7.試験の裏側(上)
【まどろみ誘いし光の檻、ふれる蔓を抱き止め離しはしない。捕らえし蔓の自由は許さじ】
紀更に向かってくる蔓が、何かにふれる。それは紀更が思い描いて操言の力で作り出した、光の檻だった。そして、その檻にふれた蔓はまるで粘着物質でくっついてしまったように、それ以上動けなくなる。
「むっ」
蔓の動きを封じ込められた試験補佐官の眉間に皺が寄る。完全に動きを止められることは想定していなかったようだ。
【灼熱の炎、空気を取り込み激しく燃えよ。緑の案山子を飲み込み、地に押し倒せ】
蔓の動きが止まっている間に、紀更は間髪を容れず言葉を紡いだ。すると、緑のスカーフを巻いた案山子の腹から煙が上がり、それはあっという間に真っ赤な炎となって、藁でできた案山子を包み込む。その炎の勢いに押されるように、案山子は地面に倒れた。
案山子の身体である藁が勢いよく燃え、そこから生まれる熱波に耐え切れず、試験補佐官は熱波の届かない位置へ後退した。
しばらくして炎が消えると、地面の上には案山子の身体の軸となっていた一番太い木製の丸棒と、それが乗っていた石材の支柱台だけが真っ黒な灰にまみれた姿で残っていた。
【神の怒りを背負いし光、汝は怒りを忘れ、我が手に集まり閃光の矢となれ】
試験補佐官の操言の力が作り出した雷光。
紀更は補佐官が紡いだ言葉を利用して、雷を自分の手元に強制的に集めた。怪魔を斃す時のように、集めた雷光を矢に変えて、右手を肩の位置まで引き、左手の人差し指を、青いスカーフを巻いた案山子に向ける。
【風を引き裂く光の矢。青き案山子を貫き、空に散れ】
そして、右手から矢を射出するイメージで言葉を紡ぐ。
紀更の操言の力によって強制的に集められた雷光の束は、瞬きほどの速さで案山子に向かって一直線に飛び、案山子の胸を貫いて天へ向かった。胸に穴を開けられた案山子は、その攻撃の衝撃で地面に倒れ、遥か上空で雷光が轟音と共に四方八方へ飛び散った。
「そ……そこまで!」
マチルダが取り乱した声で叫ぶ。試験官が、試験補佐官が、そしてほかの受験生たちが、みな目を見開いていた。当たらないとはいえ攻撃されているのに、まったくひるむことのなかった勇敢な紀更の姿に。多彩な攻撃に。見習い操言士の域を超えた、戦闘状況への対応の素早さに。
驚愕、驚嘆、唖然、呆然、衝撃、尊敬、屈辱感。それぞれが十人十色の表情を浮かべる中、コリンだけは紀更から視線をそらさずに無表情だった。
「つ、続いての課題ざます! そ、そうですね……最後に倒した青いスカーフの案山子。あの案山子を負傷者だと思って、操言の力で手当てなさい」
試験を進行するマチルダの声は上ずっている。予想だにしていなかった紀更の見事な戦闘技術に、明らかに動揺していた。
本来なら案山子三体すべてを負傷者とみなしたいところだが、一体は完全に炎上して跡形もないので、負傷者どころか死亡者だ。仕方ないので、負傷者として課題に適切な青いスカーフの案山子をマチルダは赤い爪で指し示した。
(負傷者……これがもし、エリックさんやルーカスさん、ユルゲンさんだったら)
対怪魔戦において、後衛にいる操言士を守り、怪魔の敵視を引きつけて盾となってくれる騎士や傭兵。彼らがいるから、操言士は後衛で言葉を紡ぐことに集中できる。もしも前衛の彼らが負傷した場合、彼らを手当てし救うのも操言士の役目のひとつだ。
【青き案山子を構成する藁、伸びてつながり、再度その身を構成せよ。途切れた断面は互いに求め合い、からまり、一体化せよ】
攻撃よりももっと集中し、紀更は考えた。
もしもこれが人間だったならば、胸を貫かれて大穴が開いてしまっては即死だろう。しかし胸に穴が開いていても、案山子はかろうじて生きている。ならば、操言士としてどうやって回復させるべきか。
(まずは、空いた穴をふさぐ)
そのためには、案山子の身体を構成している無傷の藁を、穴を埋めるように移動させればいい。紀更のそのイメージに従うように、案山子に残された藁が一本、また一本と伸びて、胸の穴がふさがっていくように見える。
けれども光の矢によって焼け焦げて失われた藁は、完全には再生しない。人間相手なら負傷者自身の治癒力を高めて傷口の再生をうながすところだが、案山子相手ではそうもいかないので、紀更はこれで終了だと断念しようとする。
――少しでも望む結果に近付けるように努力はすべきだ。そうした努力や創意工夫が、試験までに習得した技術でどれくらいできるのかを見られている、と思いたまえ。
だが、アンヘルの言葉を思い出すと同時にふとあることに気付く。相手は案山子だ。ほかの案山子と材料は同じはず。それなら、失われて足りない分の藁は、ほかの案山子からもらえばいいのだ。
(人間に見立てて考えたけど、所詮は案山子……ほかの案山子の藁を使えば、完璧に戻せるかもしれない)
