2.赤いゆらめき(上)
「はあ? 何それ」
操言士団本部の本館、二階にある待機室のひとつで幹部操言士の玲白は、同じく幹部操言士であるマティアスに訊き返した。待機室の中には玲白とマティアスのほかに操言士の姿はない。
「ペレス家主催のパーティーへの招待状だ。オレとお前に」
「あたしたち、ヘススやロジャーのオッサンたちと違って別にペレス家の方々と仲良くなんてないわよ?」
「この招待状、ジャックが持ってきたんだ。ってことは、操言士団の幹部全員が招かれてるんだろう。ご丁寧にはみ出しモンのオレたちまでな」
「どういうことかしら。特務?」
「いや、純粋な招待だろ」
「純粋ねえ……。ペレス家なんて華族筆頭じゃない。それも、国王を困らせてる原因の。それが純粋な気持ちで操言士団の幹部全員をご招待? あり得ないでしょ。純粋って言葉の意味が、あたしたちの知ってる意味とは大きく違うんじゃないの」
玲白は鼻先で笑った。
幹部操言士が集まる会議での玲白は、年若いということもありなるべく年配の幹部を立てて、発言を控えるようにしている。だが言ってやりたいことは実にいろいろあるのだ。ほかの幹部に対しても、ほかの三公団に対しても。
「怪魔多発、操言士の誘拐、ピラーオルド……。三公団とは別の組織を立ち上げるとかのんきにパーティーを開くとか、そーゆー場合じゃないっつーの! ほんっとに平和民団のアホどもは」
玲白はマティアスの手から招待状を受け取ると、書かれている内容に目を走らせながら吐き捨てた。
平和民団の団長は、必ず「名字持ちでない者」が選出される。なぜなら名字持ち、特に華族と呼ばれる王族と関わりの深い一族の権力がこれ以上増大しないようにするためだ。だが、どんなに華族を団長の座に就けないようにしたとしても、結局、平和民団を牛耳っているのは華族たちだ。そして彼らは、玲白に言わせれば平和ボケしており、自己保身が最優先で真に国と民のことを考えているとは言いがたい。
「平和民団は、それらの問題に対処するべきなのは操言士団だと思っているんだろう。自分のことだとは思っちゃいねぇよ」
「コリン団長があらかじめ国王に話をつけておいて、平和民団も自分事のように考えろよ、って王から達しがあったのに?」
「華族の連中は、とにかく華族議会を立ち上げたくて仕方がない。それが最優先事項だ」
「国を脅かす怪魔や他国の脅威より?」
「もちろんだ。あいつらの腐った頭の中には薔薇色の妄想しかない。今は少し落ち着いたと言われているが、その見解は第三者によるものだ。本人たちはまだまだ、その件でライアン王とやり合うつもりだろう。目の前の脅威から目をそらしてな」
マティアスの悪態に、玲白はため息をついた。
「で、このパーティーには出なきゃいけないのかしら。不参加でもよくない?」
「コリン団長に判断を仰ごう。まあ十中八九、参加強制だろうな」
「どうせなら特務にしてくれれば給料が上がるのに」
「十分もらってる方だろ。金持ちになりたいのかよ」
「お金はいくらあっても困らないからね。人生で裏切らないのは、お金と言従士だけなんだから」
「操言士玲白の金言だな」
マティアスはシニカルな笑みを浮かべると、自分宛の招待状をゴミ箱に投げ捨てた。
◆◇◆◇◆
操言院の修了試験が一日、また一日と近くなる。
今日も紀更は屋外訓練場に立ち、アンヘルと雛菊が見守る中で操言の力の使い方を訓練していた。しかし進捗があまりよくない。先日も取り組んだ「自分の使った操言の力のはたらきが切れるタイミングをつかむ」という訓練だが、どうにも自分の操言の力の動き、総じて「波動」と呼ばれるそれをとらえることが紀更には難しいのだ。
「気はそらさなくていいから、力が失われる瞬間をとらえろ」
「はい」
操言の力を使って空中に浮かせたひとつのティーカップ。効力を失えば、ティーカップは地に落ちて粉々に砕け散る。その瞬間を――自分の力の波動がなくなるその一瞬をどうにか感覚でとらえようと意識するのだが――。
――ガシャン。
「うーん……」
ティーカップは地に落ちて割れた。だが紀更の感覚には何も変化がない。ティーカップを宙に浮かせるために紀更が使った操言の力の効果は、今まさに途切れたはずなのに。何度もアンヘルが説明してくれた、「身体からエネルギーが引っこ抜かれるような感覚」は得られなかった。
「駄目か」
「すみません、どうしても……」
わからない。
自分の操言の力の波動をとらえること。自分の力がどこにどう出ていって、何につながっていて、そして切り離されたのか。王黎やアンヘルをはじめ、自分以外の操言士の波動はとらえられるのに、自分の力に対しては同じ感覚にならない。
紀更は俯き、不安と焦りで胸の奥がちくちくと痛むのを感じた。
(どうしよう……このままじゃ、試験に合格できない?)
