6.快晴革命(中)
そんな紀更を雛菊はじっと見つめる。ヒントを与えれば、自ら考えてどんどん視野を広げていく。紀更のその素直さと柔軟さは、教えている雛菊をどこか爽快な気持ちにさせた。
「セカンディアは、オリジーアが持つ神様の力も欲しかった。だからオリジーアに攻め入った。逆にオリジーアは、セカンディアが奪った光の神様の力の奪還を神様から命じられた。だからセカンディアと戦った。四つの戦争の原因は、神様の力の奪い合い。でもオリジーアとしては、『セカンディアから力を奪還せよ』という神様からの命令以外にセカンディアと戦う理由はない。つまりその命令のくだりさえなければ、少なくとも自分から戦争を吹っ掛ける必要はない。戦争をしなくてすむ。それがチャルズ王の狙いよ」
「でもオリジーアがセカンディアを攻める理由がなくなっても、セカンディアにはオリジーアを攻める理由がまだ……あるんですよね」
「そうね。だけど最後の報復戦争が終結してから五十年近く、なぜかセカンディアもぴたりと戦うことをやめた。国境沿いで多少の小競り合いはあるらしいけど、ここ数十年、セカンディアにオリジーアを攻める気配はない。戦争回避を願うオリジーアに同感だ、と言わんばかりにね」
セカンディア王家は、オリジーア王家が持つ力の奪取を諦めたのだろうか。光の神様から奪ったという力だけで満足したということだろうか。もしそうならば、「セカンディアから力を奪い返せ」という神様からの命令さえなくなれば、両国が争う理由はない。戦争は二度と起きないかもしれない。
「快晴革命で発表された〝正しい歴史〟は、〝偽史〟と対になるように〝真史〟と呼ばれているわ。いま光学院で子供たちが学ぶ国の成り立ちは真史、つまり快晴革命以後に作られた歴史なの」
「作られた歴史……」
「そして光学院では快晴革命については教えない。なぜなら――」
「――快晴革命について教えることは偽史に触れることでもあり、また戦争の理由になってしまいかねないから」
「そうよ。呑み込みが早いわね」
日照りが続いて乾いた土が与えられた水をどんどん吸収するように、紀更は雛菊の話を吸い込んでいく。頭の中に丸暗記するのではなく、自分の実感として知識を蓄えていくようだった。
「でも真史はチャルズ王が……人の手が作ったものなんですか? 全部嘘なんですか? それに偽史も……偽史こそが真実なんですか? それとも、偽史も人が作ったもの? 初代王が生きていた時代に、光の神様と初代王の間に何が起きたんでしょう。セカンディアも……神様と人間の間には何が起きたんですか。何が正しい……本当のことなんですか」
疑問がそこかしこから湧いてきて、紀更は混乱した。
何が嘘で何が真実なのか。何が事実で何が虚構なのか。誰が作ったのか誰が語ったのか、誰が関わっているのか。正しい歴史とは何なのか。初代オリジーア王――レバ王が生きていた時代に何が起きたのか。
「雛菊さんは、先ほど偽史も嘘だと思ってる……そうおっしゃいましたよね」
「ええ」
「真史が作られたものだからそう思うんですか」
「それは……」
不用意なことを言ったと、雛菊は後悔した。今の自分は紀更に教える側だ。自分個人の見解を述べる立場ではない。修了試験に必要な知識だけを教科書通りに教えればよかった。しかし後悔の念とは裏腹に、雛菊の口は語っていた。
「快晴革命でチャルズ王は真史を作り出した。そのことも理由だけど、そもそも偽史の中身自体が不自然だと思ったからよ。まるでオリジーアとセカンディアが戦うための理由として存在しているような感じがして」
「二国間を戦わせるための根拠として、偽史が作られた?」
「私はそう感じている……けど、あくまでも私個人がそう感じているだけよ」
雛菊は語気を強めた。
「操言院ではこのとおり、快晴革命の中身とそれが起きた理由、そして偽史と真史についても教えるわ。ただし修了試験への推薦の可能性が見えてきた、ようは成熟してきた見習い操言士が対象だけどね。精神が未熟な小さい子に教えても意味がないし、偽史と快晴革命については操言士以外に話してはならないからよ」
「話してはいけないんですか?」