紀更は最初に倒した、ほぼ無傷の赤いスカーフの案山子に目線を向けた。
【赤き案山子を構成する藁、青き案山子に集まりて、その血肉とならん】
一本、また一本と、赤いスカーフの案山子の藁が抜けて青いスカーフの案山子の、中途半端にふさがれた穴に入っていく。
(望む結果に少しでも近付けるために……っ)
もしも治癒対象がエリックやルーカス、ユルゲンだったら絶対に諦めはしないだろう。できることがあるなら力を尽くして、少しでも望みがあれば必ずつなぐはずだ。
【新しき藁を迎え入れて、青き案山子、その胸の穴の表と裏、正しくふさがらん】
負傷者に見立てた案山子が相手でも、紀更は同じように努力する。冷静に、無傷の状態の案山子の姿を思い描き、言葉を紡ぐ。自分の操言の力を最大限に活かして、相手を生かすために。
結果として、青いスカーフの案山子の穴はほぼ元通りにふさがった。
「そ……そこまでざます。受験番号六番、紀更。椅子にお戻りなさい」
マチルダに言われて、紀更はほかの受験生たちが待っている一角へ移動し、椅子に腰を下ろした。
「はぁ」
思わず深い息を吐いてしまう。
試験官と試験補佐官は全員集まり、何かを相談している。このあとに行われる、能力を測る試験の段取りの確認だろうか。
(大丈夫、できた……。次もできる)
特別な操言士だとか、誰かに嫌味を言われたとか、操言院の教師操言士がどうのとか、もう関係ない。やるべきこと、自分にできること、それを淡々とこなす。ただそれだけだ。それだけのために、地道な修行を重ねてきたのだ。
(能力を測る……大丈夫、最後まで)
「受験生は全員、こちらへ来るざます!」
マチルダが声を上げて受験生を呼ぶと、紀更たち六人は運動場の中央に向かった。
「最後の課題よ。これは全員同時に受けてもらうざます。課題は〝より多くの金を手に入れること〟ざます」
(金?)
紀更は少しだけ首をかしげて、マチルダの説明の続きを待った。
「今から受験生には内側を向いて輪になってもらうざます。試験官および試験補佐官が、操言の力や様々な道具を使ってあなたたちの周囲に仕掛けを施します。操言の力を使って、その仕掛けからできるだけ多くの〝金〟を手に入れなさい。ただし、試験官は妨害もしますのでそのつもりで」
「あの、金とはなんでしょうか」
受験番号一番の理知介が、おずおずと右手を上げて質問をする。
「それを考えるのも試験のうちざます」
するとマチルダはぴしゃりと言い放った。
(金……小銭とかの貨幣ってこと? それとも何かの暗喩?)
受験生たちがしばし動揺している間に、試験監督たちが小道具の準備をする。
そして輪になった受験生の外側に、同じく輪を描くように試験官と試験補佐官合わせて八名がスタンバイした。
「あたくしが合図するまでが制限時間です。それでは、始め!」
マチルダの掛け声と同時に、試験官たちはいっせいに操言の力を使った。前後左右、上下からも感じる操言の力の波動の多さに、紀更は目を見開いた。
(すごいっ……こんなに多くの操言士が同時に!)
複数の操言士が同時に操言の力を使う場面。紀更がこれまでにそれを経験したのは、船の上で戦うヒルダと王黎の時ぐらいだ。三人以上の操言士が同時に操言の力を使う場面に遭遇したことは一度もない。
幹部操言士たち、ようは手練れの操言士が同時に力を使うと、その波動であたりは満たされ、どこでどんな力がはたらいているのか非常に把握しづらかった。
(これは、自分の波動をとらえるのもたいへんね)
あいにく紀更は自分の波動を感知するのが不得手なのでたいした窮地にはならないが、操言の力を繊細に使う者にはつらい状況かもしれない。
(これで金を集めるって、どういうこと?)
【怜悧な氷の檻、泳ぐ魚の四方を囲め】
「えっ」
受験番号五番、ブリアナの声だった。
少し離れて紀更の隣に立つブリアナは、何かを氷の檻で捕らえたようだ。
「魚?」
それは金色の鱗を持った、手のひらサイズの魚だった。
足元を意識してみれば、地面の一部にいつの間にか大きな水たまりができている。ブリアナはその中を泳いでいた魚を捕らえたようだった。
(金……そっか、金色の何かってことなのね)
紀更は周囲を見渡す。気持ちとしては、遭遇した怪魔の種類と数を把握する時の気持ちだ。
(金色の布きれ、金色の葉っぱ……きっと染められたもの。でも試験官の周囲に浮かんでいるから、操言の力で奪わないと手に入れられない)
ほかにも、半透明な立方体の中に収納されている貨幣の山や、「金」と書かれた旗を持って飛び回っている、白い煙でできた犬。黒い霧で作られた人間三人分くらいの高さの巨人など、試験官が用意した実際の物体だけでなく、操言の力で作られた虚像の存在があちこちにいる。
(対象物を理解して、それを攻略する工夫をして、金を手に入れる課題……)