合格せよと言われているのに。自分自身も合格したいと思っているのに。操言の力の波動がとらえられないのでは、ずっと見習いのままだろうか。暗い未来を想像して、紀更は黙り込んだ。
割れたティーカップに視線を落としたアンヘルもまた、紀更同様に考え込んだ。
これまで教えてきた見習い操言士で、ここまで自分の力の波動をとらえられない生徒はいなかった。どうすれば紀更がその感覚をつかめるのか、ほかに教える手段はないのだろうか。
(自分の教え方の限界か)
悔しいが、そんな風に思ってしまう。
一対一で教えているからこそわかる。紀更は手を抜いていないし、要領が悪いわけでもない。それなのにいつまで経ってもできないのは、紀更やアンヘルが悪いのではない。何かきっと、今の教え方や学び方が合っていないのだ。別の視点で波動について考えてみなければならないのかもしれない。
だが、頭が固く柔軟な発想を苦手とするアンヘルには、これまで自分がやってきた教え方しかできない。俯く生徒を前に、まがりなりにも教師操言士でありながらほかの手立てが思い浮かばない。アンヘルは教師操言士という職に就いてから今日初めて、自分のことを情けないと思った。
「見えるようにしてみたらどうでしょうかね」
その時、誰かが足音も気配もなくふらりと姿を現した。紀更たち三人は同時に驚き、声のする方に顔を向ける。訓練場の入り口からのんびりと歩いてこちらにやって来たのは、操言ローブを羽織った王黎だった。
【赤いゆらめき、僕の意のままに朱をまき散らせ】
王黎は言葉を紡ぎ、操言の力を使う。すると赤く光るゆらめきが出現し、王黎の全身にまとわりついた。
王黎は紀更に近付きながら、右手をまっすぐ前に差し出す。
「紀更、この赤い波が僕の操言の力の波動だよ。右手のひらを僕に向けてごらん」
「おい、なんの真似だ」
「まあまあ、アンヘルさん。ちょっとだけ黙っていてくれませんか」
眉間に皺を寄せて不機嫌そうな表情を浮かべるアンヘルに、王黎はのほほんと笑いかける。しかしその目の奥にあるのは愉快な感情ではなく、有無を言わせない激しさだった。その激しさにアンヘルは身体を強張らせ、黙って見守ることにする。
紀更は王黎の言うとおり、自分の右手のひらを王黎に向けた。その手のひらに王黎も自分の手のひらを向けて、ふれ合わせる。
「紀更、いいかい。今から僕は、この赤い波動をキミの手のひらから順にキミに這わせるよ。キミは僕の力の侵略を拒むように、自分の波動でこの赤いゆらめきを押し返すんだ」
「押し返す……」
「いくよ」
王黎は目を見開いた。ふれ合わせた王黎の手のひらから、赤いゆらめきが紀更の右指、甲、手首へゆっくりと移ってくる。紀更はその赤いゆらめきに目を奪われた。
「紀更、自分の中にある操言の力を意識して。赤いゆらめきを押し返すんだ」
自分の操言の力の波動を感覚としてとらえられない紀更には難しい注文だった。
「自分の右手にも、僕の赤いゆらめきと同じようなゆらめきがあると思ってごらん。その波で抵抗するんだ」
「私の右手に?」
紀更は赤いゆらめきではなく、自分の腕に視線を向けた。
王黎と同じように、そこにもゆらめくものが――操言の力がある。たとえばそう、赤に抵抗する青。まき散らされる朱を覆い返す、蒼のきらめき。
【蒼き――】
「――言葉は使うな。自分の感覚だけで抵抗するんだ」
言葉を紡ぎかけた紀更を、王黎は強めの口調で制した。
これは感覚を鍛える訓練だ。言葉を使って、操言の力本来の使い方をしたのでは意味がない。言葉を紡ぐ前段階として、自分の中にある操言の力の波動を感じ取って操ることが重要なのだ。
紀更は王黎と手のひらを重ね合わせたまま、深呼吸をした。
(言葉は使わない……イメージする)
自分の中にある操言の力。
そうだ、たとえばそれは血液のように体内を循環しているのではないか。体温のように、内側から外側に向かって放出されるのではないか。そんなイメージで自分の力を感じ取る。そして感じ取るだけでなく、その力でこの赤いゆらめきを押し返す。
「なっ……」
王黎の指導を黙って見守っていたアンヘルは、自然と口が開いた。雛菊も、声は発さなかったが目を見開き驚いている。
「そうだよ。押し返してごらん」
紀更の肘まで覆おうとしていた赤いゆらめきが、王黎の意思に反して徐々に押し返される。文字通り、何かがそのゆらめきをぐい、ぐい、と押し戻しているようだ。
「自分の波動を感じて操るんだ。それがキミの中にある操言の力だよ」
(私の波動……操言の力……。何か、これは……重い……っ)
集中している紀更は、王黎の声は聞こえるものの返事は返せない。ただ赤を押し返すために、自分が持つ操言の力に集中する。
赤いゆらめきはじわじわと王黎の方へ追いやられ、時間はかかったが最終的に紀更の右手のひらからも完全に離れていった。