2.派閥(上)
陽が沈む頃、ドレスアップしたブリアナが自家用の馬車で操言院に姿を現した。二度手間だのなんだのと少しばかり文句を言いながらも、ブリアナは紀更たちと合流する。そして、同じくドレスアップした教育部部長マチルダの先導で、紀更たちはフローレンスが用意した二台の馬車に分かれてヴェレンキ地区のペレス家に向かった。
「すごい……広い」
馬車を降りて正門を通り、やけに長い道を歩いて見えてきたペレス家は、城ではない民家としては、あまりにも広い敷地と大きな屋敷だった。
「四大華族だもの。これくらい普通よ」
ペレス家と同じく「四大華族」のモワナール家のお嬢様であるブリアナは、おのぼりさんよろしく驚きの表情を浮かべている紀更を馬鹿にしたように言う。
(感覚が違うのね、きっと)
ブリアナの言うことは右から左へ流し、紀更はマチルダに続いて屋敷の玄関へ足を進めた。
屋敷の使用人によって、紀更たち新米操言士一行は玄関横の応接室に通される。パーティー会場は別の部屋らしく、順次到着している招待客は、時間になるまでこの応接室で待機させられるとのことだ。
「いいこと、今日は操言士団の幹部の方が全員来ているざます。あなた方はまず幹部全員にご挨拶するよう、心掛けなさい。それ以外の方には愛想よくしていればいいざます。ただし、操言院や操言士団の中のことは、やたらと話すんじゃなくってよ」
会場への案内が始まる前に、マチルダが指示を出す。紀更以外の四人は黙って頷いたが、紀更だけは少し首をかしげた。
(中のことって、快晴革命のこととかかしら。ペレス家は平和民団だものね)
「それと、単独行動はせず二組に分かれて行動すること。理知介、カシム、タレレンカで一組。ブリアナと紀更で一組ざます」
「えっ!」
「えっ!」
ブリアナと紀更の声が重なる。すぐさま、マチルダはその二人を睨んだ。
「紀更、あなたはブリアナからしっかり、このようなパーティーでのお作法を学びなさい。操言士団と平和民団との違いについてもよ。ブリアナ、あなたが四大華族の出身であることを信頼して言ってますのよ。おわかり?」
紀更とブリアナは、互いに渋々といった表情で視線を交わす。
紀更は、ブリアナが突っかかってくることに少なからず困ってはいたが、ブリアナ個人が憎いわけではない。「特別な操言士だから」という理由で妬まれたり言い掛かりをつけられたり、快く思われなかったりすることにはもういい加減慣れている。だから、マチルダへの抗議は、好きではない対象と組まされるブリアナが嫌がりそうで困る、という気持ちからくるものだ。ブリアナ自身を嫌がっているわけではない。
(それに、マチルダさんの言うとおりだわ。華族とか、そのあたりの事情について私はほとんど無知。この際、ブリアナからいろいろ教えてもらおう。せっかくの同期なんだし)
紀更は呼吸を整えると、先ほどタレレンカにそうしたように右手を差し出した。
「ブリアナ、今夜はお世話になります。いろいろ教えてね。よろしく」
「っ~……迷惑かけないでよね!」
紀更ほどうまく切り替えられないブリアナは眉間に皺を寄せ、いかにも不服そうに口を真一文字に結んでいたが、マチルダの視線を感じて渋々頷き、紀更の手を取った。
「わたくしが教えてあげるんですから、ちゃんと聞きなさいよ!」
とげとげしい態度を崩さないブリアナに、紀更は思わず「はいはい」とおざなりな返事をしそうになった。だが、それでブリアナの機嫌を損ねるのは百害あって一利なしなので、すんでのところで声を止めることに成功し、無難な返事をした。
(パーティーなんて何をどうしたらいいかわからなかったけど、こうなったら少しでもブリアナと仲良くできることを目標にしよう)
先ほどタレレンカら同期たちと交流を深められたことで少し自信がついたのか、紀更は密かにそんな目標を立てた。ブリアナには少し悪いが、自分が知らないことを彼女から吸収して身に付けるいいチャンスだ。今夜はなるべく、ブリアナのお気に召すように下手に出るようにしておこう。
それからしばらくして、会場の部屋へ移動してくださいとの案内が始まった。
マチルダを先頭に、修了試験合格者たちは二組でまとまって移動し、パーティー会場として整えられた、広く豪華な広間に足を踏み入れた。
◆◇◆◇◆
