8.試験結果(上)
「最美、ユルゲンくんの居場所はわかる? それとフリー傭兵の楊とミケルも。彼らはまだ、王都にいるかな」
ペレス家を背にした王黎は、懐から小さな赤い柘榴石を取り出すと、それを口元に持ってきて小声で尋ねた。離れていても会話ができるように操言の力を込めた、王黎オリジナルの通信用生活器――双声器だ。同じように柘榴石をはめ込んだチョーカーを付けている最美に、小さな声でも届くはずだ。
ほどなくして、柘榴石から最美の返事が小さく聞こえてくる。
『ユルゲン様はジャウドモ地区の騎士団詰所付近の食事処にいらっしゃいます。ほかのお二人は特定できませんが、探せます』
「じゃあ最美は楊とミケルを探して、ユルゲンくんのところまで連れてきてくれる?」
『畏まりました、我が君』
上空をニジドリの姿で飛んでいる最美と、柘榴石を通して段取りを決める。それから王黎は柘榴石を専用の器具に装着すると、その器具を右耳にはめた。
(食事処にいるってことは、依頼掲示板で仕事探しかな。ほかの仕事を請け負う前につかまえないとね)
王黎は操言の力を使って自分の脚力を高めると、地を蹴って手近な民家の屋根に上った。ここから先は、普通に歩道を進むのではなく屋根伝いをジャンプして移動するつもりだ。
たん、たんと軽やかに屋根から屋根を移動する王黎の操言ローブが宙にたなびく。その姿に気が付いた住人が口を開けて王黎を見上げるが、王黎はテンポよくさっさと移動してしまう。
そうしてヴェレンキ地区からミニノート川を渡ってあっという間にジャウドモ地区に入った王黎は、騎士団詰所の近くにある食事処に入り、依頼掲示板と睨めっこをしている黒髪の傭兵の肩をたたいた。
「ユ~ルゲン、くんっ」
特に驚いたそぶりもなく振り向いたユルゲンが、微笑を浮かべた王黎を見下ろす。
「今日は修了試験だろ。いいのか、師匠がこんなところで油を売っていて」
「まあね~。僕がじたばたしたところで試験結果が変わるわけじゃないしね。それより、お昼ご飯食べた? まだなら、これから来る人と一緒にちょっとランチしない?」
「何を企んでやがる。厄介事なら引き受けないぞ」
にこにこ笑う王黎のうさんくささを嗅ぎ取ったユルゲンは、仏頂面になった。王黎は首を横に振り、ニヤりと笑う。
「いやいや、儲け話だよ」
「タダより怖いものはないが、お前が紹介する高額報酬の仕事も同じくらい怖いぞ」
「大丈夫、大丈夫。まあ、聞くだけ聞いてよ。あ――」
『我が君、楊さんとミケルさんを見つけましたのでそちらへお連れいたします』
右耳の柘榴石を通して最美から報告が入る。
王黎は大きめの丸テーブルを陣取り、まだ怪訝そうな表情をしているユルゲンをひとまず座らせた。
◆◇◆◇◆
王都ベラックスディーオの第一城壁西門近く。城壁の一部が未完成のその王都内最西端エリアに広がっている畑に紅雷はいた。農作業を終えようとしていた老人に、ご所望だった一枚のスカーフを手渡す。
「おお、これだ、間違いない」
「見つかってよかったです」
「ありがとねえ、お嬢さん。はい、これが報酬」
今朝、ユルゲンを共同営舎に置き去りにした紅雷はサバートド地区まで足を伸ばし、依頼掲示板で探し物の依頼を請け負った。亡き妻が施してくれた刺繍の入った古びたスカーフ。風で飛んでいってしまったそれを見つけてほしい、という依頼だった。
依頼主のこの老人に話を聞いて、スカーフとよく一緒にしまっていたブリザードフラワーの匂いを嗅がせてもらい、そのわずかな匂いを頼りに木の枝に引っかかっていたスカーフをようやく探し当てたのは、もう日も暮れようとしている頃だった。
「探し物なら得意ですから。何かあれば、また依頼掲示板に依頼を出してください」
「ああ、そうするよ」
老人から報酬の貨幣を受け取った紅雷は会釈をして、畑を後にする。
今日、紀更は修了試験のはずだ。結果はいつ出るのだろう。紀更なら大丈夫だと根拠もなく信じているが、万が一ということはあるだろうか。もしも落ちてしまっていたら、紀更は操言院に残るのだろうか。そうすると、合格するまでまた待ちぼうけになるのだろうか。
