1.ドレスアップ(下)
「こちらのお嬢さんは、やっぱりあっちのドレスがいいわネ」
「あらあら、そうですわねえ。この色もお似合いですけれど」
「でもって、ユーは」
昼過ぎに操言院を訪れた紀更は案内の教師操言士に連れられて、昨日退寮したばかりの寮の一室に案内された。今夜のペレス家のパーティーに参加する合格者のうち、女子二名の着替え部屋となっているらしい。中には紀更と一緒に合格したタレレンカのほかに、赤や緑の羽を頭に差してお尻から一本の細長い尻尾を生やした奇抜なファッションの女性と、毛先のウェーブしたミルクティーベージュ色の髪のおっとりした雰囲気の女性がいた。
「そうネ、ユーはこれヨ!」
「まあ、素敵! さすがイチコさんの見立てですわ」
この部屋に来て最初に挨拶をしたのはおっとりした女性、守護部の操言士フローレンスだった。
パーティーに招待された紀更とタレレンカだが、ドレスも靴も持っていないだろうということで、このフローレンスがあらかじめ、いくつものドレスや靴を用意しておいてくれたらしい。しかも、フローレンスが用意してくれたそれらを拝借できるだけでなく、イチコと名乗った奇抜なファッションの女性が、メイクやヘアセットをしてくれるという。
「いいわネ。ユーたち、なかなかの素材ヨ」
そう言ってウインクするイチコは、フローレンスが懇意にしている服飾コーディネーターだそうだ。ヨウキザルのメヒュラだそうで、ヨウキザル型の姿はあまり好きではないが、細長い尻尾だけは気に入っているので、あえてその尻尾だけを出しているのだと、この部屋に入って挨拶をした際に説明してくれた。年齢はそれなりに重ねているようだが、あふれ出るエネルギーは非常に若々しい女性だった。
(まさか、こんなだとは思わなかった)
紀更は立ったまま、斜め下を力のない瞳で見つめた。
初めましての挨拶を終えた途端に、イチコとフローレンスのテンションは一気に最高潮に達した。二人は仲がいいのか、タレレンカと紀更が着ていた普通の町娘の服装である白いブラウスと無地のジャンパースカートを見事な連携プレーでひんむき、ドレスをあてがった。そして次から次へと着せ替えを始めて、あっちも良いこっちも良い、もっとほかのドレスも用意すればよかったと、楽しそうに騒いだ。
最初こそタレレンカと共に困惑した紀更だったが、イチコとフローレンスのテンションの高さに付いていけず、途中からはずっと、着せ替え人形になりきったつもりで黙っていた。
「紀更、大丈夫かしら。一人で着られるかしら。お手伝いしましょうか」
「い、いえっ、一人で着られます! ありがとうございます」
母の沙織と年齢が近そうなフローレンスはとても世話焼きな性格らしく、一事が万事手伝ってこようとする。それを紀更は強く辞退して、試着した中の一着、アーモンドグリーン色のドレスに自力で着替えた。
「うふふ、見て見てイチコさん。似合いますわねぇ」
「そうネ。あとはメイクと髪ネ。耳飾りもしましょうか」
「耳飾り! ご用意はこちらにありますわ!」
紀更が着たドレスはベアトップだが、デコルテ部分は胸元から首を覆う縁襟まで半透明のシースルー生地で覆われており、普通に鎖骨を出すよりも色っぽい。子供ではなく成人の女性であることを主張しているようだ。スレンダーラインの裾はフレア等で広がっていないので一見質素に見えるが、アーモンドグリーンという落ち着いた色をしていることもあって、それがまた、大人の女性という印象を強く与える。
「ユー、そんなおさげはやめてしまいなさいな。どうせならこうやって編み込んだ方がいいわヨ。身だしなみに手間暇をかけるのも、大人の女の義務ヨ?」
少しきつめの言葉をかけながらも、イチコは紀更の三つ編みをほどいて手際よく新たに編み込んでいく。正面から見ると、編み込みが耳の上から後ろ首に向かって見え、瞳とドレスと同系色の緑色をした幅の狭いヘアバンドをすれば、大人っぽさの中にも愛らしさが追加される。それから、フローレンスの用意した銀色で少し大きな円状の耳飾りを付ければ、見違えるような仕上がりになった。
