3.思惑(下)
平和民団も怪しい人物を捜索、調査してはいるが、実際にその活動にあたっている人数は非常に限られていた。平和民団は騎士団や操言士団と違って、幹部以外の組織らしい組織はなく、基本的に都市部の自治はそれぞれの長と、その下に成り立つ役所等の公的機関に任せられている。しかし、各都市部の役所には、ピラーオルドの調査などという重要かつ危険な仕事を簡単に任せられるはずもなく、実態として、平和民団はほとんど何もしていないに等しい。
それなのに平和民団の幹部は、もっと怪魔に対応しろと操言士団に迫り、ピラーオルドに接触したという操言士にピラーオルドを調査させろ、という圧力をかけてきている。一般市民にいたっては、ピラーオルドという組織名は知らないものの、怪魔多発の現状について、根も葉もない噂話で退屈を紛らわしている。自分たちが何かをしなくても操言士たちがなんとかしてくれるはずだと高をくくって、一事が万事、操言士頼みの空気だ。ピラーオルドと接触した操言士について、コリンたち操言士団の幹部会が安全性の観点から個人名を秘匿したので、その操言士が王黎と紀更であると名前が知られていないことは、せめてもの救いかもしれない。
「騎士団はまだいいわ。実際に怪魔と戦ってくれることもあるし、夜の見回りだっておろそかにしないもの。でも平和民団は、操言士のことを便利屋程度にしか思っていない。夜間の安全は騎士団と操言士団が守ってくれると信じて、見張りひとつしない。こっちだって同じ人間よ。疲れれば休みたいし、得意不得意だってある。瞬間移動ができるわけでもないし、人数だって限られてる。なんでもかんでも頼られたんじゃ、やってられないわ」
萌夏の不満は、萌夏と清彦が目を配っている民間部に所属する操言士たちの不満でもある。
民間部に所属している操言士たちは、主に都市部の工房や商家、ギルドなどで働いている。そこで生活器を作ったり売ったりしているわけだが、怪魔が多発している昨今の情勢のおかげで、祈聖石に似た怪魔避けの生活器の需要が大幅に増え、ほぼ休みなく働かざるを得ない状況にある。
「守護部の操言士で、都市部待機している操言士を民間部に回すのはどう? 出動命令があるまでは、工房で働いてもらうの」
「それはラファル部長が許可しないだろう。操言士が生活器作りで疲れ果てて、いざ怪魔に対応したら疲労が原因でやられちまうなんて、嫌な結末だろ。それに、怪魔との戦闘が得意な操言士は、その大多数が生活器作りに向いていない。操言の力の使い方が大味だからな」
萌夏の浅はかな提案を、清彦はきっぱりと否定した。
「ああ、もう。もどかしいわね」
「せめて怪魔についてもう少し詳細がわかればな。怪魔が発生するのを事前に止めることができるかもしれない。そうすれば、出現してから対処するしかない今の後手後手の状況からは抜け出せるだろうに」
「そのためにも、歴解派が動いてるんじゃないの。成果があったって話は聞かないけど」
複数ある派閥のうちのひとつ、歴史解明派。彼らは操言士にまつわる歴史を解明することを理想としているが、解明を切望する事項の中には、「なぜ、どうやって、怪魔は発生するのか」というテーマも含まれているはずだ。
「怪魔も困るけど、ピラーオルドもよねえ。その調査、守護部の王黎に任せられないのかしら。今のところ彼だけでしょ、ピラーオルドと接触してるのって」
「それと、〝特別な操言士〟もだ」
「ああ、紀更だっけ」
先ほどブリアナと二人で挨拶に来た少女を思い出して、萌夏はその名を口にした。
良くも悪くも有名な師匠と違ってとても普通の女の子に見えたが、なんの因果で王黎と共にピラーオルドと対面することになったのか。偶然とは恐ろしいものだ。それとも、そうした運を持っているからこそ「特別な操言士」なのだろうか。
「紀更も無事見習いを卒業したんだし、師匠の王黎と一緒にピラーオルドの調査を命じればいいと思わない? どうしてコリン団長は、王都からの外出を禁じてるのかしら」
「ピラーオルドと接触しているのが彼らだけ、というのが逆に怪しいんだろう」
「まさか、王黎が手引きして、ピラーオルドの連中を国内に入れたとでも言うの?」
「そう考える幹部もいる。それがコリン団長なのか古株のジャックなのか、平和民団の幹部にいいように扱われてるヘススらなのかは知らんが」
王黎と紀更が王都に帰還した日に行われた、操言士団本部の大会議室での聴取の際、最後にコリンは王黎の王都からの外出をしばし禁じた。
確かに、王黎には疑わしいところがおおいにある。「特別な操言士」を操言院から連れ出し、まだ見習いなのに祈聖石巡礼の旅をさせたこと。始海の塔という、聞いたこともない不可思議な場所に行ったこと。レイト、ラフーア、ポーレンヌと、怪魔に襲撃された都市部でその場に居合わせたこと。偶然がそんなにも重なるものだろうかと、幹部会の誰もが思わずにはいられない。
(王黎は何を企んでいるんだ。騎士団が祈聖石巡礼の旅に護衛をつけたのも、目的は紀更の護衛ではなく、王黎の監視だったんじゃないのか。ならば、騎士団の護衛は操言士団が依頼したのか。依頼主はコリン団長か、ほかの幹部操言士か。この事態に対して、コリン団長は王黎をどう動かすつもりだ? 守護部のラファル部長は、王黎の行動の意図をどこまで把握している?)
