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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第07話 高飛車な操言士と修了試験
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2.赤いゆらめき(中)

【赤いゆらめき、僕の意のままに消えろ】

「……っはぁ」

「うん、よくできたね」


 王黎は赤いゆらめきの効果を消すと、笑顔で紀更を見下ろした。集中の切れた紀更は、まるで全力疾走をしたあとのように肩で息を吸い込み、呼吸を荒げる。


「なんだ、今のは……」


 アンヘルは初めて見る訓練法に口をあんぐりと広げた。そんなアンヘルをちらりと見て王黎は苦笑する。


「僕が昔、師匠にされた訓練ですよ。僕もなかなか、自分の力の波動を感知できなかったもので」

「王黎も?」


 初めて聞く話だったようで、雛菊は意外そうな表情を浮かべた。


「たとえば、自分の肌から五セイ(※一セイは約一センチメートル)以内の領域に水が満たされているとしましょう。その水は全身を覆っている。自分の身体が水に包まれているわけです。お二人は自分をとりまく水と、水のない外側との境界線がどこにあるか、感覚的にわかると思いますか」

「それは……まあ、わかるだろう」

「分厚い服を着ているようなものだと思えば難しいことじゃないんじゃないの。分厚い服を着てるから境界線がわからなくなって壁にぶつかる、なんてことにはならないもの」


 アンヘルと雛菊が答える。すると王黎はニヤりと笑った。


「では、自分の肌から百メイ(※一メイは約一メートル)以内の領域が水で満たされていたら?」


 王黎の問いに、アンヘルと雛菊はそろって黙り込んだ。王黎の話に耳をかたむけている紀更は黙ったままだったが、その胸中ではただ一言、「無理だ」と答えを呟いていた。


「水とその外の境界線はきっと把握できないでしょう。自分をとりまく水に〝終わり〟があるとは思わず、自分は水の中にいる、溺れてしまう、という感覚になるでしょうね」

「つまり、どういうことよ」

「水の量は操言の力の量です。僕も紀更も、自分で感知するには難しいくらい、操言の力があるんです。その量が多すぎて、力の中心にいる自分では力の全体像をとらえることができないんです」

「量が多い?」


 紀更は不思議そうに目をパチクリとさせながら、王黎に問いかけた。


「私、そうなんですか」

「うん。まだそんなに気にしなくていいことだから、今まで特に指摘しなかったけどね。キミが自分の操言の力の波動を感じ取れないのは、力の量が多いから。大きいから、と言った方がわかりやすいかな。でも鍛錬を積めばちゃんと感じられるようになるし、コントロールもできるようになるよ。その必要があれば、だけどね」

「私、いま……」


 紀更は少しの間考え込んで、言いたいことを整理してから王黎を見上げた。


「自分の中にある操言の力は血液みたいに体内を流れていて、体温みたいに外に向かって放出されている……そんなイメージを抱きました。そしたら、少しその力の存在を感じることができたと思うんですけど、なんだかとても重くて大きくて……。王黎師匠の赤い力を押し返すために手のひらに力を集めようとしたんですけど、重いのか硬いのかなかなかうまくできなくて」

「面白いね。そんな風にイメージしたんだ? それに、重くて硬い力か……うんうん。なんか扱うのに厄介そうな性質の力だね~」


 紀更は困ったように報告するが、それを聞いて王黎はくすくすと笑った。


「王黎師匠、他人事だと思ってますね?」

「うん、他人事だもん。いや~紀更。自分の波動を感知してコントロールしようと本気で思うなら、相当苦労するね~。これは普通の人の十倍は鍛錬しないと無理かもね~」

「現に苦労してるんですよ、王黎師匠。それに、コントロールできるように、今後王黎師匠が指導してくださるんですよね?」


 紀更は眉間に皺を寄せてむっとした表情で王黎に尋ねた。他人事だと王黎は言うが、紀更の師匠は王黎だ。師匠なのだから弟子を指導する義務があるはずだ。

 しかし抗議するような紀更に、王黎は逆に意地悪げな笑顔を向けた。


「紀更が望むならするけど、実際にやるのは紀更だよ?」

「そ……そうですけど」


 紀更は返事を詰まらせた。

 指導する義務が師匠にあるのは間違いないが、重く硬いこの力を完全に制御するのは紀更自身である、ということにも間違いはない。


「アンヘルさん、僕は守護部の操言士ですから、操言院を運営する教育部のやり方に口を出すつもりはありません。思うところは多々ありますがね」


 困り果てたような表情の紀更からアンヘルへと視線を移し、王黎は真面目なトーンで言った。


「でも、ユニークな師匠からユニークな指導を受けた一人の操言士としてひとつだけ、意見を伝えたい。型に当てはめた教育が、いつも誰にでも正しいとは限らないんです。一人一人に合わせたやり方を考えてあげられると、きっと見習い操言士も教師操言士も、学びが楽しくなるんじゃないでしょうか。操言院では一度に大量の見習い操言士を育てますから、なかなか難しいことですが」