「メイクは薄めにしておきまショ。若い子は結局、素肌が一番ヨ。目に力もあるから、へたにアイシャドウもしなくていいわ。パーティーが行われるのは夜だから、頬のチークは少し多めに塗っておくわネ。その方が暗い中でも健康的に見えるのヨ」
「イチコさん、楽しいですわね~。女の子がきれいになっていく様って、ほんと見ていて胸が躍りますわ! もちろん、イチコさんの手際も素晴らしいわ!」
テキパキと紀更を仕上げていく横で、フローレンスがうっとりとした表情で指を組み、満足そうにほほ笑んでいる。外見だけは聖母のようなのだが、その楽しみの対象であるお人形になった紀更は、少々複雑な気持ちでフローレンスの微笑を視界に入れた。
(見た目と違ってなかなか押しの強い、パワフルな人だわ)
――いいねえ、個性が強くて。守護部でやってくにはそれくらい尖っていないとな。
守護部部長のラファルは、紀更とブリアナを見てそう言った。あれは誇張表現などではなく、もしかしたら守護部という組織には、本当に独特な操言士が多いのかもしれない。
ラファルには個性が強いと言われたが、フローレンスや王黎と比べると平々凡々の自分は果たして守護部でやっていけるのかと、紀更は少し懐疑的になった。
「さ、イイ感じヨ」
タレレンカのヘアセットとメイクも終えたイチコが、二人を並べてフローレンスに見せる。フローレンスは目を細めて満足げにほほ笑んだ。
「まあ、素敵! 美しいですわ、二人とも!」
「最後は靴ネ」
ずらっと並べられた靴の列からドレスに合った靴をイチコが吟味する様子を、フローレンスはわくわくと見つめている。
(靴屋さんみたい……これ、どうしたのかしら)
室内の端に丁寧に並べられている靴の量に、紀更は目が点になる。用意された何着ものドレスもそうだが、これらはフローレンスの私物なのか。それともまさか、今日のために新しく購入したというのか。
「あの、フローレンスさん。このお借りしたドレスとかは、パーティーが終わったらどうすればいいのでしょうか」
言葉を失う紀更の横で、タレレンカが不安げにフローレンスに問いかけた。フローレンスは何を質問されたのかわからなかったらしく、首をかしげて不思議そうにタレレンカを見つめた。
「どうすれば、とは? 何か問題があるのかしら」
「いえ、あの……洗ってお返しすればいいのでしょうか。それとも、あの……買い取りとかしないといけませんか」
古着を着ることは、珍しいことではない。たとえば服のサイズがどんどん変化する幼児の服ならば、古着屋で購入するのが普通だ。
だがドレスとなると話は違う。高価なドレスは着る本人に合わせて仕立てられるのが普通で、着古されたドレスが日常生活用の服にリメイクされることはあるが、基本的にお下がりや古着のドレスを着用することはしない。そうなると、一度着てしまったドレスは着た本人の物になる。フローレンスがこれらのドレスをどうやって用意したのかはわからないが、着た責任として買い取るのが筋だろう。
しかし、まだ一人で生計の立っていない、昨日一人前の操言士になったばかりのタレレンカや紀更にドレス一着分の金額が支払えるかというと、難しいところである。
「あらあら、そういうことですの? いいんですのよ。そんな細かいことは気になさらないで? ドレスは差し上げますわ。もちろん、お金なんかいりませんわ」
「えっ!? でも」
「ああ、タレレンカは日向の街ノーウェに帰郷なさるのよね。手荷物が増えてしまったら道中たいへんですわね。それでしたら、ドレスはわたくしが引き取りますから、どうぞ気になさらないで。あ、それともノーウェに届けましょうか? 手配いたしますわよ? 紀更はどうされます? あなた、お住まいは王都でしたわよね? そのまま着て帰ってもよろしいですわよ。あ、もちろん、汚れてしまっても何も気にしませんから、どうぞドレスのことは気にせず、ゆるりとした気持ちでパーティーを楽しんでくださいね。ああ、わたくしはパーティーに参加いたしませんけど、いいんですの、うふふ、こうやって女の子のドレスアップをお手伝いできてとても満足ですわ」
