4.華族(下)
「過去に例を見ない、異例の操言士。その存在を、オリジーアに悪い変化をもたらすのではと厭う者や、《光の儀式》を行ったライアン王の誤判を疑う者もいたそうですが、それはもはや過去のこと。無事修了試験に合格したということは、もう普通の操言士です。操言士として粛々とこの国のために働き、人々を守り支えてくれることでしょう。そう期待しています。そうでしょう、ヘススさん。ロジャーさん」
ヘススとロジャーは、先ほどブリアナと一緒に挨拶に来た紀更を思い出した。
彼女が「特別な操言士」と呼ばれ始めた一年前、二人は紀更の存在を非常に恐れた。過去に例がないことが起きる――つまり、時代の変化が来るのではないか。昔から続く今の体制が変わってしまうのではないか。特別な操言士によって、幹部操言士である自分たちの立場が脅かされるのではないか。そう恐れた二人は、「特別な操言士」に対して徹底して否定的だった。
しかし、今はどうだ。テオドールの言うとおり、後天的に操言の力が宿ったという経歴こそ特別だが、蓋を開けてみれば紀更はそれ以外に特に特徴のない、実に普通の操言士だ。ブリアナの隣で頼りなさげに笑っていたところを見るに、たいした処世術も身に付けていない、ただの小娘にすぎない。レオンやエミリコいわく、有している操言の力はかなり大きいそうだが、ヘススとロジャーは紀更の操言の力をじかに見ていないので、二人が誇張しているだけだと思っている。
「ええ、テオドール殿。確かに、ほかの操言士と少々経歴は異なりますが、所詮それだけのこと。彼女も普通に、淡々と、この国のために尽くしてくれるでしょう」
ヘススはへらへらと曖昧に笑った。ヨーゼフはニヤりと満足げな笑みを浮かべる。
「人口に対して操言士の数は少ないですが、それでもこうして毎月少しずつ、一人前の操言士は増えていく。怪魔も増えているそうですが、操言士がいれば我々も安心です」
「ヨーゼフ殿の言うとおりです。我々平和民団は、操言士団の活躍に心から期待しています。ピラーオルドなどという、何が狙いなのか不明な組織も、きっと操言士団の方々が国外へ追い出してくれることでしょう。なにせ、ヘススさんやロジャーさんのような、優秀な幹部操言士が操言士団を率いているのですから」
ヨーゼフがグラスをかかげ、テオドールもグラスを高く持った。
「操言士団の活躍に、乾杯」
「はっ……必ず」
ヘススとロジャーも慌ててグラスを手にして酒をあおった。
(一刻も早く諸問題を解決しなければ!)
(苗字を……我々も、苗字持ちに!)
ペレス家とガルシア家が主軸となって現王ライアンを説得し、三公団とは別、かつ上位の組織となる「華族議会」を立ち上げる計画。その実現のためには、現状の怪魔多発や操言士誘拐、ピラーオルドという国全体を危険にさらしている問題を解決する必要がある。
(誰でもいい! 誰か、早くなんとかしてくれ!)
(守護部だ! 守護部の操言士がもっと動けばいいんだ!)
