹部操言士だ。核心的な結果を共有することは、特段問題ない。けれども、やはり試験官を務めた身としては試験結果をべらべらと話すことには気が引けたようで、詳しくを語りはしなかった。
「見てのとおりよ。特別な操言士の操言ブローチはタイプⅢ、つまり対怪魔戦を模した課題への評価が高く、今後はぜひ対怪魔戦の仕事を軸にしてほしいということよ」
「あたしはてっきり、操言の力に何か特徴があって、タイプⅣを与えられると思っていました」
「そうね。特別な操言士と呼ばれているけど、蓋を開けてみれば結果はそういうことよ」
紀更の操言の力の大きさは、彼女が相当量の力を発揮した瞬間を見た操言士ならすぐに気付くだろう。わざわざ丁寧に答えなくても、いつか知る人は知ることだ。そう考えたエミリコは、紀更の力の「異常なほどの大きさ」についてはあえて触れなかった。
「玲白は特別な操言士がそんなに気になるのかしら」
「そりゃ、まあ。話題の人物ですし、守護部になりましたからね」
エミリコが教育部を統括する幹部操言士であるのと同じで、玲白は守護部を統括する幹部操言士だ。玲白個人の興味はもとより、そうした立場からしても、紀更については玲白の関心事項なのだ。
「歴史を紐解く鍵になるかもしれないから、というのも理由かしらね」
エミリコはニヤりと笑う。歴史解明派である玲白の思惑はお見通しのようだ。