6.尋問(下)
「いいタイミングだね、紀更。せっかくだからおさらいしようか。さすがに祈聖石が何なのか、操言院で学んだよね?」
「え……」
「はい、じゃあ、祈聖石とは?」
王黎は楽しげに人差し指を立てて、クイズを出す出題者のように振る舞った。
「えっと……祈聖石とは……陽の光を十分に浴びた石に操言士が祈りを込めたもので……その効力が影響する範囲内に怪魔は近寄れない、ですよね」
「ピンポーン。大正解」
紀更は王黎のペースについつい乗せられて、操言院での授業を必死に思い出しながら真面目に答えた。王黎は弟子の頑張る姿を楽しく見守りながらクイズを続ける。
「では、祈聖石はどこにあるでしょうか?」
「祈聖石は……各都市部内に必ずあって……大きな都市ではたくさんあって……ほかには……えっと、都市部間をつなぐ道や、畑など郊外に?」
自信がなかったのか、語尾のトーンはわずかに上がり、疑問符がつく。しかし王黎は軽い拍手をして紀更を褒めた。
「うん、そのとおり! 勉強しすぎた甲斐はあるね。この村の場合、村を出て西国道をしばらく進んだところに祈聖石があるんだけど、その祈聖石の効力がなくなっていたんだ」
「だから南方で怪魔の出現が増えたのか」
「たぶんそうですね」
王黎はエリックの言葉に頷いた。
「あの、でも、祈聖石の効力が切れることなんて、普通はないですよね?」
ルーカスがそっと手を上げて問いかけると、王黎は頷いてから答えた。
「効力が切れる前に、操言士が必ず祈聖石を保守する。祈聖石の効力がない瞬間なんて、基本的には生じさせない。そうでないと、怪魔を都市部に近寄らせないという役割が果たせないからね。だから、普通の状況ならあり得ないね」
「えっ、じゃあ、どうして」
紀更は心底不思議そうな視線を王黎に向けた。
「うん、どうして祈聖石の効力が切れていたんだろうね?」
室内の空気が重くなった。
窓の外では西の地平線に陽が落ちつつあり、夕暮れが近付いてきている。
効力が切れないように、操言士によって保守されているはずの祈聖石。その効力が切れていた原因として考えられることはふたつだ。ひとつは、この村の操言士たちが、祈聖石の管理を怠っていたか。もうひとつは、管理はきちんとされていたが、予想外の何かが祈聖石に起きたかだ。
「村の操言士たちはいまどうしているんだ?」
「西国道の祈聖石の効力を最大に戻すべく、まあ、頑張っていますよ。それと、周囲の祈聖石もひととおりチェック中です」
「村の北側にも祈聖石はあるはずですよね? それも効力が切れているのではないですか?」
エリックとルーカスが立て続けに疑問を発する。二人とも騎士団所属というだけあって、村の安全が脅かされているという状況を強く危惧していた。
「たぶん、北の祈聖石もダメになっているだろうね。そこで紀更、キミの出番だよ!」
「はっ、はいぇっ?」
急にテンションの上がった王黎に指を差され、紀更は素っ頓狂な返事をした。
「実はさ、北の祈聖石は僕がなんとかするよって言ってきちゃった。弟子の修行の一環で~とか言って」
「い、言ってきちゃったって」
「というわけで、今日はとりあえず休んで、明日になったら村を出るよー」
「はい?」
「レイトの中はもう今日で見終わったでしょ? せっかくだからもうちょっと足を伸ばしてレイト周辺も見て回ろうよ」
調子付いた王黎は早口でまくしたてた。紀更は王黎の話についていけず、ただ呆れるばかりだ。そんな王黎の作るふざけた空気に呑まれずにいたのは、一番年上のエリックだった。
「王黎殿、少し待ってもらいたい。紀更殿の休暇については、水の村レイトで過ごすという申請を操言士団にしているはずだ。急な予定変更は操言士団の許可がいるのでは? それに、北の祈聖石の効力が切れたままでいるのはまずいだろう。明日と言わずに今すぐ、あなたが一人でなんとかすべきでは?」
王黎の肩をたたくエリックの目には、自由奔放な王黎の好き勝手にさせてなるものか、という必死さが浮かんでいた。
「うんうん、エリックさんがそう言うと思ったから、操言士団と騎士団の両方にお手紙を出しておきましたよ。操言の力で王都に飛ばしたから、もうそれぞれの本部に届いていると思います」
「なんだと」