「平和民団、つまり一般市民は光学院で真史だけを学ぶのよ。それが快晴革命で発表された、作られた歴史だということも知らずにね。少し滑稽に思うけど、平和民団として生きるならそれで十分。それにあなたが自分で言ったとおり、偽史に触れることは戦争の原因になりかねない。だから真史しか知らない平和民団に、快晴革命の詳細や偽史を教えることはご法度よ。でも操言士は、偽史も快晴革命もこうして学ぶの。どうしてだと思う?」
「操言士は国を支え、人々を守り、国の成長全体に関わるから……でしょうか」
紀更はポーレンヌ城で、第一王子のサンディが言ったことを思い出していた。
建国当初からオリジーアは、操言士の力で発展してきた。生活を楽に、豊かにするための生活器の製作をはじめ、怪魔から都市部を守る祈聖石の管理、怪魔の殲滅、人々のけがや病の治療。多方面にわたり、人々の生活は操言士によって支えられている。
「そうよ。操言士は国の軸、国の柱。だから偽史も真史も知っておく必要があるの。オリジーアという国の中枢に、操言士はいつもいるのだから」
外の雨の音がまた一段と強くなった。
「操言士は国の中枢に……」
紀更がそう呟くと、雛菊は少し早口気味で付け足した。
「もちろん、濃度はあるわよ? たとえば国の最南端の都市部である傭兵の街メルゲントに住んでいる操言士と、王都にいるコリン団長とでは当然、知っている情報量……特に王都や王族に関して知っていることは全然違うわ。操言士だから、全員が全員、国の内部のことに詳しいかというとそうではないから」
(ああ、なるほど)
これまでの話から、紀更はようやくアンヘルの背景を想像することができた。
操言の力を持たない平和民団の一般市民。彼らが知らない快晴革命や偽史、真史という言葉、そういった知識。この国の内部の情報。それを自分たちは知っている。だから自分たちは特別である。自分は普通の人が知らないことを知っている優位な存在である――そうした自負、もとい驕りや選民意識をアンヘルは強く持っているのだろう。いや、アンヘルだけではない。おそらく操言士団の教育部に所属している操言士のほとんどが、そう思っているに違いない。
操言士の中でも、教育部の操言士は次世代を育てることが仕事である。つまり常に上から目線で「まだ知らない者」たちを見下ろし、手綱を握って上位の立場からもったいぶって知識を与えていくことが使命。すべてにおいて「自分が上」という状況が教育部の操言士の日常なのだ。
(だから横柄で、一方的で、常に相手を見下しているような態度なのね)
――ああいうタイプの人だから教育部にいるんですか。それとも、教育部にいるとああなるんですか」
――いい質問だね、紀更。……答えはその両方だよ。
王黎がそう言ったのが納得いく。
ただでさえ操言士は、生まれつき操言の力を宿していることで明らかに平和民団の人間とは違う。そこへさらに、快晴革命のような「限られた者だけに与えられる知識」を会得することによって、「自分は選ばれた特別な存在だ」と必要以上に思い込んだのだろう。そしてそういうタイプの操言士が教育部に勤めるのかもしれない。あるいは教育部で教鞭を執っているうちに、「知識を与えている自分は特別な存在だ」という認識が凝り固まっていってしまうのかもしれない。
(特別なんてないのに)
一年間散々、揶揄されるように「トクベツ」という言葉を投げつけられてきた紀更は思う。誰かより優位だという意味の「特別」などありはしない。優位に見えるそれは、少し人と「違う」だけだ。髪の毛の色が人によって違うように。その「違い」が珍しかったり、ほかに例がなかったりするから「特別」というラベルを貼られてしまうだけで、同じ人間としてみれば大差などないはずだ。
今は何も知らない子供でも、大人になればやがて知る。何も知らないまま成長した大人でも、自ら学ぼうと思えば知識は得られる。通る道が異なるだけで、特別な人間などいないはずだ。
「アンヘルさんのテスト、快晴革命についての問題は答えられなかったのね?」
雛菊が話題をテストに変える。紀更は弱々しく頷いた。
「はい。全然わからなくて」
「今の説明で少しは理解できたかしら」
「はい!」
紀更は力強く返事をした。それから雛菊の顔色をうかがいながら尋ねる。