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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第01話 特別な操言士と祈聖石
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7.報奨(上)

「信用できますかね。嘘は言っていないように見えますけど」


 一足先に客室に戻ったエリックとルーカスは、閉めたドアのすぐ傍で立ったまま小声で言葉を交わしていた。


「気は抜かないでおこう。刺客かもしれん。操言士団や平和民団の幹部は〝特別な操言士〟をめぐっていがみ合っているふしがあるからな」

「はあ……疑う人物が二人ですか。ややこしいですね」


 ルーカスはため息をついた。


「仕方がない。それが我々の()()()()()であり、今回の任務だ」

「でも杞憂であってほしいですよ。王黎殿も、ユルゲンさんって人も」

「そういう願望を抱いている状態を〝気を抜いている〟と言うんだ、ルーカス」


 エリックがやんわりとルーカスを戒める。するとルーカスは小声ですみません、と謝罪した。


「だが気持ちはわかる。我々にかかる精神的負担は大きいからな」

「王都騎士団()()()()のつらいところですね」


 ルーカスが鼻から深く息を吐いたその時、ドアの向こうで紀更のものと思われる足音が階段を下りていくのが聞こえた。おれに続くようにもうひとつ、体重のありそうな持ち主の足音もしたことから、おそらくユルゲンとどこかへ行くのだろう。


「紀更殿の護衛に行く。ルーカスは王黎殿を」

「了解です」


 エリックは静かに客室のドアを開けた。そして、廊下にはすでに紀更の姿がないことを確認する。それから、なるべく足音を立てずに階段を下りて、宿を出ていった紀更をこっそりと追った。



     ◆◇◆◇◆



 宿を出てから紀更の一歩先を歩き始めたユルゲンは、大通りを通って噴水広場に向かった。そのうしろを、紀更は緊張した足取りで付いていく。

 ノノニス川から引き込んだ豊富な水は、農業用水として村全体の役に立っているだけでなく、鑑賞対象としてこの村の風景の一部になっている。水の村と称されるわけだ。

 その広場の中央にある石造りの円形噴水の縁に、ユルゲンは腰を下ろした。紀更は少し距離をとってその隣に座る。水を囲う石の縁はスカート越しでもわかるほどに、ひんやりとしていた。


「そんなに怖がらないでもらえるとありがたいんだが」


 紀更が身を小さくしてずっと黙っているので、ユルゲンは彼女が自分のことを怖がっているのだと思った。

 王都の見習い操言士ということは、きっとほとんどの時間を平和な王都で過ごしてきたのだろう。傭兵は見慣れていないだろうし、初対面があの戦闘中だったのだ。普通の少女からすれば暴力的で粗野で、おっかない存在に映ったに違いない。

 しかし、そう思われることをユルゲンはひどく残念に思った。なぜだか、彼女には怯えて怖がって距離をとってほしくなかった。


「まあ、無理なのかもしれねぇけど」


 ユルゲンは気遣うように紀更を見つめる。


「いえ……あの、すみません……私、いろいろと……見慣れてなくて」


 その視線に紀更は気付き、一瞬だけユルゲンの表情をうかがったが、すぐに視線を地面に向けて言い訳じみた言葉を並び立てた。


「生まれてからずっと王都にいて……あの、ちょっと訳があって……一年くらい前に見習い操言士になったばかりで」

「ああ、勉強のしすぎだって?」

「いえ……あの……しすぎ、というか――」


――「させられすぎ」だ。実感としてはそちらの方が近いのだが、先ほどこらえたその言葉を、紀更はまたしても呑み込んだ。立派な大人であるユルゲンを相手に、そんな子供じみた主張をするのは気が引けた。


「これまでに王都から出たことは?」

「ほとんど……ありません」

「そうか」


 紀更の少ない言葉でも、ユルゲンは何かを納得してくれたらしかった。


「怪魔を見るのも今日が初めてだったのか?」

「いえ……昨日、ここへ来る途中で見たのが初めてです」


 ユルゲンの低い声にどうしても圧を感じてしまい、紀更はびくびくしながら答える。


「その時見た怪魔の種類は?」

「カルーテでした。キヴィネは……今日、初めて」


 放電攻撃をするキヴィネの姿を思い出して、紀更ははっとした。ゴキッと折れてしまうのではないかという勢いで首を横に向け、隣に座るユルゲンの様子を慌てて観察する。


「ユ、ユルゲンさんっ……あの、お、お身体は……大丈夫なんですか」

「え、ああ。さっきのキヴィネの攻撃か。実は、ちょっくらしびれが残っている」

「ええっ!? あ、あの、それって」

「まあ見てのとおり、立ったり座ったり、普通に過ごす分には問題ねぇな」

「ほ、ほんとですか?」


 キヴィネの放電を受けた直後、動けなくなって厳しい表情になっていたユルゲンを思い出して、紀更の表情からは不安が消えない。そんな紀更を安心させるように、ユルゲンは努めて穏やかな声で答えた。


