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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第06話 頭デッカチ操言士と新たな学び
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7.訓練(下)

「そうです、雛菊さん。王都中央図書館に私は入れないでしょうか」

「入りたいの?」

「はい。地区図書館にすらめったに行かないんですけど、雛菊さんのお話を聞いてから気になっていて」


 雛菊の本来の職場である王都中央図書館。それは王城がある第二城壁の中にあり、限られた者しか入れないという。


「無理ね。申請してあげてもいいけど、見習い操言士の身分じゃ普通は入れないわ」

「そうですか……残念です」

「何か読みたい書物でも決まっているの?」

「いえ、そういうわけではないのですが……初代操言士について知りたくて」

「初代操言士?」


 紀更の口から意外なワードが出てきたので、雛菊は訝しんだ。


「ある人に言われたんです。初代操言士がいたのはオリジーアなのに、オリジーアに住んでいる私は初代操言士について何も知らないのかって」


 それは始海の塔でクォンに言われたことだった。

 クォンは初代操言士の娘ザンドラが建国したフォスニアの操言士で、ザンドラのことは長い時を経てもフォスニア国民に伝わっているようだった。

 一方、初代操言士がいたオリジーアの国民である紀更は、初代操言士についてほとんど知らない。初代王と同じく光の神様カオディリヒスから力を授かった一人であるということぐらいだ。


「それに偽史と真史の話も聞いて、この国が成立した当初何があったのか、何が事実なのか気になって」

「知りたいのね」

「はい」


 初代操言士はどんな人だったのか。どんなことをしたのか。初代オリジーア王と面識はあったのか。光の神様カオディリヒスとどんな言葉を交わして力を授かったのか。どんな風に生きたのか。それを知ることは、操言士として生きていく自分のこの先の道に何か意味をもたらしてくれる気がしている。


「残念だけど、たとえ王都中央図書館に入れたとしてもその答えはないと思うわ」

「え、どういうことですか!?」

「建国当初ぐらいの古い資料は、王都ではなくカルディッシュ城にあるのよ」


 雛菊は残念そうに肩をすくめてみせた。


「まあ、ちょっといろいろあってね。でも勉強になるのは確かだと思うから、私が入館申請を出してあげるわ。許可が下りるかどうかはわからないけど」

「あ、ありがとうございますっ!」

――ガッシャン。


 紀更が歓喜して雛菊に頭を下げたその瞬間、カップが石の地面に落ちて粉々に砕ける音が背後から聞こえてきた。紀更はびくりと驚き、振り返ってカップだったものの残骸の破片を見やる。


「いま、君の操言の力の効力が切れた。効力が切れる瞬間、身体のエネルギーが一か所に収束して引っこ抜かれるような感覚はしたか?」

「す……すみません、わかりませんでした」


 アンヘルが紀更に施していた実践教育は、操言の力の効力が切れる瞬間を把握することだった。どこに操言の力がはたらいていて、いつその力のはたらきがなくなるのかを把握する感覚を身に付けること。特に、自分で施した操言の力が失われる瞬間を身体で感じ取れるようになることが操言士には求められる。

 だがアンヘルの言うような感覚が、紀更にはわからなかった。この訓練はあえて対象物から意識をそらし、操言の力の効力が切れるその瞬間に意識をそちらへ戻すことが重要なのだが、効力が切れる瞬間がどのタイミングだったのか振り返ってみてもわからない。カップを意識し続けていればわかったのかもしれないが、それでは意味がない。紀更は己の不甲斐なさにうなだれた。


「操言の力は操言士のエネルギーを糧にして内側から外へと出ていくが、操言士から完全に切り離されて出ていく場合と、かすかに操言士とつながったまま出ていく場合がある。前者は主に対怪魔戦での操言の力の使い方だ。そして後者は主に生活場面での力の使い方になる。対怪魔戦での操言の力は、操言士を離れて怪魔に届き、怪魔を斃せればそれでいい。一方、生活場面では操言の力の効力が切れる瞬間に気付くことが重要だ。そのためには操言士とつながっている細いゆらめき――操言の力の〝波動〟を感じ取れなければならない」


 アンヘルは仏頂面で語り、手近なカップの破片をふたつ拾った。


【土より生まれし大小ふたつの破片よ、自重を忘れて宙に浮け】


 アンヘルが言葉を紡ぎ操言の力を使う。アンヘルの手がかすかに光り、その手の中にあった破片はアンヘルの手を離れてふよふよと宙に浮いた。


「僕の操言の力がどこにはたらいているか、君は波動を感じられるだろう?」

「はい。アンヘルさんの右手からカップに細くつながっていているように見えます」


 正確には物理的に見えているわけではない。ただ、アンヘルの持つ操言の力のゆらめき――波動が「そこにある」と、頭の中の視覚を司る部分が断言している。目には見えていないのに視覚神経が反応しているのだ。


