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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第07話 高飛車な操言士と修了試験
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1.三公団(上)

 紀更が操言院に戻る日になった。

 操言院を離れて自宅で過ごした二日間は、ちょうどよい息抜きになった。おかげで、操言院にずっと缶詰めだった頃のような、重たく息苦しい感覚はない。それどころか、再び操言院で学べることが楽しみですらあった。


「試験まで残り十日だ。技術分野は試験を想定した内容に移行する。つまり、言葉とイメージが的確に結び付いているかを重視して訓練を行う。また、生活場面での操言の力の使い方も底上げを図っていくからそのつもりで」

「アンヘルさん、対怪魔戦の訓練も試験を想定した方がいいのでは?」


 教室の教壇に立っているアンヘルは、間を含むことなく雛菊から問いかけられて仏頂面になった。二人はバチバチと見えない火花を散らして不機嫌さをまき散らすほど険悪な仲ではないが、少しでも主導権が雛菊に移りそうになることをアンヘルはことごとく不快に思うようだった。


「対怪魔戦については試験直前の対策で十分だ。紀更くんは生活場面での力の行使経験の方が乏しい。まずはその不足している部分を補うことを優先する。とはいえ、すでに力の使い方の基礎段階は経ている。あとは様々な場面を想定した訓練をする。そういうことだから、今日は午後の前半まで訓練場だ。その後、雛菊くんに知識分野を講義してもらう。いいな」


 アンヘルはそう言って教室を出ていく。そのあとを紀更と雛菊も追った。




「生活場面で操言の力を使う際、物に対して与える主な三つの効力は?」


 今日の訓練は一番狭い屋外第三訓練場ではなく、一番広い屋外第一訓練場で行うようだ。西側に教育部本館が見える屋外第一訓練場は芝生が青々と茂っている開けた敷地で、教師操言士と見習い操言士の集団がふたつ、三つ、互いに距離をとって訓練を行っている。第一訓練場は共同使用が原則のためだ。逆に、第三訓練場は少人数グループ単体での使用が原則である。


(三つの効力は……)


 アンヘルの問いに答えるため、紀更はこれまで教わってきたことを思い出そうと静かに目を閉じた。そして要点を頭の中に浮かべてから目を開ける。


「動かす、変化させる、効果を付与するの三点です」


 紀更はアンヘルをまっすぐに見つめて答えた。アンヘルの表情は相変わらず仏頂面だったが、そこに浮かんでいた紀更への一方的な見下しの感情は、初日に比べてだいぶ少なくなっている。誰が相手でもアンヘルが不愛想なのは、もはや彼自身の個性なのだろう。


「そうだ。生活器をはじめとして、人々の生活を豊かにするために操言の力を使う場合、物に対してその三つの効力を付与することが操言士には求められる。簡単なところからいこう。まずは〝動かす〟だ」


 アンヘルは地面に置いておいた大きなバスケットから一枚の紙を取り出した。そしてそれを折って紙飛行機を作ると左手で持ち、右手を紙飛行機の上にかざして言葉を紡ぐ。


【白き翼よ、(くう)を切り風に乗り、見習い操言士紀更のもとへ飛べ】


 それからアンヘルは、紀更のいないあさっての方向へ紙飛行機を投げ飛ばした。

 ただの紙飛行機ならば、それでは当然紀更に届くはずがない。しかし操言の力で動く、つまり飛ぶ効力を与えられた紙飛行機は、まるで自分の意志があるかのように空中で旋回すると、紀更に向かってまっすぐに飛んだ。自分に向かってきたその紙飛行機を、紀更は胸元で受け止める。


「物を動かす場合、動かしたい対象物、動かし方、動かした先の終着点。この三つを意識して操言の力を使わなければならない。特に重要なのは三つのうちどれだ?」

「えっと……ゴールの指定です」

「それはなぜだ?」

「物を動かす際は、〝動きを止める〟という効力も含んでいなければなりません。そうでないと、いつ、どこまで動けばいいのかが曖昧になってしまう。ゴールを正しく指定することは、そこにたどり着くまで動く、という効力を形成できるからです」

「そうだ。我々操言士の言葉によって物は動き始める。だが対象物はいつ動きを終えるべきなのか、その指定を忘れてはならない。まあ最悪、止まれ、と命じれば止めることはできる。しかしある目的のために物を動かしたい場合、必ず動きの終わりまでをイメージすることが大切だ」

「はい」

「では実践だ。雛菊くん、少し離れてくれたまえ」


 アンヘルに指示されて、雛菊は数歩うしろに下がった。紀更、アンヘル、雛菊の三人で正三角形を形作る位置だ。


「僕がやってみせたように、その紙飛行機を雛菊くんへ飛ばしてみたまえ」

「はい」


 紀更は深呼吸をして集中すると、先ほどのアンヘルを手本に紙飛行機が雛菊へ飛んでいくところをイメージした。


【白き翼よ、空を切り風に乗り、藍色の髪で黒い縁取り眼鏡の雛菊さんのもとへ飛べ】


 紙飛行機が行きつくべき終着点。そこに立つ雛菊の特徴を言葉にして、紙飛行機という対象物に操言の力を使う。そしてアンヘルと同じように、雛菊が立っている場所とは違う方向へ紙飛行機を投げてみる。紙飛行機はあさっての方向へ進んだがすぐに旋回して、雛菊をまっすぐに目指した。