「大丈夫だ。休息をしっかりとれば、問題ない」

「そ……そうなら……よかったです」


 紀更は小さな声でたどたどしく呟いた。

 ユルゲンは紀更から視線を外し、なんとはなしに正面を向いて語った。


「王都に近い都市部だと騎士がいるが、王都から離れれば離れるほど、騎士の数ってのは減るんだ。この国の最南端にあるメルゲントともなれば、街中の治安も街の外の安全も、騎士じゃなくて傭兵が支えている。騎士は騎士で強いんだろうが、怪魔と戦える傭兵も多い。怪魔の攻撃を食らって負傷するなんざ、日常茶飯事なんだ」

(傭兵さんも、怪魔と戦うんだ)


 紀更は騎士が戦うところすらも見たことがなかったが、ユルゲンのような傭兵が大勢いて、彼らが戦っているところを想像してみた。いかつい男たちの集団には少し怖さを感じたが、必ず怪魔を追い払ってくれると思えるような安心感もあった。


「すごいですね。騎士の方もすごいって、昨日気付いたばかりですけど」

「戦うことが仕事で、生きる術だからな。でも、さっきキヴィネに勝てたのは君のおかげだ」


 ユルゲンは力強い眼差しを紀更に向けた。その青い瞳には、作り物ではない本物の気持ちが表れている。


「君が操言の力を正しく使ってくれた。君がいてくれたからキヴィネを斃すことができたんだ。ありがとな、見習い操言士さん。それが言いたかったんだ」

「っ……」


 ユルゲンの青い瞳を見つめ返した紀更の頬は赤く染まった。そして同時に鼻の奥がツンと張り、胸の中がきゅっと縮まって目に力が入る。

 操言士としての自分をこんなにも真剣に褒められたのは初めてのことだった。

 操言院では紀更の「特別扱い」が気に入らない教師や見習いの方が多く、褒められることはおろか、同じ見習い操言士だと認められている気すらしなかった。自分がいたくているわけでもないのに、「なぜここにいるのか」という冷たい視線ばかりでつらかった。


 師匠の王黎は教師操言士たちとは違って紀更を冷遇しなかったが、かといって優しくもなかった。指導らしい指導がないことも起因して、見習い操言士としての紀更を褒める機会はなかった。先ほどもエリックがうながしてくれたが、あまり感情のこもっていない表面的な態度で労をねぎらうだけだったように思う。身の危険を心底感じたキヴィネとの戦闘から無事に生還できたことについてさえも、王黎は特に何も言わなかった。

 だが、ユルゲンだけはまっすぐな態度で紀更に感謝した。紀更が頑張ったことをしっかりと見てくれて、なんのごまかしも飾りもなく、操言士としての紀更を肯定してくれた。それはこの一年間、様々な不条理さに耐えながらも操言士になるべく頑張り続けてきた紀更にとって、初めてすべてのことが報われたように感じる言葉だった。


「ぅっ……」


 心の中を流れていく様々な感情をこらえきれなくなった紀更は、はらはらと泣き出した。両目からぽたぽたと涙が溢れて、紀更の頬を伝う。


「え、おいっ! なんで泣くんだよ!? そんなに怪魔が怖かったか!? まあ怖いだろうけど!」


 謝辞を伝えたつもりがなぜか紀更が泣き出したので、ユルゲンはたいそう慌てた。落ち着きのある表情が崩れ、瞬きの回数が多くなる。


「ち、ちがっ」


 紀更はユルゲンの言葉を否定しようとしたが、この一年の間に溜め込んできた様々な感情がとけてきたようで、言葉がうまく出てこない。涙もなかなか止まらず、しばらく紀更は泣き続けた。


「すっ……みま、せ……」

「いや……あー、こら。目をこするな。赤くなるぞ」


 涙を止めようと指先を繰り返し目元にこすり当てる紀更に、ユルゲンは不愛想な三白眼を少しばかりやわらげて忠告する。

 まるで自分が泣かせているような画になってしまい、ユルゲンは巨体に似合わずおろおろと慌てふためいた。紀更が突然泣き出した理由がわからないので、その涙を止められるような慰めの言葉などかけられるはずがない。声を押し殺して静かに嗚咽する紀更をちらちらと見守るだけだ。


