4.青空教室(中)
「初代操言士のおかげで、人々の生活は豊かで便利で、そして安心で安全なものになったと言われている。でも初代操言士をはじめとして、操言士が持っているこの操言の力って、具体的にどんなものだろう?」
「それは難しい問いですね。力は目に見えないものです。具体的になんて」
「目に見えないけど、言葉で表現できると思わない? 軽い力、重い力。青い力、赤い力。冷たい力、温かい力。ほら、持って見たわけでもふれたわけでもないけど、力を具体的に表現することはできる」
「言葉を使えば、目に見えないものを伝えられる?」
「そういうこと。言葉があれば、見えない力だって具体的に理解できる。昨日、操言院の訓練場でした水の話を憶えてる?」
「自分にまとわりつく水の量が多いと、水と外の境界線がわからない、ですよね」
「そう、目に見えない操言の力を言葉で〝水〟に喩えたんだ。操言の力は水みたいなもの……人によって持っている量が違うし、色も温度も違う。味も違うし、湧き出る場所も違うかもしれない。少なくなったときにどう補充されるかも、きっと様々だ」
「私の操言の力は重くて大きい……大量の水?」
「スープを作るなら鍋一杯分の水があればいいよね? でも、どこまで満たされているのかわからないほどの大量の水で美味しいスープが作れるかというと」
「そんなに大量の水は料理に使うんじゃなくて、枯れた井戸にでも注ぐべきでしょうね」
「いい喩えだ」
王黎は歯を見せて笑った。
「思い描いたイメージと結び付く言葉を発することで、そのイメージを現実に具現する力。それが操言の力だ。そしてそれは千差万別、十人十色の特徴や性質を持っている。紀更の持つ操言の力はとにかく大きいんだ。自分で感知しきれないほどにね。おまけに硬く感じるなら、繊細な取り扱いは難しいだろう。もしかしたら流動的な水に喩えるよりも、一軒家ぐらいの大きさの〝岩〟に喩えた方が適切かもしれない。そういう性質を考えると、器用さと精密さが求められる生活器作りよりも対怪魔戦の方が向いている。とにかく目の前の怪魔を斃す、ただそのひとつの目標を達成するためだけに力を使う方がね。キミの性格的にも、細かいことを理路整然と突き詰めていくよりは性に合っていると思うよ」
「そうかもしれません」
始海の塔でクォンとラルーカの話を聞いている時もそうだったが、自分は、少ない言葉で物事の大局を想像し遠くまで見通すことは、あまり得意とは思えない。職人操言士というとゼルヴァイスの皐月を思い出すが、彼女がやっていたように、アイデアや言葉を紙に書き出してひとつのことを細かく集中して突き詰めていく、という作業も自分には向いていないと思う。
では自分は、何が得意で何が向いているのか。
操言院の座学で強要された暗記よりも、旅を通じて実際に見てふれてやってみた経験の方が知識の習得にはつながった。そうして学び、会得したこと。つまり怪魔との戦闘が、もしかしたら自分に向いていることなのかもしれない。能力的にも、自分の気質的にも。
「なんだか意外です。私、自分がそんな……戦うことが向いてるなんて」
「まあ、主に力の性質を根拠にしたお勧め、ってだけだよ。それに、戦うことが向いているというよりも、守ることが向いている……誰かが傷つくことを強く恐れている、という表現の方が適切かもね」
「守ること……」
「ヒルダと同じだよ。街の人や仲間が傷ついてほしくない。守りたい。そう思うからこそ、外敵である怪魔に立ち向かえる。戦うことはあくまでも手段なんだよ。目的じゃない。じゃあなぜその手段をとるのか、何のためなのか。それは誰にも傷ついてほしくないから。誰かを守りたいという気持ちが強い操言士だからこそ、戦う仕事がメインの守護部に向いているんだ」
(傷ついてほしくない……守りたい)
ポーレンヌ城下町の火災現場を思い出す。おそらくピラーオルドによるものだと推測される被害。傷ついた市民がいるのだと思うととても胸が痛む。同じように、怪魔によって傷つく人がいることも見て見ぬふりができないつらさを覚える。
(怪魔は怖い。怪魔ゲルーネの大きさと凶暴性は、思い出すだけでも背筋が冷える。でも、怪魔のせいで誰かが傷つくのは……)
許せない。防ぎたい。守りたい。そのためには戦うしかない。普通の生物ではない怪魔を殲滅するには、操言の力が必要なのだ。
そうだ、自分が意識していなかっただけで、自分の中には常に「守りたい」という気持ちがあった。誰も傷ついてほしくない、みんなが平穏に暮らしていてほしいという思いが。
(戦いたいわけじゃなくて、守りたいと思う気持ちが私の中にある)
「もちろん、もっと明確にこういうことがしたい、こういう操言士になりたい、って紀更が思う道があるなら、その道を目指していいよ。キミの人生なんだからね。でも、もしも守護部に所属することを少しでも意識するなら、修了試験でアピールしてごらん」
「王黎師匠、守護部の操言士になったらどんな生活になりますか」
紀更は、ふと雛菊の講義を思い出して尋ねた。
守護部の操言士は、実際にはどんな風に仕事をして日々を過ごしているのだろうか。どんな任務や特務を請け負っているのだろうか。
「そうだね。まず、操言院を修了した守護部の操言士はほぼ全員が誰かに弟子入りするよ」
「え? 弟子入りって必須なのでは? しない人もいるんですか」
