7.報奨(下)
翌朝、紀更たちは弐の鐘が鳴る頃までに各々仕度を終えて宿を出た。効力切れを起こしているという、村の北にある祈聖石を修復しに行くのだ。
「あれ。おはよう、ユルゲンくん。どうしたんだい?」
宿の外壁にもたれかかって腕組みをしていたユルゲンに気が付き、先頭にいた王黎はにこやかに挨拶した。どうやらユルゲンは、一行が出発するのを待っていたようだ。
ユルゲンは紀更とエリックを順番に一瞥し、それから王黎を正面に据える。
「俺も同行していいか? 昨日みたいにキヴィネが出たらたいへんだろ」
「おや……おやおや、それは」
王黎はぱちぱちと瞬きを繰り返し、意表を突かれたことを表現した。
「う~ん……僕は構わないよ。エリックさんはどうですか?」
パーティの中で最年長のエリックに、王黎はうかがいの眼差しを向けた。昨日は自分のペースに周囲を引き込み、強引に次の道を決めた王黎だったが、一応団体行動であることを踏まえて、騎士団のエリックの理解も得ようと配慮したようだ。
「理由を教えてもらおう」
エリックは険しい表情をユルゲンに向けた。
「理由、なあ」
ユルゲンは顎に手を当てて少し考えたが、そう長い間を置かずに答えた。
「傭兵のカンだ」
「カン?」
「あんたらと一緒に行けば、俺の目的が果たせる気がしてな」
「目的……。探し物を見つけることだと言っていたが、何を探しているのかはっきりとしていないのだろう?」
エリックは冷たい目をする。ユルゲンが嘘を言っているとは思わないが、信用するにはあまりにもお粗末な理由だ。そんな不明瞭な目的を持った者を護衛対象に近付けることは、承諾しがたい。
「それはまあ、そうなんだが」
エリックにどう思われているか、ユルゲン自身もわかっているようだ。
すると、ユルゲンはちらりと紀更の方を見やった。エリックとユルゲンのやり取りを見守っていた紀更は、なぜそこで彼が自分を見るのかわからず、きょとんとした表情を浮かべる。
「昨日の怪魔遭遇は、予期していなかった事態なんだろ?」
ユルゲンは再びエリックに視線を向けると、こともなげに続けた。
「そういうときは、だいたい不測の事態が続くもんだ。戦力は多い方がいいと思うぞ」
「信頼できる戦力でなければ意味はない」
自分は戦力になる、と売り込んできたユルゲンに対して、エリックはばっさりと言いきった。
騎士団のエリックとルーカスの仕事は、紀更の護衛だ。紀更の安全を考えれば、突如現れたフリーの傭兵をそう易々とパーティに加えるわけにはいかない。
とはいえ、ユルゲンが言うようにもし昨日のような緊急事態に再び陥った場合、ユルゲンは確かに戦力になるだろう。それはつまり、紀更の身を護ることにつながる。
「それなら、あんたらの気が済むまで、戦闘の際は必ず俺が前衛に立とう。万が一それで俺がけがでもしたり死んだりしてもあんたらに損はない。どうだ?」
ユルゲンはなんのためらいもなくそう提案した。
仲間にするには信用できない。それなら信用してもらえるまで前衛で身体を張る。なんとも傭兵らしい、騎士のエリックやルーカスにしてみれば荒々しいやり方だ。しかし理に適っている。ユルゲンが紀更に危害を加えることを目的に近付いてきた輩だとしても、前衛に立たせていれば、少なくとも後衛の紀更に手を出すことはできないだろう。
(そんな……)
紀更は口には出さなかったが、思案するエリックと違って一人こっそりと心を痛めた。
怪魔との戦闘時に、一番危険な場所に立つ。そんな役割をいとも簡単に担うと言ってのけてしまうユルゲンが、妙に心配だった。
けれども、自分がユルゲンの身を心配するのは筋違いのような気がした。エリックがユルゲンの同道を渋るのは、紀更を護衛するという仕事ゆえだ。守られる立場の紀更が、エリックの疑う相手を心配するのはお門違いだろう。
「わかった。その条件なら同道を許そう」
硬い表情のままだったが、エリックは頷いた。
護衛任務中は、護衛対象に近付くすべての不審人物を疑わねばならない。しかし、それはきりがないことでもある。
ユルゲンを疑うことは容易だ。しかし戦力不足ゆえに護衛対象の紀更を危険にさらすくらいなら、疑いは晴れずともユルゲンが味方にいてくれた方がましだ。総合的にそう判断し、エリックはユルゲンの同行を許した。
