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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第06話 頭デッカチ操言士と新たな学び
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8.休養日(中)

(俺の意気地なし!)


 サムは心の中で自分を罵りつつ、なんとか頼りないところを見せまいと胸を張って続けた。


「紀更も、なんでもいいから片っ端から挑戦してみればいいんじゃないか。そうしたら、自分が向いてることとかできることとか見えてくると思う。これはやりたくない、あれはやりたいとか」


「そうね。ふふっ。なんか、サムとこんな話をするって不思議よね」

「え?」

「あ、悪い意味じゃなくてね。なんていうのかな……サムも私も、もう子供じゃなくて……でも大人になりきれてなくて、少しくすぐったいね」


 小さい頃から一緒に遊んで過ごした友人と将来について語り合う。それは子供の見る夢の話ではなく、もっと現実的なこと。でも地に足の着いた生き方がまだできない未熟さも残っていて、とても中途半端だ。もう子供ではないのだと感じる一方で、大人になりきれていない青さも自覚する。自分もサムも、もう子供の頃とは違う場所にいるのだと感じて紀更はくすくすと笑った。


(かわいいなあ)


 笑いながら栗色の髪の毛を耳にかける紀更を見つめてサムは心底思う。

 とても美人なわけではないが、人懐っこい緑の瞳は豊かに感情を映してよく笑う。肩に付くぐらいの髪の毛をいまだに三つ編みに編み込んでいて幼さが残る印象なのに、時々とても大人っぽい横顔をしてドキっとさせられる。素直で前向きで、弟の俊が生きていた頃はよく面倒を見ていた優しいお姉ちゃんで、これで好きにならないわけがない。


「やってみなくちゃね。そうよね。考えることも大事だけどまずはやってみなきゃね」


 紀更は悩んでいた気持ちが少し晴れたようで、すっきりとした笑顔を浮かべた。

 もう少しすれば、一人の操言士として彼女も日々忙しく働き出すことだろう。今もほとんど会えてはいないが、これから先はもっと会えなくなるかもしれない。サムが紀更に好きだと言えるタイミングは、もしかしたら永遠に巡ってこないかもしれない。


「きさ――」

「紀更様~!」


 サムが腰を上げて紀更を呼びかけたその瞬間、カフェに入ってきた誰かががばっと紀更を背後から抱きしめた。


「っ……紅雷!」

「はい、紅雷ですっ!」


 桜色の二つ結び、やけに高いテンション。それは数日前に会った紀更の言従士だった。


(ということは……)


 サムは浮いた腰をゆっくりと下ろし、恐る恐る周囲を確認する。すると案の定、店の外にだがガタイのいい長身で黒髪の目付きの悪い男がぶすっとした表情で立っていた。


「紅雷、今日はどうしたの」

「紀更様の匂いがしたからまた会いに来ました!」


 紅雷は紀更に会えたことが嬉しいようで、紀更の後頭部に自分のおでこをすりすりとこすりつけた。

 ちくしょう羨ましい俺にもやらせろ――と自分の中の欲求不満な小童が要求するのを頭の中で振り払いながら、サムは紅雷に話しかけた。


「あの、紅雷さん?」


 サムに呼ばれた紅雷はじとーっと感情のない目で――いや心なしか不機嫌そうな目でサムを見つめた。


(なんで俺にはそんな態度なんだよっ)


 紀更への態度とあまりにも違うので、サムは泣きそうな気持ちになった。


「紀更様、あのね、あたしまたポーレンヌに行ってきたんですよ! それでそこでね」

「紅雷」


 サムを無視して紅雷はおしゃべりを再開したが、それはすぐに低い声によって止められた。外にいたはずのユルゲンが店に入ってきて、べりっと紀更から紅雷を引っぺがす。


「用だけ済ませろつっただろうが」

「ユルゲンさん!」


 ユルゲンの登場に紀更の表情は一気に明るくなった。逆にサムの表情は落ち込んで暗くなる。


(紀更、やっぱりこの人に……)


 ほかの男に向けられた紀更のその笑顔を見ていると、サムの中の小さな小さな勇気の種が生気を失ってしぼんでいくわけだが、紀更はそんなこと知りもしない。どことなく嬉しそうにほほ笑んで黒髪の男ユルゲンに問いかけた。


「お仕事はいいんですか」

「今はちょうど隙間時間だ」

「紀更様不足ですから! 紀更さまをくんかくんかしないと、あたし死んじゃいます」

(犬か! 君は犬なのか!)