コリンの思惑が、清彦にはわからない。また、王黎が所属する守護部の部長ラファルがどこまで知っていて、何を王黎に許すのかも。
「なーんか、事態を打破できるきっかけが欲しいわよねえ。でないとあたしたち操言士団はじりじりすり減って、本当に何かが起きた時、誰も対処できないかもしれないわ」
ため息とともに吐き出される萌夏の懸念に、清彦も同感だった。
◆◇◆◇◆
「よぉ、王黎。お前も来てたんだな」
取り皿の料理をのんきにつついていた王黎を見つけて、幹部操言士マティアスは尋ねた。
「あへ、はひはふはん」
「飲み込んでから喋れ」
もぐもぐと口を動かしながら喋る王黎を、マティアスはしばらく待った。
「さすがペレス家ですね。料理が美味しいですよ。マティアスさんも食べてますか」
「お前はほんと、どんな状況でもマイペースだな」
「他人に合わせられないだけですよ」
王黎はにこにこと笑いながら、サラダをマティアスに勧める。マティアスは嫌いなトマトを避けて、器用に葉物だけをフォークで束にして口にした。
「いいのか、弟子を放っておいて」
「紀更なら優秀な同期と一緒ですから、僕が面倒を見るまでもないですよ」
「優秀な同期だぁ?」
「モワナール家のご令嬢、ブリアナです」
「ああ、そーいやさっき、二人そろって挨拶に来たな。でもそいつ、〝特別な操言士〟を嫌ってるだろ。子猫が喧嘩してるみたいだった、って昨日、ラファル部長から聞いたぞ」
「うーん、嫌いというより嫉妬ですかねえ。まあ、紀更は普通の女の子なんで、そのうち毒気が抜かれて少しは仲良くできると思いますよ。なんたって紀更は、教育部のアンヘルさんすらも懐柔しましたからね」
自分の手柄であるかのように王黎は自慢顔になった。
「アンヘル? 誰だっけか」
「マチルダさんのお気に入りで、紀更を個別指導してくれた教師操言士ですよ。ちょっと前までは、こってこての教育部の人でした」
「ああ、それでわかった。ようはオレの嫌いなタイプの操言士だな。口先だけデカくて、自分がすべて正しいとでも思って、上から目線で話すんだろ。よくそんなのが教師なんてやってるよな。いや、そういうタイプだから教育部でやっていけるのか」
「それについては割愛します。とにかく、紀更は放っておいても大丈夫なんで」
「んじゃ、お前ヒマだろ。オレにこのパーティーの狙いを教えてくれ」
マティアスは王黎の肩に腕を回し、耳元に小声を吹きかけた。
「ヨーゼフ・ペレスは何を企んでる? オレら幹部も全員招くなんて、おかしいだろ」
「そうでもありませんよ。最初の挨拶でヨーゼフさん自らが話したとおりのことが狙いでしょう」
王黎は肩にかけられたマティアスの腕を、笑顔で払いのける。
「幹部の方々は口実に使われているだけだと思いますよ。新米操言士と幹部操言士に交流してもらうため、とかね。狙いがあるとすれば、紀更じゃないでしょうか」
「特別な操言士か」
「あのー、その呼び名。そろそろやめませんかねえ。皆さん、どうしてそこまで頑なに、紀更って名前で呼んであげないんですか」
王黎は大げさなほどため息をついた。