「あーあ。どうせ働くなら、紀更様のためがいいなあ」
紅雷は道端に転がっている小さな石を蹴った。夕日を背にした紅雷の長い影の中を転がって、小石の行方は見えなくなる。
紀更の試験結果も気になるが、黒髪の傭兵はどうしているだろう。共同営舎の主人は、きちんと伝言してくれただろうか。そう考えて、いや心配してやる義理なんてないと、そっけなく横を向いてみる。
(傭兵さんのばか……なんで素直にならないの)
アルソーの村での生活に変化が訪れたのは、約一年前。強めの雨が降る夜だった。あの夜から、紅雷はそれまでの自分と何かが大きく変わってしまった。
今まで気付かなかった、不足感と不安感。こんなところにいないで、本当に居るべき場所に行かなければ。自分がすべき、自分にできる、最善のことをしなければ。自分はそのために生まれたのだから。その焦燥感がつのり、たまらなくなって村を飛び出した。
そうして見つけた紀更――自分の操言士。
一目でわかった。ああ、この人が求めていた人――ご主人様だと。自分の人生は、命は、この人のために存在している。この人が進む道を手助けする。それが、自分がこの世界に生まれた意義で、そして最大の幸福になる。
そう自覚できてから、紅雷はずっと自分に素直だ。紀更に甘えるのも、紀更のために黙って成り行きを見守っているのも。
ユルゲンの真意に気付いていながらあえて言葉で指摘せずにいたのは、紅雷なりの彼への配慮だ。ふとした瞬間に紀更を見つめる彼の気持ちは、紅雷自身にとっては面白くないが、紀更にとっては悪いことではないと直感できたから黙認してきた。
(傭兵さんが素直になれば、きっと紀更様だって)
紀更と一緒にいたいと思っているユルゲン。同じことを、きっと紀更も思っている。そうでなければ、あんな声であんなことを訊かない。
――あの……探し物は、まだ見つかりませんか。
ユルゲンの探し物。一緒に行けばそれが見つかる気がするから、紀更の旅に同行する。それが二人の最初のつながりだったという。
紀更は、その口実にまだすがろうとしている。それを理由に、ユルゲンと一緒にいることができないかとささやかに願っている。だがユルゲンは、もう気にするなと言った。紀更を突き放したのだ。
(自分だって紀更様の隣にいたいと思ってるくせに)
紅雷の心中は、きっと誰よりも複雑だ。
紀更の言従士は自分だ。だから、紀更にはいつでも頼られたいし、いつでも紀更を助けられるように隣にいたい。いていいと思っている。しかし紀更はユルゲンといたくて、ユルゲンも紀更といたくて、紅雷はお邪魔虫になっている。
紀更の隣は譲りたくない。だけど、紀更が望むことなら叶えてやりたい。紀更にはいつでも、不足感を覚えることなく満たされて安寧であってほしい。そう思うと、ユルゲンという存在は必要なのだ。
(それなのに、うだうだもじもじしちゃってさ!)
紀更とユルゲンよりも、自分の方が何倍も複雑な心境でいるのに。
二人はそのことに気付いているのだろうか。いや、気付いていないだろう。特に紀更は、自分の中にあるユルゲンへのその想いが俗になんと呼ばれるものなのか、それさえまだわかっていない節がある。
(紀更様はそれでもいい。だってまだ、気付いてほしくないもん)
恋い慕う異性と自分の言従士。その二人を乗せた天秤を、紀更にはまださわってほしくない。だから紅雷は、お人好しなんてしてやらない。紀更の隣には我が物顔で居座るし、もじもじしているユルゲンは意気地なしだ、となじってやる。それと、二人を間接的につなぐ役割はもう終わりだ。紀更が自分に、ユルゲンのことで何かを頼むなら話は別だが。
(紀更様の言従士はあたし……隣にいていいのはあたしなんだから!)
ポーレンヌ城下町でユルゲンに投げつけた言葉を、もう一度胸の中で叫ぶ。でもきっと、紀更が素直に望んだらそれを自分は邪魔できないだろう。紀更が一番。紀更の幸せが最優先。紅雷にとってそれは、決して揺らぐことのない確定事項なのだ。
◆◇◆◇◆