ヘススもロジャーも、声には出さないものの、似たようなことを胸中で考える。
怪魔や正体不明の怪しい組織に立ち向かうなど、自分たちには無理である。怪魔との戦闘なんぞ、最後に行ったのは何年前だったか。それに攫われるかもしれない、危険だとわかりきっている現場に今さら老体に鞭を打って赴くはずがない。誰か自分たち以外の操言士がどうにかしてくれと、二人はただひたすらに思う。
(わたしはまだ止まらん)
(儂はもっと認められるべきなんだ)
年配者の太鼓持ちを長年続けて、ようやく手に入れた幹部操言士の座。しかしここで満足はしていない。華族議会の立ち上げが実現した際には、ペレス家とガルシア家の推薦を得て念願の「苗字」を手に入れ、「華族」の一員になる。自分たちはまだ上に行けるはずなのだ。
ヘススとロジャーは自分の個人的なその野望実現のため、年下の四大華族当主たちに今夜もへこへこと頭を下げ続けた。
◆◇◆◇◆
「紀更、どう? 息できてる? 緊張で肩に力が入ってるんじゃない?」
「っ……王黎師匠!」
紀更に声をかけたのは王黎だった。いつものようにどこからともなく現れた王黎に、紀更は目を見開いて驚く。
初めて訪れた屋敷の広間の中を歩き回り、顔しか知らない幹部操言士と慣れない会話をする。時には、一緒にいるブリアナに声をかける顔すらも知らない平和民団の大人に愛想笑いを浮かべる。ゆっくりと落ち着いて食事する時間もわずかで、パーティーという慣れない催し物の空気に精神が摩耗していた紀更は、よく知る人物の登場に気がゆるみ、疲れが一気に吹き飛んだ気がした。
「どうして王黎師匠がここに?」
「主催者のヨーゼフさんに招かれたんだよ」
「さすが、顔が広いですね。お知り合いなんですか」
「よく仕事を頼まれるからね~」
「そうですか。ふふっ、王黎師匠も夜会服なんて持ってるんですね」
「まあね」
王黎と最後に会ったのは一週間前。ミニノート川を臨む河原で、修了試験について助言をもらった時だ。一昨日の試験当日も昨日の合格発表の日も、王黎は操言院に姿を見せなかったので、紀更は久しぶりに会えた王黎に安心し、そしてはにかんだ。
「おかげさまで、無事に修了試験に合格できました。王黎師匠、アンヘルさん、雛菊さんのおかげです」
紀更は手に持っていた取り皿とフォークを手近の丸テーブルに置き、ゆっくりと頭を下げた。
「合格おめでとう、紀更。操言ブローチのタイプはⅢで、所属は守護部だって? 望んだとおりの結果だね」
自分のことのように、王黎は満足げに頷く。紀更は顔を上げて頷いた。
「はい。正直自分でも驚いています。本当にアピールができたみたいで」
「終わり良ければすべて良し、だよ。これでやっと、堅苦しい操言院から解放されるね」
王黎がそう言うと紀更は苦笑いを浮かべた。
そこへ、お手洗いのためしばし中座していたブリアナが戻ってきて大きな声を出した。
「えっ、王黎さんっ!?」
「ん?」
「あ、す、すみません。わたくし、ブリアナと申します。モワナール家の娘ですの」
王黎から注がれる視線を感じたブリアナは、ドレスの裾を持ち上げて丁寧に挨拶をした。
「ああ、紀更の同期かな。初めまして、守護部の操言士王黎です」
王黎はブリアナの存在を耳にしたことがあり、ある程度どのような性格なのかも把握している。このパーティーで紀更と一緒に行動していることも十分知っていたが、そんなことはおくびにも出さず、初対面で何も知らぬ風をよそおった。
「紀更にパーティーのお作法を教えてくれてるのかな。ありがとうね」
「え、ええ……マチルダさんからも頼まれておりますので」
「それはマチルダさんが正解だね。紀更はパーティーなんて初めてだし、こういう場に慣れているモワナール家のご令嬢が一緒にいてくれて、紀更も安心だろう」
「王黎師匠っ」
王黎はブリアナに対して、まるで紀更の保護者かのように振る舞った。そんな王黎からされる若輩者扱いが恥ずかしい気がして、紀更は複雑な表情になる。だが王黎の言うとおり、ブリアナが隣にいてくれてとても助かっていることは事実なので、少々困惑を滲ませながらもそれ以上は何も言わなかった。
「あの、王黎、さん」
ブリアナは、サンディが話しかけてきた時のように歯切れが悪くなる。王黎と紀更を交互にちらっと見ては、何かを迷っているようだ。
王黎はブリアナを一瞥すると、紀更の方に顔を向けた。
「紀更、休憩はしたかい?」
「え? いえ」
「ずっと立ちっぱなしだし、少し疲れただろう。廊下に出て左手に行けば、庭に出られるみたいだよ。廊下はソファもあるし、人が少ない場所で少し休むといいんじゃないかな」
ブリアナからは見えない角度で王黎が高速ウインクを飛ばしてきたので、紀更ははっと気が付いて頷いた。
「そうですね。じゃあ、少し休んできます。ごめんね、ブリアナ。少ししたら戻るから、待っててくれる?」
「え、ええ……仕方ないわね」
「ありがとう。じゃあ、またあとで」
紀更はブリアナにそう告げると、王黎に軽く会釈をして広間の出入り口に向かった。
残った王黎は、人懐こい人畜無害そうな笑みを浮かべてブリアナに尋ねる。
「それで、僕に何か用かな、ブリアナ」
王黎に問われたブリアナは、意を決して口を開いた。
「王黎さん! わたくしを、あなたの弟子にしてくださいませんか!」
◆◇◆◇◆