「それにおっしゃるとおり、効力のなくなっている祈聖石は今すぐにでも修復すべきです。が、せっかくなのでどんな状態か紀更にも見せたい。ということで、北の祈聖石の代わりに、一晩この村の北部を守る操言の加護をてきと~に施しておきますよ。優秀な師範操言士のこの僕がね」
どう? 褒めて褒めて、と言わんばかりに王黎は晴れやかに破顔した。
急な予定変更と、それを押し通すための根回し。それに、わがままをカバーする代替案。王黎の穏やかな強引さと手際の良さに、エリックは頭を抱えた。王黎が思い描いた軌道には、どうあがいても乗らざるを得ないのだろう。
「村の北にある祈聖石は、まあ、いい。あなたの操言士としての実力は信頼している。だが、村を出て王都以外の場所へ移動するのは、操言士団と騎士団の返答を待ってからだ。最低限、それだけは約束してもらおう」
「ええ、いいですよ。じゃあ、ひとまず今日は休みましょうか」
王黎はためらいもなく頷いた。きっとエリックに反対されることも、どこで引けばエリックが納得するのかも、すべてお見通しなのだろう。
エリックはため息をつくと、ルーカスをうながして二人で客室を出ていった。
「ユルゲンくん、紀更たちを助けてくれて本当にありがとうね。キミの探し物が見つかるように、応援しているよ」
「そりゃあ、どうも」
「ここはまだ空きがあるはずだから、今夜は泊まったらどうだい?」
「そのつもりでもうチェックインはしている」
「それはよかった。そうだ、紀更」
「あ、はい」
ユルゲンの方から突如くるりと向き直ってこちらに視線を向けた王黎に驚き、紀更は目をぱちくりとさせた。
「最美は、今夜はこのままここで寝かせるから」
「え、でも」
「見てのとおりこの部屋にはもうひとつ寝台があるし、僕は最美の操言士だからね。ちゃんと治癒してあげたいんだ」
王黎はにこにこと笑っているが、その口調には反論を許さない力強さが見え隠れしていた。最美が王黎を信頼しているように、王黎も最美を大切に思っているようだ。
「夕食までまだ少しあるし、好きに過ごしていいよ。ただし、村の外には絶対出ないでね。僕は少ししたら村の北口に行くけど、それ以外は宿にいるから」
「はい、わかりました」
寝台で眠る最美が心配だったが、王黎がついているのなら大丈夫だろう。
紀更は軽く頭を下げると客室を後にして廊下に出た。エリックかルーカスがいるだろうと思ったが、廊下に二人の影はなかった。
「どこへ行く?」
そんな紀更を追うように王黎の客室を出てきたユルゲンが、廊下でぼうっと立っている紀更の背中に声をかけた。振り向いた紀更は、至近距離にいたユルゲンの身体の大きさに怖気づいて少しだけ後退りする。
身長が高いのもあるが、ユルゲンはエリックやルーカスよりも胸板が厚く、下半身もがっしりと筋肉がついているのか、全体的にたくましい身体付きをしている。それは身に着けている防具の上からでも一目でわかった。平和な王都で安穏と過ごしていた紀更の身近には今までいなかったタイプの人間だ。
「え、っと」
おまけに、おそらくユルゲンは紀更より一回り近く年上だ。小柄な紀更とは体格差があるだけでなく、年齢差もある。ただ見下ろされているだけだというのに、紀更は咎められているような責められているような、一抹の恐怖と威圧感を覚えた。
「特に……どこにも」
一階の食堂で夕食にするのは、日没を知らせる肆の鐘が鳴ったあとだ。それまで村の外へは行けないが、どこかで陽が沈むのをぼんやり見ていようかと思う。しかしそんな答えでいいのかどうかわからず、紀更は黙って床を見つめた。
「用事がないなら、少し話がしたい。いいか?」
紀更に気を遣っているのか、ユルゲンは努めて穏やかな口調で紀更を誘った。先ほどの怪魔との戦闘で猛々しい声を上げていた人物と同一とは思えないほど落ち着いている。
しかし、顔を上げてユルゲンの表情を見る勇気は、紀更にはない。父の匠よりも低い声とびくともしなさそうな存在感の前に、自然と縮こまってしまう。
「えっと……はい」
ユルゲンのいかついブーツの爪先を視界に入れながら、紀更は小声で頷くのが精一杯だった。
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