 紅雷がミズイヌのメヒュラだと知らないサムは、心の中で紅雷に対してツッコミを入れた。どうもこのコンビに出くわすと、せっかくの紀更との時間が邪魔される気がしてならない。


「紀更様、今日と明日はご自宅にいらっしゃるんですよね」

「え……あれっ、私、その話したっけ?」

「王黎が教えてくれた。五日間は操言院、二日間は自宅。そのサイクルで修了試験まで学ぶそうだな」

「王黎師匠が?」

「だから紀更様! 久しぶりに夕飯をご一緒しませんか!? そこであたしのポーレンヌでの活躍を」

「活躍してないだろ」


 前のめりにどうしてもその話をしたいらしい紅雷は、だがユルゲンによって遮られる。まるで漫才のような二人のやり取りに、紀更は口元に手を置いて笑った。


「ふふっ……すっかり仲良しさんね。いいわよ、紅雷。外で食べるってうちには言っておくから」

「やったあ! じゃあこの近くの食堂にうーんと……肆の鐘が鳴ってから! どうですか!?」

「ええ、わかったわ」


 紅雷の提案に紀更は頷いた。


「紅雷、行くぞ」

「紀更様、またあとでお会いしましょう!」


 ユルゲンが店を出るように紅雷をうながす。ぶんぶんと手を振って別れを告げる紅雷に、紀更は苦笑しながら手を振り返した。


「悪かったな、邪魔して」

「えっ、あ」


 その時、ユルゲンは去り際にぽんと軽くサムの肩をたたき、サムだけに聞こえるように小声を落としていった。とっさのことだったのでサムはたいした返事もできず、店を出ていくユルゲンの大きな背中を見送るしかできない。


「そうだ、サム」


 二人を見送った紀更は何かを思い出したようで、サムの腕を指先でちょんちょんとつついた。


「地区図書館に行こうかなって言ってたでしょ。私も行っていい?」

「え、あ、うん。もちろん」


 サムはユルゲンの言動の意味が気になったが、紀更が願ってもいない提案をしてきたので二つ返事で頷いた。

 それから二人は店を出るとマルーデッカ地区に戻った。紀更の自宅に寄って、紀更は母に夕飯不要を伝える。そしてマルーデッカ地区北西にある光学院近くの図書館で、肆の鐘が鳴るまで一緒に過ごすのだった。



     ◆◇◆◇◆



「何してるの?」

「っ……!」


 背後から突然声をかけられて、雛菊はひどく驚きびくりと身体を震わせた。普通に座っていただけなのだが、震えた膝が机を蹴り上げてしまい大きな音が室内に響く。ほかの操言士たちが何事かと雛菊に視線をやった。


「王黎! やめてよね、そういう不意打ちで登場するの」

「普通に近付いて普通に声をかけただけなんだけどなあ」


 王黎は雛菊の手元の書類に視線をやり、ふむふむと頷く。雛菊は操言士団本部がある敷地内の国内部北会館の事務室で、一枚の申請書を作っていた。


「王都中央図書館への入館申請書……紀更か」

「なによ。本人が入りたいって言うからダメもとで申請してみるのよ。文句ある?」

「いいや? すっかり紀更のことを気に入ってくれてたみたいで嬉しいよ」

「馬鹿にして」


 にこにこと王黎は笑うがどうもその浮ついた笑顔に馬鹿にされている気がして、雛菊は眼鏡の奥で険しい表情になった。


「紀更が自分から言い出したんだ?」

「そうよ」

「キミがそこで働いてるって話をしたんだ?」

「だったらなに?」

「いやあ……うんうん。やっぱりキミが適任だったね」

「ねえ、ほんとに馬鹿にしてる?」


 雛菊は書類に記入する手を止めて、王黎の方へ身体を向けた。立っている王黎を睨み上げて彼の返答を待つ。


「馬鹿にはしてないよ。ほほ笑ましく思ってるだけ」

「それが馬鹿にしてるってことなんじゃないの」

「素直だからするするとよく吸収するでしょ、あの()。でも自分が経験していないことは憶えづらい面があるね。定着に時間がかかることもあるけど、記憶力は悪くない。特に関連付けて理解したことならほとんど忘れない。教えていて楽しいでしょ」


 そのとおりだと、雛菊は沈黙の裏側で思った。

 王黎の言うとおり、紀更は非常に素直な性格で見聞きするものをありのまま受け止めて自分のものにしていく。ただ、まったく見たことも経験したこともないものは一度ですべて憶えられるわけではない。その代わり、ほかの知識や経験と結び付くと定着はするようで、思い出すのに時間はかかるが確実に知見を増やしている。


「アンヘルさんも、思いのほか紀更に影響されてるみたいだよね」

「あんた、いつどこからどうやって見て、そういうことを知るわけ?」

「う~ん……まあ、人から話を聞いたり?」


 王黎は曖昧に笑ってごまかした。

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