話し方も声のトーンもゆっくりではあるのに、どこで息継ぎをしているのかわからないほど一気に話すフローレンスに、タレレンカも紀更も言葉を差し挟むことができない。
しかし、タレレンカは困った表情を浮かべながらもどうにかフローレンスに、「ドレスも靴も、全部お返しします」と、あまり力の入っていない声で告げることができた。
「さてさて、イチコさん! 隣の男の子たちも見てみましょう」
フローレンスはそう言ってイチコと共に廊下に出て、男子の着替え部屋となっている隣の部屋へ向かった。
残された紀更は一度深呼吸をしてから、タレレンカのドレスを観察する。フローレンスとイチコの着せ替え人形にされたことには困惑したが、二人が選んだ水色のドレスも青い靴も、背の高いタレレンカによく似合っていた。
「あの……あたし、タレレンカ。日向の街ノーウェ出身の十七歳。よろしくね」
紀更の視線を感じたタレレンカが、自己紹介をしながら右手を出してくる。紀更ははっとして、その右手を取って笑顔を作った。
「紀更よ。私も十七歳なの、同い年ね。出身は王都で、家は呉服屋なの」
「じゃあ、このドレスとか、もしかしたらお家の方が作ったのかな」
「どうかしら。私の家は、普段着とかの方が多いと思うから」
試着はしたものの、結局選ばれず、室内に放置されたままのドレスを二人で見つめ、苦笑する。
「なんかすごい人たちだよね。フローレンスさん、ああ見えて守護部なんだよね。あのおしゃべりで、怪魔を斃せそう」
「ぷっ」
タレレンカの呟きに、紀更は思わず吹き出してしまった。確かに、あんなにも一息でおしゃべりができるなら、一度に多くの言葉を紡いで相当強い操言の力を発揮できそうだ。
「そうだ、男の子のね、カシムっていう子が、やっぱり十七歳で同い年なんだよ」
「そうなんだ! あとでお話できるかしら」
「夕暮れまでまだ少し時間があるし、きっと馬車が来るまでお話できると思うよ。あの……あたしたち、せっかくの同期だから……その……仲良くなれたらいいな」
気恥ずかしいのか、タレレンカの語尾が小さくなる。女子にしては身長が高い方だが、性格はどちらかというとおとなしくて気が小さいタイプのようだ。
「もちろん! 私、〝特別な操言士〟なんて呼ばれてて、確かに普通の操言士と違ってなぜか後天的に操言の力が宿ったらしいんだけど、でも中身は何も特別じゃなくて普通だから。タレレンカも、普通に接してくれると嬉しいわ」
はにかむ紀更につられて、タレレンカは破顔した。
「よかった! 特別な操言士って、その……どんな子なのかよくわからなくて……なんて話しかけたらいいか、迷ってたの。でも、よろしくね、紀更」
「うん、こちらこそ」
「あ、でも」
タレレンカは何かを思い出して、しゅんと俯く。
「あたし、明日にはノーウェに帰郷するんだ。しばらく会えないね」
修了試験に同じタイミングで合格した同期とはいえ、同じ街に住まないかぎり「いつでも一緒」とはいかない。
「あのね、タレレンカ。私、守護部に配属になったから、きっと国中を移動することがあると思う。もしも日向の街ノーウェに行ったら、必ずタレレンカに会いに行くわ。その時はノーウェのことを教えてね」
だが、紀更は守護部の操言士だ。王黎が教えてくれたように、きっと仕事で国内を移動するだろう。もしも日向の街ノーウェを訪れたら、操言支部会館に行ってタレレンカに会えばいい。そして、ノーウェ周辺のことを教えてもらおう。王黎がしているように、そうやって顔見知りを増やして、人脈を広げていこう。人と関わり、つながることで世界は広がっていくが、そのための方法は「いつでも一緒」でなくてもいいのだ。
「うんっ、待ってるね!」
紀更の頼みに、タレレンカは嬉しそうに頷いた。
タレレンカの読み通り、ペレス家に向かうまでまだ時間があったので、紀更は同期となったタレレンカ、理知介、カシムとの束の間の交流を楽しんだ。