「紀更の場合はほんとに特殊だから除くけど、本来誰かに弟子入りするっていうのは、操言院を修了して一人前になった操言士が、さらなる研鑽を積むためにするものなんだ。強制ではないから、弟子入りしない操言士もいるよ」
「弟子入りをしないのは、どういう方なんでしょうか」
「まあ、向上心がない性格の操言士だね。自分の力を伸ばすことに積極的じゃないし、昇段にもあまり興味がない。操言士として華々しく生きなくてもいい、と思っている感じかな。そう思う背景は人それぞれだし、弟子入りしたくても、家庭の都合でできないとか、いろいろ事情もあると思うけど」
「そうなんですね」
「操言士と言っても、結局は一人の人間だからね。そんなシャカリキに生きたくない、って思う人もいるさ。だけど、守護部に所属する操言士の多くは向上心がある。仕事をするうえで修行は欠かせないし、己の力を伸ばすことが自分の身を守ることにもつながる。だからほぼ全員が弟子入りして、師弟関係が終わるまでみっちり師匠から学ぶよ」
「王黎師匠もそうだったんですか」
「うん、僕も修了試験後すぐに弟子入りしたよ。師範に昇段したところで、師弟関係は終了したけどね」
「王黎師匠の師匠って、どんな方なんですか」
はぐらかされるかもしれないと思いながら紀更は尋ねたが、思いのほか王黎はあっさりと答えてくれた。
「名前は道貴。歳は……いま六十歳くらいかな。メリフォースで隠居の身、と言いつつまあ、そこそこ働いてるんじゃないかな。超マイペースな人で困ったもんだよ」
「昨日の、波動を感じる訓練……あの、赤いゆらめきの」
「そう、弟子入りして師匠に最初にされたのがあれだった。紀更は自分の操言の力が重くて硬いと言ったね。僕が師匠とあれをやった時、まさに水の中みたいだった。端っこを掴もうとするんだけど、どこまで行っても端っこがなくて、水の中みたいだったよ。最終的には、とにかく手当たり次第に掴んで丸めてひとつにして、師匠の赤いゆらめきを押し返したけどね。いま思えば短絡的な力押しだ。紀更みたいに、操言の力が血液や体温みたいだ、なんてイメージは持たなかったかなあ」
苦笑する王黎は、若い頃の自分を懐かしんでいるようだ。
「話を元に戻すけど、弟子入りする場合、四部会が同じ師匠に弟子入りするのが基本だ。だから、守護部の操言士は師匠と弟子の二人組で仕事をすることが多いよ。それと、全員が一度は祈聖石巡礼の旅に出るんだ」
「全員?」
「守護部の操言士が同時に旅に出る、ってことじゃないよ。旅をしたことのない守護部の操言士はいない、って意味。国内部と違って、守護部の操言士は都市部にとどまっていることが少ないんだ。任務次第では明日突然、王都を出発してゼルヴァイス城に行け、とか。ディーハ山脈で一週間、怪魔殲滅に専念してこい、とか。国内を移動してあちこちの都市部を訪れるし、野宿も結構ある。旅というより、なんだろ……冒険?」
王黎はけらけらと楽しげに笑った。
「都市部の中やその近くの祈聖石は国内部が維持管理するけど、たとえばレイト東街道やドレイク大森林みたいに、フィールドにある祈聖石は守護部も維持管理するんだ。オリジーア国内には旅をしている数十名の守護部の操言士が常にいて、彼らが都市部外の祈聖石を保守してくれるから、国民は都市部と都市部を安全に移動できるんだよ」
「私の師匠になってくださる前の王黎師匠も?」
「うん、基本的にあちこちを移動していたよ」
「だからいろんな都市部に顔見知りの方がいて、地理にも詳しいんですね」
ただ博識なのだと思っていたが、そうではなかった。守護部の操言士として国内全土を巡っているからこそ王黎は旅慣れしていたし、行く先々の土地のことにも詳しいし、各地の支部長や城主とも既知だったのだ。
そこで紀更は、ある可能性に思い当たった。
「もしも私が守護部の所属になったら、また祈聖石巡礼の旅に出られますか」
旅は永遠には続かない。でも、いつかまた始めればいい。ポーレンヌの宿でそうやって自分を慰めた。慰めではなく、本当にまた、旅に出ることができるのだろうか。
すると王黎は嬉しそうに破顔した。
「もちろん。むしろ、必ず行こう。守護部の操言士なら国内にある祈聖石の場所はすべて把握しておくべきだし、とにかく現場を知らなきゃ仕方ないからね。すべての道を歩いて、すべての都市部を訪れて、すべての国民と顔を合わせる。それくらいの覚悟を持っていないと、本当の意味で人々や国を守る、なんて役目は背負えない。体力も気力もある若いうちに、国内を隅々まで見ておくことが大事なんだ」
初めて祈聖石巡礼の旅に出た頃の王黎は、まだ成人していなかった。師匠ほど体力もなく、歩き疲れて文句を言う、普通の子供らしさを持っていた。
そんな子供だった時分を、王黎は密かに思い出す。
――師匠、なんでこんなに移動するんですか。普段は都市部にいて、怪魔が出たら外に行って戦えばいいじゃないですか。
――アホ。怪魔が出た場所までどうやって行くか、道を知らなきゃたどり着けないだろ。それにな、オレたち操言士はこの国を、人々を、守り支えるのが役目だ。自分たちが守る国と人間がどんな姿なのか見知っておかなきゃ意味がないだろ。知らない奴のために命を張れるかってんだ。すべての道を歩け、すべての都市部に行け、国民全員と顔を合わせろ。そうやって現場とのつながりを感じていないと、なんのために操言士でいるのか忘れちまう。逃れられないこの役目に押しつぶされちまうんだ。