「エリックさん、いいんですか」
ルーカスは難色を示したが、エリックがそれ以上ユルゲンと言い合わないのでおとなしく黙った。
「よしよし。じゃあ、ユルゲンくんも加えて行きましょうか」
エリックが許諾したことで、王黎は上機嫌な笑顔を浮かべた。
そんな王黎が先頭を進み、その後にルーカスと紀更、そしてユルゲンが続く。エリックはまだ信用しきっていないユルゲンと護衛対象の紀更を視界に入れておくためにも、列の最後尾を歩いた。最美は昨日負った傷を癒すために一人宿に残って療養しており不在だ。
「せっかくだから、紀更は祈聖石について勉強しながら行こうか」
宿の前の細道を歩き、一行は大通りに出る。村の中央を南北に走る大通りは、これから田畑に行くらしい大人や子供たち、王都に行くのだろう積み荷を乗せた荷馬車が行き交っていた。
「紀更は祈聖石を見たことがあるかい?」
「いえ、ありません。えっと……とても大切なものだから、壊されないように隠してあるんですよね?」
村の北口を目指しながら、王黎は紀更に話しかけた。
紀更は王黎と会話しやすいように、少し小走りをして彼の隣を歩く。
「そうだよ。祈聖石は、それが祈聖石だとわからないように細工してある。そしてもちろん、その細工は操言の力によるもので、祈聖石だとわかる状態にするためには操言の力が必要なんだ」
「祈聖石がどこにあるのか、操言士なら誰でも知っているんですか?」
紀更は積極的に質問した。王黎は弟子の質問が嬉しいらしく、にこにこしながら答える。
「誰でもじゃないね。たとえば、王都を守る祈聖石のありかを、この村の操言士は知らない。逆に、レイトの祈聖石のありかを、王都の操言士は知らない。祈聖石の製作や管理に深く関わる操言士なら知っているけどね」
「製作や管理……」
「操言士団の組織のおさらいをしようか」
王黎は歩く速度をゆるめた。
「操言士団にある四部会という組織、全部言えるかな?」
「国内部、守護部……えっと、民間部……あとひとつは」
「教育部だよ。じゃあ、それぞれの役割は?」
「えっと……国内部は生活器を作ること、怪魔退治……守護部も怪魔退治。民間部も確か生活器を作ることが主な仕事で……あれ、役割がかぶっちゃいますね」
操言院で習ったはずなのだが、紀更は自分の答えに混乱した。
「誰が何をしているのか、具体的に想像するといいよ。守護部は僕だね。守護部に所属する操言士の主な役割は怪魔退治だけど、どこで戦うと思う?」
「どこ……都市部の外……レイト東街道みたいな場所ですか?」
「都市部の外というのは正解だよ。だけどもっと見る範囲を広げよう。守護部の操言士は整備された街道や国道だけでなく、必要とあらば道のない森の奥、山の中、国内のあらゆる場所に行くんだ」
「あらゆる場所……」
「怪魔はひとつの場所に大量に発生することがまれにあるからね。そういうときは騎士団と協力して、大人数で怪魔を討伐するんだ。怪魔を完全に斃すには操言の力が必要だけど、騎士の物理的戦力も重要だからね」
「そうですね」
それは昨日のキヴィネとの戦いで思い知った。操言士だけ、あるいは騎士や傭兵だけでは怪魔を退けるのには十分ではない。そのどちらも怪魔との戦闘には欠かせないのだ。
「でも、王黎師匠が戦うところは見たことありません」
紀更は少し非難がましく呟いた。
昨日、王黎は南方に出現した怪魔と戦っていたと言ったが、紀更自身は怪魔と戦う王黎をまだ見たことがない。守護部の操言士の仕事が怪魔と戦うことだと言うのなら、紀更の見る限り、王黎は仕事をしていないように思えた。
「え~。昨日、ちゃんと戦ったよ? 紀更はずっと操言院の中にいたんだし、外で戦う僕を見てないのは仕方ないじゃない?」
王黎は悪びれた様子もなくへらへらと笑った。そしてそれからすぐに、紀更への講義を再開する。
「エリックさんとルーカスくんはいま、王都を離れているよね?」
「え、はい……そうですね?」
「任務であれば王都を離れる。操言士団の守護部も同じで、基本は都市部にいるんだけど、怪魔殲滅を命じられたら都市部の外へ赴くんだ。それが森の中でも山奥でも、時には海の上でもね。一方で、基本的に都市部を離れないのが国内部の操言士たちだよ」