「楽しくだと?」


 アンヘルは肩を震わせた。自分の胸の内にわき上がる思いの正体が悔しさなのか興奮なのか、それとも意見する王黎への苛立ちなのか判別がつかないまま、口だけは動く。


「学びに楽しさなど不要だろう」

「そうでしょうか。自分にできるという実感、新しいことを知る喜び……そういうものは操言士でなくても、長い人生を生きるのに大切だと思いませんか。僕らは国や組織の駒でも歯車でもない。一人の人間です。操言士として生きざるを得ない宿命を背負ってはいますが、どうせ逃れられないのなら、少しでも生きがいややりがい、楽しみなんかを感じながら操言士として生きたい……と僕は思うんですけどね」


 朗らかな表情で語る王黎に、アンヘルはそれ以上言葉が出てこない。訓練場の地面に落ちているティーカップの破片をただ見つめるだけだった。



     ◆◇◆◇◆



「――モワナール家のブリアナ十六歳、紀更十七歳。以上六名が、一週間後の修了試験の受験生ですわ」


 昼過ぎの操言士団本部。本館の小会議室で、操言士団教育部部長の操言士マチルダは、六名の見習い操言士の名前と年齢が書かれた書類を読み上げた。書類を持つ手の爪は、今日も艶やかな赤色に塗られている。


「受験生の選定に関しては幹部のレオンさん、エミリコさんの承認は得ているざます。試験官はいつも通りここにいる五人のほかに三名の試験補佐官を選出しますけれども、誰か推薦する方はいらっしゃって?」


 マチルダが室内にいる四人に語りかけると、反応したのはコリンだった。


「一人はイレーヌ様になさい」

「まあ! 王族操言士のイレーヌ様ですか」

「イレーヌ様はライアン王とお会いになる機会を定期的に作っておられます。〝特別な操言士〟の様子を、じかにライアン王へ伝えられるでしょう」

「いいですね。受験生の中には四大華族、モワナール家のお嬢様もいますしね。王族のイレーヌ様が試験補佐官を務めてくだされば、華族の方々は満足でしょう」


 コリンの意見にジャックが頷く。それからジャックはマチルダに向かって続けた。


「今回の試験は、特別な操言士が参加するということで多方面から注目されている。不正等を疑われないようにするためにも、試験補佐官は経験豊富な者がいいだろう。イレーヌ様は守護部だから、国内部からは政夫、民間部からアスナなどを選出してはどうかね。二人とも試験補佐官の経験はあるし、公平な判断ができるのに見る目は厳しい。適任かと」


 幹部操言士のレオンとエミリコは、ジャックが推薦した二名に反論がないようでこくりと頷いてみせた。


「いいでしょう。では、その三名を試験補佐官とします」


 コリンがそう決定すると、マチルダは手元の書類に三人の名前を記入した。

 それからマチルダは、コリンの方を向いて言った。


「試験後の予定ですが、翌日の朝に結果発表、それぞれ各部長への挨拶、昼過ぎには操言院で操言ブローチ授与、これをもって操言院を卒業……といつも通りざます。ですが、ひとつ気掛かりがありますの」

「結果発表の次の日の、ペレス家主催のパーティーか」


 ジャックは、先日すべての幹部に届けた招待状を思い出した。個別に確認にきた幹部たちには原則出席せよ、と団長であるコリン自ら伝えてある。平和民団の幹部であるペレス家と摩擦を起こさないためにも、幹部操言士は全員が出席する予定だ。


「そのパーティー、ペレス家は修了試験の合格者も招待しているのよね? 何が狙いかしら」


 幹部操言士エミリコが、自分のスパイラルウェーブヘアの髪の毛を指先でくるくるともてあそびながら、不機嫌そうに呟いた。オールバックヘアの幹部操言士レオンが、それに対して反応する。


「モワナール家を意識しているのだろう。王子と従兄妹関係にあるモワナール家のブリアナに近付くいい口実だ。彼女を自分たち側の操言士にしておきたいのだろう」

「なるほどね。ブリアナはここ数年操言院にいたから、操言院を出るタイミングで早々に何かしたいのかしらね」

「ペレス家の思惑はさておき、合格者たちをそのパーティーに向かわせる段取りを考えておく必要があるわけだな」


 話を脱線させそうになったエミリコとレオンに、ジャックは少し強めの口調で言い聞かせた。


「そうざます。修了試験を合格して一人前になったばかりの操言士たちが、卒業後早々に恥をかくのは避けたいざます」


 平和民団の幹部はその多くが苗字持ちで、しかも王族と関わりの深い「華族」と呼ばれる者たちだ。彼らは何かと理由をつけてはパーティーを開き、華族同士のつながりや、あるいは騎士、操言士とのつながりを築くことに腐心している。

 彼らの笑顔の下の意図に気付かぬままパーティーに招待された者たちは、少しずつ華族に取り込まれ、利用される。一方、華族たちに主導権を握られたくないと反発する参加者は、主催者同様に笑顔の下に黒い嘲笑を浮かべて、どうにか自分が華族を利用できないかと頭をはたらかせる。

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