「どうした。落ち着きがないな」
正装をしている騎士に問われて、ユルゲンは自分の胸元に手を置いた。騎士の正装ほどではないが、上質の布が使われ、装飾用のボタンが縦に二列並んでいる衣装は、普段の動きやすさと防御性を重視した傭兵装束に慣れているユルゲンからすると、違和感しか覚えない。
「こういう服に慣れていないんだ」
「お前、傭兵らしいな。だからか」
「まあ、立ってるだけで終わるだろうし、しばらくの我慢だな」
気休めを言う二人の騎士は、くすくすと笑う。
ユルゲンは王黎の紹介で、パーティーを開くペレス家の屋敷の警備という仕事を請け負った。武器だけ持ってくればいいと聞いていたが、それはどうやら、屋敷が用意する服装で仕事をしてくれ、という意味だったらしい。実用性よりも、いかにも見た目を重視したこの白基調の服を屋敷の執事から与えられたユルゲンは、本当に自分に求められている役割が「警備」なのかどうか疑わしい。同じくペレス家の警備を行う騎士らと共に屋敷の周囲を巡回するが、どちらかというと、「これだけ警備に力を入れていますよ」と招待客にアピールするための、一種のマネキンのような役割でしかないように思う。
招待客たちが続々と到着しているようで、玄関の方からはにぎわう声と複数人の足音が聞こえてくる。怪しい者が紛れ込んでいないか、玄関付近には多くの騎士が配置され、今頃、防犯のための手荷物検査をしていることだろう。騎士は招待客に見られても構わないが傭兵であるユルゲンはあまり客人に見られたくないようで、執事からの言いつけでは屋敷の裏側の警備を重点的によろしく、とのことだった。
(屋敷の人間は、何か騒ぎが起きるような心当たりがあるわけでもなさそうだし、本当に立っているだけで終わりそうだな)
報酬が高価なのはありがたいが、暇はよくない。このような警備任務であまりに暇すぎると、万が一の事態に対応できない。かといって最初から最後までずっと気を張って警戒しているというのも、それはそれで無駄に心身を消耗してしまう。おまけに、これほどまでに広い屋敷でかつ招待客が多いパーティーには慣れていないので、気の抜き方、引き締め方の上手な加減がなかなかできそうになかった。
(はあ……これも経験だな)
着慣れない服は息苦しいし、着飾った大量の客人たちが作るきらびやかな空気は自分が非常に場違いな感じがして、居心地が悪い。しかし富裕層の開くパーティーの警備という王都以外の都市部ではなかなかできない経験を、ユルゲンは前向きにとらえることにした。
◆◇◆◇◆
「皆様、ようこそペレス家へ。今宵お集まりいただきました皆様にお願いしたいのは、ただひとつ。この場を楽しみ、交流を深めていただくこと! それだけです。それはなぜか? 昨今は怪魔の出現が増え、少し前のことですが、音の街ラフーアとポーレンヌ城下町が怪魔に襲撃されました。痛ましいことです。騎士が、操言士が、一般市民全員が、この事態に対処しています。つまり、我々に必要なのは協力、協調です。怪魔という恐ろしい敵に対して三公団の枠組みにとらわれずに手を取り合い、安全な生活を守り続けていく。そのためには一人でも多くの友人を持つことが肝要です。ぜひ今夜は、友人を一人でも多く増やす機会にしていただきたい。それがわたしの願いです。それでは重苦しい挨拶はこれくらいにして、皆様、グラスのご用意を」
高く尖った鼻が印象的なヨーゼフ・ペレスが声をかけると、広間に集まった招待客たちはいっせいに、給仕係のペレス家使用人たちから食前酒の入ったグラスを受け取った。会場内を区切るように設置されている長テーブルには、様々な食材で作られた多種多様の料理が並べられている。客の一部には、乾杯用のグラスを手にしつつも早くその料理を口にしたいと、笑みをこぼしている者もいた。
広間の天井に惜しむことなく設置された明灯器の灯りは、まるで太陽のごとく会場内に降り注ぎ、外は夕暮れも過ぎて暗くなっているというのに、室内は昼間のように明るい。パーティーには百名を超えるのではないかと思われるほどの参加者がいたが、その一人一人の表情も服装も、どれもはっきりと見えた。
紀更も周囲にならってグラスを受け取ったが、横にいるブリアナが形の違うグラスを持っていることにふと気が付いた。