「よろしい。では雛菊くん、その紙飛行機を紀更くんに返したまえ。紀更くん、次は雛菊くんを経由して僕をゴールとした動きをさせるんだ」

「はいっ」


 言われたとおりのことが無事に実践できたことに安堵しつつ、紀更は自信を浮かべて頷いた。そうして昼休みも挟んで訓練は続いた。

 物を動かす訓練として、紙飛行機を飛ばすほかにも訓練用の小さな風車を回したり、地面に置かれた藁の塊を移動させたり。また物を変化させる訓練として、ティーカップの中の水の温度を変えたり、濡れている手拭を乾かしたり。それらは最初にアンヘルが説明したとおり、日常生活の中で自然と出てくる動きや変化だった。上級者になると、ティーカップどころか大釜に入った水を火も使わずに沸騰させることができるというから、操言の力のすごさにはつくづく驚かされる。

 効果を付与する訓練まではたどり着かなかったが、ほぼ休憩を挟まないアンヘルの訓練はなかなかハードで、さすがに紀更を疲弊させた。だがそれは始海の塔での王黎のスパルタ訓練を紀更に思い出させ、疲労と同じくらいの充足感をもたらした。

 分厚い雲が空を覆い、夕方の気配が近付く頃になるとアンヘルは訓練に使用した道具をバスケットに詰めて、あとは雛菊くんよろしくと言って訓練場を後にした。


「はあ……疲れた」


 残された紀更は空気をたくさん吸い込もうとして、大きく深呼吸をする。


「疲れた、って……あなた、それだけ?」

「え?」


 雛菊に問われて、紀更はぼうっとした表情で雛菊を見つめた。


「いえ、なんでもないわ。教室に行くわよ」


 紀更の背中をぽんと押して、雛菊は教室へ向かう。


(普通、あれだけぶっ続けで力を使ったら疲れたどころじゃなくて倒れ込むわよ。それなのにこの()……)


 うしろを歩く紀更をちらりと振り返る。

 アンヘルもとっくに気付いていて驚いているだろうが、雛菊は紀更が持つ操言の力の大きさに驚いていた。疲れたと呟く彼女は確かに相当疲弊しているようだが、それだけだ。普通に歩いているし、水分補給でもして少し休めばすぐに回復できそうに見える。


(紀更の操言の力の大きさは明らかに人並み以上……それなのに、紀更にその自覚はない)


 操言士は操言の力を持って生まれてくる。操言の力は魂に宿っているとも言われ、操言士ならばみな同じ力を持っていると認識されがちだが、実は力の性質や量などにかなり個人差がある。

 わかりやすい違いは力の「大きさ」や「量」で、持っている力が大きければより強い効果が現れるし、力の量が多ければ、量が少ない操言士に比べて長く、あるいは連続して操言の力を行使することができる。

 また力の性質も人それぞれで、たとえば他人を治癒することを得意とする操言士の数は少ない。物や怪魔と違って、同じ人間に操言の力を行使するには緻密な加減が必要なのだが、特に癒すという目的の場合、その加減が容易ではないからだ。

 ところが、生まれつきその加減が自然とできてしまうタイプの操言士がおり、そういう操言士は治癒や回復を得意とする性質の力を持っていると考えられている。


(アンヘルさんも気付いているはず……紀更の力が飛び抜けて大きなことに)


 訓練や修行によって、操言の力の量や能力を変化させることはできる。王黎が若くして師範の資格を得たのは彼の持って生まれた才能もあるのだろうが、決してそれだけではない。彼が早くから、容赦手加減のない破天荒な師匠のもとでとんでもない量の修行を積み重ねてきたからだ。

 しかし、紀更はそもそも、生まれた時には操言の力を持っていなかった。どういうわけか一年前に、突如として操言の力を宿したと聞いている。そのように後天的に操言の力を授かると、とてつもない大きさになるのだろうか。


(これまでの訓練で力の量が増えたとは考えにくい……。彼女がまともに修行できたのは、王黎と祈聖石巡礼の旅に出ていた間の短い期間だけ。生まれつき、という言い方は正しくないけど、とにかく本人の与り知らぬうちに授けられた大きさ……じゃあ性質は?)


 ほぼ休憩なしだったアンヘルの訓練に最後まで付いてきたところを見ると、力の大きさや量は相当なものだ。では、その性質はどうだろうか。力を発揮しやすい対象はなんだ? 物に対してか、怪魔に対してか、それとも人に対してか、あるいはまだ見ぬ性質を持っているのか。


(気になる……でも)

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