2.赤いゆらめき(下)
教育部部長の操言士マチルダは、このタイミングでなぜペレス家がパーティーを開き、そこに修了試験の合格者を呼ぶのかはわからないし、理由を知りたいとも思わない。利用するかされるかの、策略や計略にも特に興味はない。ただ、自分が管理する操言院を卒業したばかりのヒヨコたち――つまり自分の「身内」が、よそで粗相をしたり笑われたりしないか、それを懸念していた。正確には、ヒヨコたちを心配する気持ちが半分、教育部部長の自分のプライドが傷つけられないかという気持ちが半分、といったところだ。
「受験生のうち、パーティーの服装やマナー等に問題がないのはモワナール家のブリアナだけざます。あたくし、ほかの五名が心配でなりませんの! しかもパーティーは合格発表の次の日ですわ。準備時間なんてないも同然。誰が合格するかは蓋を開けてみないとわかりませんけれど、できる用意は今のうちからしておかなくては!」
マチルダの弁に、男性操言士のジャックとレオンはつまらなさそうな表情を浮かべた。マチルダは準備時間がないと言うが、パーティーの準備なんてすぐできるじゃないか、という男性ならではの思考なので、マチルダほど切羽詰まった感覚がないのだ。
一方、女性であるコリンとエミリコはマチルダの言いたいことが理解できるので、多少、思案顔になる。
「教育部のアンヘルと、守護部のフローレンスに頼みなさい」
するとコリンがマチルダに告げた。
「アンヘルはいま、特別な操言士を指導しています。関係者ですし、パーティーの参加経験もあったはずです。男性用の衣装の用立てはできるでしょう。フローレンスは言わずもがなです。服からヘアメイクまで、すべて手配できるでしょう。必要経費は操言士団幹部会が負担します」
「コリン団長、それは少し、手厚すぎるのでは」
コリンの右腕であるジャックが困り顔で意見する。誰かをサポート役に任命するのは構わないが、費用まで幹部会がもつというのはいささかもったいないのではないだろうか。だがコリンはきっぱりと言い切った。
「修了試験合格直後の操言士を、こちらの都合も考えずに招くのです。ペレス家に多少は請求してもよいでしょう。エミリコ、あちらと話をつけておきなさい」
「はい、コリン団長」
「さすがコリン団長。華族に対して下に立つ気はないということですね」
レオンはつまらなさそうな表情から一転して、小さな拍手をコリンに送った。
「マチルダ、当日は引率をお願いします」
「ええ、もちろんざます」
「パーティーのことは合格発表後、マチルダから本人たちに伝えること。合格者たちの詳しい段取りは、マチルダに一任します。アンヘル、フローレンスをうまく使うように。それとジャック」
「はい、フローレンスの助力を願いたい旨、守護部部長ラファルに伝えておきます」
「よろしい。マチルダ以外の者はパーティーに気を取られず、国が抱えている最優先事項も気にしなさい。以上」
コリンの締めでその場はお開きとなった。
◆◇◆◇◆
「なんじゃそら。なんでフローレンスなんだよ」
その日の夕方遅く、幹部操言士ジャックは操言士団本部の守護部会館に赴き、守護部部長のラファルと面会した。
操言院の修了試験二日後の夜に、平和民団のペレス家主催のパーティーがあり、そこに合格者が招かれていること。そして合格者たちがパーティーに参加できるように、女性用の衣装やヘアメイクなどの用意を、守護部の操言士フローレンスに頼みたいことを伝えに来たのだ。
波を描くような赤毛に丸眼鏡、もっさりと頬にも顎にも髭を生やした男性操言士ラファルは、不機嫌な表情でジャックを睨んだ。
「状況はそれどころじゃねぇだろ。怪魔に備えて都市部や国道の防衛力強化、操言士の捜索と補充、しかも謎の組織の調査って、動いてるのはほとんど俺ら守護部だぞ!? なに幹部会自らが余計な仕事を増やしてくれてんだ。ド阿呆か!」
ラファルの言うことはもっともなので、ジャックは特に反論はしない。
「フローレンスだって、今は王都にいるが暇じゃねぇんだぞ!」
しかし、怒鳴るラファルの隣に座る女性操言士フローレンス当人は、目を細めてキラキラとした笑顔を浮かべて言った。
「あら、ラファル部長。わたくしは構いませんよ。むしろこんな状況だからこそ、パーティーの準備なんて華のあるお仕事、喜んで引き受けますわ」
「おい馬鹿やめろ。それでお前がオーバーワークしたら、谷義都がまた暴れるだろ」
「あら~大丈夫ですわよ。わたくしが言えば止まりますから」