(王黎師匠の波動もわかったのに)


 水の村レイトを出てドレイク大森林にある祈聖石を巡った時のことだ。王黎が操言の力を使い、その波動を紀更は確かに感じた。その強くあたたかな揺らぎは王黎がイメージした想像上の映像すらも伝えてくるようで、いたく感動したものだ。それにポーレンヌで王黎が最美の身体的疲労を回復させた時も、王黎の波動を知覚できた。波動がまったくわからないということはないはずなのだ。


(それなのにどうして……)

「おそらく、自分の波動だけがとらえられないんだな」

「っ……」


 紀更は目を見張る。アンヘルの物言いは紀更を責めるのではなく、確認するような言い方だった。

 マンツーマンの授業を始めてから、アンヘルの紀更への態度は徐々に軟化していた。紀更が食い気味に学ぶ姿勢を見せたことと、紀更が自己申告するとおり対怪魔戦に関する操言の力の使い方が見習い操言士のレベルをすでに超えていたことが、アンヘルの中にあった紀更への「特別な操言士と言われているくせにたいして成績のよくない落ちこぼれ」という先入観を少しやわらげたのだ。

 技術分野を受け持ったアンヘルは、ここ数日で紀更の呑み込みの早さに少しばかり感心し、普通の見習い操言士とは違う学習速度の紀更に教えることに対してやりがいを見出し始めているようだった。

 そんなアンヘルは紀更の性質を的確に分析していく。


「僕以外の、誰かほかの操言士の波動を感知したことはあるか」

「王黎師匠の波動を何回か感じたことがあります」

「では対怪魔戦においてはどうだ?」

「戦闘に夢中なので、王黎師匠の波動も自分の波動も憶えがありません」

「非戦闘時に力を使う瞬間だけは波動を感知できるのか。だがそれも自分以外の操言士限定か」

「操言の力が自分から離れて出でいくという感覚も、自分に少しだけつながったまま出ていくという感覚も、それらしいものはわかりません」


 祈聖石の擬態を解く時。怪魔と戦う時。

 これまで紀更が操言の力を使った場面は幾度となくあった。だがどの場面を思い出しても、そしてこうして訓練をしていても、己の操言の力の波動が感じ取れない。波動について詳しく王黎が指導してくれたことはないので、単なる経験不足なのか。それとも根本的な何か別の問題、原因があるのか。

 不安をありありと瞳に浮かべる紀更を見下ろしてアンヘルは無表情で言った。


「人のものは感じるが自分のものは感じない……たとえば体臭なんかがその例だが、君にとって操言の力の波動はそういうものなのだろう。己の操言の力の波動に順応してしまったとも言う。本来なら順応する前にこうして訓練を行い、感知できるようにするものだが……君は順応が早すぎたんだな。それか、祈聖石巡礼の旅の途中で妙な癖がついたか」

(妙な癖……)


 そうだとするなら取り返しがつかないので、紀更には何も言えない。王黎の指導が間違っていたとは決して思わないが、自分の波動をとらえられないことは操言士として大きな欠点である気がする。

 紀更が俯いたその時、アンヘルは小声で付け足した。


「それか君のその力の性質……大きさのせいだろうな」

(性質……大きさ?)


 かすかに聞き取れた単語が気になり、紀更は顔を上げる。するとアンヘルは話題を変えた。


「君は生活器を作るような国内部や民間部の操言士よりも、怪魔と戦う守護部の操言士としての方が向いているだろう」

「守護部の?」


 アンヘルは操言の力を使ってカップの破片を手元に集めながらぽそりと言った。アンヘルのその小さな声を紀更はしっかり拾う。


「わからないからと言って諦めていいということではない。カップを操言の力で浮かせて意識をそらし、操言の力の効果が切れる瞬間をとらえる訓練は続けるぞ。ほかにも、異なるはたらきを時間差で実行してそれぞれの効果の終了を感じ取る訓練など、課題は山積みだからな。訓練すればそれだけわかるようになる可能性も高くなる。できない現状に甘えるな」

「は、はいっ」

「今日はこれで終了だ。三日後の朝、また教室で」

「ありがとうございました」


 カップの破片を両手に抱えてアンヘルは訓練場を去っていく。その背中に向かって紀更は一礼した。


「紀更、自宅ではとにかく復習なさい。知識は憶える回数よりも思い出す回数の方が重要よ。いいわね」

「はい」


 雛菊もそう付け加えて訓練場を後にする。

 紀更は少しその場に残り、陽が沈んで夕焼けに染まる西の空をしばし見上げていた。

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