6.尋問(中)
紀更たちが宿に戻ると、王黎が真剣な表情で一行を待っていた。
最美の血色の悪い顔色と左腕の傷跡が目に入った王黎は一瞬顔をしかめたが、すぐにほほ笑んで最美をねぎらった。
それから五人は宿の二階、王黎が一人で宿泊している客室へ集合し、村の北と南、それぞれの場所で発生した出来事について説明し合った。紀更たちが怪魔と戦っている頃、実は王黎の方も、レイトの操言士たちと一緒に、際限なく湧いて出るような怪魔の群れと戦っていたのだそうだ。
そうして互いの状況が把握できた頃、客室のドアがノックされた。ルーカスが警戒しながら慎重にドアを開けると、そこには黒髪の男が立っていた。
「どうぞ」
ルーカスにうながされた男は、何も言わずに入室する。
男と初対面となる王黎は、愛想のいい笑顔を浮かべた。
「キミがキヴィネを斃してくれた人かな? えーっと」
「ユルゲンだ」
「そう、ありがとうね、ユルゲンくん。僕は操言士団守護部所属の王黎。見てのとおり操言士。村の南でも怪魔が出現して、僕はそっちの応援に行ってたんだ。すまなかったね」
見ず知らずの男に世話をかけたことを、王黎は感謝するとともに詫びた。ユルゲンはただ一言、低い声で構わん、と相槌を打つ。
「王黎殿、紀更殿も褒めてやってくれ」
「えっ、あの」
その時、エリックが紀更へ視線をやった。
キヴィネを斃したのはユルゲンだが、彼の攻撃がキヴィネに通用したのは、紀更が操言の力を使ったからだ。
戦闘経験のない紀更が、どうにか操言士の役割を果たせたからこその勝利。エリックはそう思っているので、王黎をせっついた。
「うん、紀更もお疲れ様。頑張ったね」
「あ、はい……その」
褒められはしたが、どうにも王黎の笑顔は作り物のようで、心の底から褒められている気はしない。紀更は少しばかり不満げな表情を浮かべたが、しかし自分は手放しで褒められるほどの貢献をしたわけでもないと思い、ひとまず心の中を落ち着かせた。
「南の怪魔はどれくらいいたんだ?」
王黎の紀更へのおざなりな態度にエリックは少しばかり不愉快さを覚えたが、それ以上口出しをすることはなく、王黎が語った南方の状況について確かめた。
「キヴィネはいませんでしたが、クフヴェが何体か……五体か六体はいたかな。それとカルーテも大量でした。操言士は僕を含めて八人いましたが騎士が一人もいなかったので、殲滅に手間取りました。操言の力があっても、物理攻撃がないんじゃつらいつらい」
王黎は肩をすくめて、大げさなほど困ってみせた。
紀更たちの方は、騎士二人とユルゲンがいたので物理攻撃の手数はあった。しかし、操言の力を持っているのは見習い操言士の紀更だけだったので、南方の戦場とは逆のつらさがあった。怪魔と対峙する際は操言士だけ、あるいは騎士だけがいればいい、というわけではないのだ。
「キヴィネもそうですが、南に出現した怪魔も、真昼に出現するにしては不自然な数と種類でした。しかも、場所は王都へと続く西国道。一応、祈聖石の守りの範囲内のはずです」
王黎はおちゃらけた態度から一変して、真面目な表情になった。
今朝、紀更たちより早く宿を出て操言支部会館へ向かい、そこで得た情報をもとに村の南へ向かった王黎。村の南口を出てさらに南下し、王都へつながる西国道をだいぶ進んだところで彼が見たものは、怪魔と戦っているレイトの操言士たちの姿だった。相手は、北の方で紀更たちが遭遇した集団と同じく、イーグの森付近から次々と湧いて出るカルーテの群れと怪魔クフヴェ。クフヴェは、一匹の戦力はキヴィネほど強くはないが攻撃手段が多彩なため、数が多いとそれなりに厄介な怪魔だ。それが数匹同時に出現した、というのが南方の状況だった。
「南に出現した怪魔はまるで足止め……いえ、レイトの操言士たちを誘い出したみたいですね」
ルーカスが不穏そうに呟くと、エリックも同感らしく頷いた。
「ユルゲンくん、キミのことを訊いてもいいかい?」
王黎は客室のドアに背を預けて立っているユルゲンに身体を向けた。
最美は休養のため寝台に横たわって寝ており、寝台の横の椅子には紀更が座っている。部屋にはもうひとつ椅子があったが、騎士団の二人も王黎も座らずに立っていた。
「訊かれて困ることは何もねぇからな。好きにしてくれ」
最美以外の全員から見つめられているというのに、ユルゲンに臆する様子はない。軽く両手を上げて、堂々としていた。
「出身は?」
「メルゲントだ」
「傭兵の街か。ずいぶん南から来たんだね。どうしてレイトへ? 仕事?」
「一人で旅をしている。レイトを訪れた明確な理由はない。メルゲント傭兵団の一員だったが、街を出て旅をするにあたり、傭兵団は抜けさせてもらった。今はフリーの傭兵だ。怪魔退治、隊商護衛、脱走した飼い猫の捜索――報酬があればどんな依頼も受けるが、今の今は、明確な仕事は請け負っていない」