「谷義都が暴れる時ってのは、お前が過労で倒れて寝込んでる時なんだよ! どうやって止めるんだド阿呆」
のほほんとほほ笑むフローレンスの楽観さに、ラファルはため息をつく。
フローレンスは見た目のおっとりとした雰囲気とは反対に、身体が不調を訴えてもなお働こうとするワーカーホリックな性格である。責任感が強く面倒見もいいうえに優秀なので、次から次へと仕事を見つけては限界まで働いてしまう。そしてフローレンスが限界を超えて倒れるたびに、彼女の言従士谷義都が守護部会館の中で暴れまくるのだ。「俺のフローレンス様になんて無茶させやがるんだ」、と叫びながら。しかし、谷義都が暴れて文句を言ったところで、そもそもフローレンス自ら働きすぎるのだから守護部としてはいい迷惑だった。
「ラファルさん、でもわたくし、パーティーの準備をしたいですわ。楽しそうですもの。うふふ、合格者の中に女の子が多いといいのですけれど」
にこにこと笑うフローレンスに、ラファルは閉口した。彼女が「楽しそう」と言い出したらおしまいだ。楽しそうだから絶対に自分がやる――そう宣言しているも同然なのだ。
「ジャックさん、修了試験の受験生は何人いますの? 何人くらい合格できそうですの? 女の子のご用意だけでいいのかしら? ドレスのフィッティングのお時間はありまして? そうだわ、どういう雰囲気のメイクが合うか知りたいので、せめて事前にお顔を拝見できるといいのですけれど、試験前は難しそうですわね? ではせめて、髪と瞳の色を教えていただける?」
(駄目だ、がっつり乗り気だ)
次々にジャックに問いかけるフローレンスの横で、ラファルは頭を抱えた。
操言士団守護部は、その名のとおり国を守護する重要な組織だ。国の防衛という観点で脅威になるのは主に他国と怪魔だが、他国との争いが少ない今の時代において人々の安全を脅かす存在は目下怪魔である。怪魔に対しては騎士団も戦力ではあるが、上位の怪魔に対抗できるのは騎士ではなく操言士――それも、戦闘に慣れた守護部の操言士だ。つまり、守護部の操言士は操言士団の中でも特に、国家戦力として重要なのである。
守護部の操言士にはその自負があり、またその役割に恥じない実力を全員が持っている。近況を考えると、パーティーの準備を手伝えなどという理由で人手を減らされたくないのが、守護部の長であるラファルの本音だ。
「受験生は六名、男女が半々ずつだ。合否の可能性については何も言えないが、彼らが自由に動けるようになるのは試験の結果発表後だから、早くても試験翌日の昼過ぎからだね。昼過ぎに操言ブローチの授与を行って、そこで解散となる予定だ」
「それで、次の日の夜にパーティーですの? なんと急なこと。できる準備は今のうちに終わらせておかなければなりませんわね。あらあら、たいへん!」
たいへんと言いつつ、フローレンスは花が咲いたような満面の笑みだ。
「はあ……いいか、フローレンス。無理はするんじゃねぇぞ。それと、本来業務も忘れるなよ? 今はいつもとは違う観点で、他国の監視も必要なんだからな」
「ええ、ええ。もちろんですとも。うふふ、手際よく動かないとなりませんわねえ」
「はあ……」
フローレンスを止めることは諦めて、ラファルはうなだれた。
「よろしく頼むよ、フローレンス」
一方ジャックは、フローレンスの快い協力が見込み通り得られたので、ラファルとは違って穏やかな気持ちで守護部会館を後にした。
◆◇◆◇◆
「紀更くん、君へ荷物が届いている」
自宅に戻る日の前夜、操言院の食堂で一人夕食をとっていた紀更のもとへ、ふいにアンヘルが現れて言った。
「私に荷物ですか?」
「明日の朝、自宅へ戻る際に事務室に寄りたまえ」
「あ、はい。ありがとうございます」
紀更はスプーンを置いてアンヘルに頭を下げる。アンヘルはふん、と鼻を鳴らして踵を返した。
(荷物って、なんだろう)
翌朝、操言院本館にある事務室を訪ねた紀更は、それが始海の塔を目指す船に乗せたままだった旅の荷物であることを知った。すっかり忘れていたが、船は嵐のあとヒルダたちをそのまま乗せて、ゼルヴァイスの港へ戻ったのだ。
(誰が届けてくれたのかしら。ジャスパーさんかしら)
思えば、王都を出る時に乗っていた馬も、ゼルヴァイス城下町の公共厩舎につなぎっぱなしだった。もしかしたら、ジャスパーが気を利かせて馬と荷物を王都に送り返してくれたのかもしれない。
少しばかり荷物の増えた紀更は、晴れ間の見える朝の日差しの中、実家を目指して歩き出した。
◆◇◆◇◆