「都市部を離れない……。それが、守護部と国内部との違いですか?」
「大雑把に言うとそうなるね。守護部の操言士は、都市部を離れてでも怪魔と戦い、国内すべての地域の治安を守るのが仕事だ。そして国内部の操言士は、基本的にひとつの都市部にとどまってその都市部周辺を守ったり、その都市部内で必要とされる生活器を作ったりして、人々の生活を支えているんだ」
「守る範囲が国全体か、都市部周辺かという違いでしょか」
「そんなところだね。僕は守護部所属だから、王都周辺だろうとレイト周辺だろうと、遠い南のメルゲントだろうと、仕事なら赴く。だけど、国内部所属の操言士はそうじゃない。昨日みたいに、都市部の近くに現れた怪魔と戦うことはあるけど、レイト操言支部にいる国内部の操言士が傭兵の街メルゲントの近くに現れた怪魔を退治しに行くことはないんだ」
「なるほど……」
王黎の解説を聞いて、紀更は今までの自分の理解が浅かったことを痛感した。
操言院では、教科書に書いてあるとおりにただ暗記するだけだった。しかし、理解して憶えたつもりでいたが、いざ口に出して説明しようとするとうまくいかない。わかったつもりでいても、学んだことは何ひとつ自分のものにできていなかったのだ。
だが、王都を出てこの村を見たこと、ルーカスから教えてもらったこと、それらの点と点を、王黎の解説が線でつないでくれる。自分が見て聞いて経験したことと王黎の教えは、操言院の授業の何倍も理解を深めてくれた。
「じゃあ民間部はと言うと、都市部から離れないという点では国内部と共通している。でも、国内部の操言士と違って、基本的に戦闘はしない。祈聖石をはじめとした、生活器製作が主な仕事だ。そして、操言士団の中で唯一、民間部の操言士は民間の団体に所属することが許されているんだ」
「民間の団体に所属?」
「民間部の操言士は籍だけ操言士団で、実態は平和民団に属しているって感じかな」
「う~ん……」
紀更は唸った。
操言士団だけでなく平和民団の話まで出てきてしまい、混乱を避けられない。
「紀更、昨日分水池を見ただろう?」
「はい。あっ……分水池は三公団が総出で作るって」
昨日ルーカスがしてくれた分水池の話を思い出して、紀更の混乱は少しおさまった。何かが明確になり、理解まで近付いている気がする。
「分水池の設計はたぶん、平和民団の大工ギルドが請け負ったはずだ。操言士や騎士は大工ギルドに所属できないけど、例外が、操言士団民間部所属の操言士だ」
「分水地の建造に操言士も関わったはずだと、ルーカスさんが言っていました。その操言士は、民間部所属の操言士だった、ということですか?」
「ん、そーゆーこと」
王黎はばっちんという音がしそうなほどわざとらしく瞼を閉じて笑った。
「民間部所属の操言士なら、ギルド以外にも民間の商店で働くこともあるよ」
「言い換えると、民間部以外の操言士は、平和民団の組織やお店では働けない?」
「そうそう、そういうこと。守護部、国内部、教育部の操言士はね、国のために働くのが前提。お給料も国からもらうし、国、つまり操言士団の命令に従わなければいけない。でも民間部の操言士は所属しているギルドのために働くって感じだから、だいぶ異質だね。そうじゃない民間部の操言士もいるけどね」
「なるほど」
自分がこれからなろうとしている操言士。それがこのオリジーアという国の中でどう位置付けられているのか。紀更は、その大枠がだいぶつかめてきた。
「私のような見習い操言士も、四部会のどこかに属しているんですか?」
「キミたち見習い操言士は、みんな教育部の所属だよ。見習いの間はわざわざ名乗ったりしないし、あまり四部会に所属してる実感もないだろうから、修了試験に合格して一人前になるまでは関係ないようなもんだけどね。修了試験に合格したら、ほかの部に属することができるよ」
「ほかの部……」
「自分は操言の力をどんなことに使うのが得意なのか、苦手なのか。操言士として自分にできることは何か、したいことは何か。自分は果たしてどんな操言士になりたいのか。それらを考えるってことが、操言士として生きていくってことだね」