ユルゲンは王黎から訊かれたこと以上に饒舌に答えた。
王黎はユルゲンに興味があって質問しているのではない。
怪魔は自然現象の一部と考えられているが、先ほど村の南北に同時に出現した怪魔の数とタイミングは、どこか不自然だ。怪魔との戦闘経験が少なくないエリックとルーカス、王黎の三人は、自身の経験からこの状況がただ事でないと感じていた。
そのため、三人の関心は、不自然な怪魔出現に居合わせたユルゲンに向いていた。
「レイトへはどういうルートで?」
「二日前にポーレンヌを発ち、港町ウダを経由して、レイト南街道を北上してきた。その道中も、やけに怪魔が多く現れるな、と思っていた」
王黎から向けられる疑いの視線。それを感じ取ったユルゲンは、多くを語る。王黎が判断できるようにするために。何かを疑われているようだが、こちらには何もやましいことはないと示すために。
「旅の目的は?」
まるで尋問のようだとユルゲンは思った。しかし尋問のような空気を隠さないあたり、ユルゲンにそう思われることなど、王黎は構いやしないのだろう。
王黎だけでなく二人の騎士からも疑惑の眼差しを向けられている中で、ユルゲンは隠さずためらわず、素直に答えた。
「探し物だ。それが何なのかはわからんが、どうしても見つけなきゃいけない気がしてな。それを探すために、一ヶ月ほど前に街を出たんだ」
疑っていることを隠しもしない王黎は、ユルゲンと駆け引きをする気などないのだ。そんな相手に、へたに隠し事をしたり中途半端にごまかしたりしても、なんの得にもならない。王黎が素直にカードを表にするなら、こちらも持っているカードをすべて見せた方が信頼は得やすい。ユルゲンはそう判断した。
「ずいぶんと曖昧な目的だねえ。それ、本当のこと?」
「自分でもそう思う。残念だが嘘はついちゃいない。見つけ出したいものが……何かがどこかにあるんだ。それを探して、気ままにあちこちを流浪してる」
「うーん」
王黎はふっ、と口元をゆるめて笑った。なんの駆け引きもなく素直に答えるユルゲンを完全に信用したわけではなさそうだが、これ以上疑いもしないようだ。
「キミ、本当にただ偶然通りかかっただけみたいだね。疑って悪かったよ」
「構わん」
淡々としているユルゲンのその様子を、紀更はじっと見つめていた。気分を害したわけではないのだろうが、ずいぶんと短い返事なので、不機嫌なのだろうかとつい心配になってしまう。
(知ってる気がしたけど、傭兵さんなんて私は知らない)
戦闘中、ユルゲンと目が合った瞬間に感じた不思議な懐かしさ。
しかし、戦闘が終わってこうして落ち着いてみれば、彼を知っているはずなどなかった。紀更が住んでいる王都のマルーデッカ地区には傭兵などほとんどいないし、こんなにも大柄な人物なら、一度目にすればはっきりと憶えているだろう。けれど、どこかで見かけたとかすれ違ったとか、紀更にそんな記憶は一切なかった。
「あらためて礼を言うよ。ありがとう、助太刀してくれて。それと、こちらもきちんと自己紹介しようか」
今度は王黎が饒舌になった。エリックとルーカスはまだ少しユルゲンを怪しんでいるようだったが、王黎が始めた自己紹介の流れには乗ることにした。
「僕は王都の操言士。で、こちらが――」
「――王都騎士団所属二等騎士、エリック・ローズィだ」
「同じく、三等騎士ルーカスです」
王黎が右手を向けると、エリック、ルーカスが順番に所属と名前を述べる。
ユルゲンは二人の騎士に小さく頷いてみせた。
「伏せっているのが僕の言従士の最美。それから」
「き、紀更です。えっと……見習い操言士で……王黎師匠の弟子、です」
王黎の視線を受けた紀更はいそいそと腰を上げ、両手をそろえて丁寧に頭を下げた。王黎やエリックたちのように所属を名乗り慣れていないので、やけにたどたどしい挨拶になってしまう。
「紀更が王都の操言院で勉強をしすぎてね。息抜きに旅行しようよ、ってことで王都を出てレイトに着いたのが昨日なんだ。あ、騎士団の二人は護衛ね」
王黎はにこにこと楽しそうに語る。
一方紀更は、操言院での息が詰まるような日々を思い出して肩が重くなった。それに、勉強はしすぎたのではなく、させられすぎたのだ。そう言い直しをさせてほしい気持ちがむくむくと生まれる。しかし、紀更はぐっとこらえた。操言院に対する愚痴を言い出したら止まらなくなりそうだが、今はそんな話をしている場合ではない。
「王黎殿、自己紹介はそれくらいでいいだろう。それより、怪魔の多発について、この村の操言支部は何か言っていなかったのか」
エリックが話を元に戻す。すると王黎は何かを思い出したようで、拳でぽん、と軽く自分の手のひらをたたいた。
「祈聖石の効力が切れていたそうです」
「祈聖石?」
その単語に紀更が反応したので、王黎はニヤりと笑った。