「っ……ぅ……」


 ユルゲンを動揺させて申し訳ないと思いつつ、紀更はなんとか自分の気持ちを落ち着かせようと試みる。そして、無理やりに作ったほほ笑みを浮かべた。


「すみ、ません……感情がたかぶって、しまって」

「ああ、いや」


 涙する少女を相手になんと返事をしてよいのかわからず、ユルゲンは困惑する気持ちをごまかすように自分の首をさすった。

 紀更は鼻をすすりながら、なんでもいいから話してみようと口を開く。


「休暇のはず、なんですけど……勉強に、なりました。王都の操言院で、机に向かっているだけじゃ、知ることのできないことが……あって。昨日と今日で、怪魔が怖いと、思いましたけど……操言士のこと、少し」


 不安定な呼吸で述べる、支離滅裂な感想。けれどユルゲンには、紀更の言わんとしていることが通じたらしい。


「見て感じてやってみねぇと理解できないことは多々あるよな。俺ら傭兵も街の中で訓練はするが、結局は現場に出て経験を積むのが一番成長につながるからよくわかる。特に怪魔との戦闘は、実際にやってみねぇとな」

「怪魔を斃すためには操言士と、騎士や傭兵さんの力……両方が必要なんですよね。どちらかだけじゃなくて」

「怪魔は普通の獣じゃねぇからな。謎の存在には謎の力で対抗するしかねぇよな」

「謎の力、って……操言の力のことですか?」

「ああ、そうだ。なんで言葉を言うだけであれこれできるんだ? どうなってんだよ。意味不明だよ。謎だろ。怪魔と同じくらい謎だろ」

「ふっ……ふふっ」


 矢継ぎ早に疑問を口にするユルゲンの台詞が韻を踏んでいるように聞こえて、紀更はおかしくて声を上げて笑った。

 操言の力は謎の力。何がどなっているのか、意味不明。操言院では決して誰も口にしなかった指摘だ。しかし、それはきっと、誰もが心の片隅で抱いている疑問に違いない。

 光の神様カオディリヒスから授かった力とはいえ、どういう仕組みで様々な効果を発揮しているのだろうか。それは確かに謎だった。そして、誰もが謎に思うだろうに、決して疑問に思ってはいけないような、そんな抑圧がどこかにあった。

 そんな当たり前のことを、当たり前に疑ってくれる。

 ユルゲンが当然のように言ってくれたおかげで、紀更は胸の奥がスカっとした。


「そうですよね……どうなっているんですかね。ふふっ……意味不明ですよね」


 ああ、自分もずっとそう言いたかった――そのことに、紀更は気が付いた。

 弟の俊が操言院に通い出した時も、自分が操言院で学ぶようになってからも、ずっと言いたかった。ずっと不思議だった。ずっと謎だった。どうして「言葉」を紡いで力を使えば、森羅万象に干渉できるのだろう。本当に操言の力は、この世界のすべてに影響を及ぼせるのだろうか。森羅万象なんて、言いすぎではないだろうか。


「謎の力……ふふっ……ほんと、ほんとそうですよね」


 操言の力や操言士という存在に対して、不思議に思うこと自体許されないような空気。それも、操言院を息苦しく感じる理由のひとつなのかもしれない。

 それが判明したことで、紀更はいくらか楽になったように感じた。とてつもなく大きくて圧倒的だと思っていたものが、実は意外と小さくてたいしたことがないと思えてきた。


「ふふっ」

「笑いすぎだ。そんなに面白かったか」

「いえ……ふふっ……そうじゃ、ないんですけど」


 紀更はくすくすと、小さく笑い続けた。

 自分が無意識のうちに感じていた重たい空気。操言院へ、操言士へ、その疑問を言ってはいけない。操言の力をただ妄信しなければいけない。そんな窮屈な空気。ユルゲンの一言が、それらをすべて吹き飛ばしてくれた。

 そうして笑いがおさまる頃、紀更の心はすっかり軽くなった。無意識のうちに恐れてしまっていたユルゲンのことも、すっかり怖くなくなっていた。


「ありがとうございます、ユルゲンさん。私、何か吹っ切れたみたいです」

「そうかよ。よくわからんが、そりゃよかった」

「はい。あ、それと」


 紀更は腰を上げ、噴水の縁に腰掛けているユルゲンの前に立った。

 年上でとても身体が大きくて、決して愛想のいい顔はしていないがこの人は怖い人ではない。紀更は背筋を伸ばして胸を張ると、まっすぐにユルゲンを見つめた。


「助けてくださって、本当にありがとうございました」


 泣いて少し赤くなった目で、紀更は明るく笑う。


「いや……まあ、礼には及ばん。気にすんな」


 その笑顔は不思議と懐かしくて、ユルゲンの胸を切なくさせた。

 見習い操言士と一人旅の傭兵。二人の間に、西の地平に沈みゆく夕日が差す。

 水の村レイトは穏やかな夜をむかえようとしていた。



     ◆◇◆◇◆

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