6.快晴革命(上)
「オリジーアは過去に四度、隣国セカンディアと戦争をしているわ。その四つの戦争の名前は?」
「古い方から順に、第一次オルフェ戦争、第二次オルフェ戦争……えっとティティノト戦争、報復戦争です」
「その四つの戦争に共通するオリジーア王の名前は?」
「エドワード王です。ライアン王の祖父、先々代ですね」
雛菊の意図が読めてきた紀更の回答は、段々となめらかになった。
「ふたつのオルフェ戦争の原因は?」
「原因……」
約一年前に操言の力を後天的に宿すまで、紀更は光学院に通っていた。読み書きや計算のほか、歴代の王の名前や直近の戦争のことなどは光学院で浅く広く教わった。その時の授業の記憶を手繰り寄せる。
「確か、オリジーアとセカンディアの国境沿いにあるオルフェ城塞にセカンディアが侵攻してきて、それを追い払ったのが第一次。そして次は、オリジーアがセカンディアに攻め入って第二次オルフェ戦争になりました」
「なぜセカンディアはオルフェ城塞に侵攻してきたの? そしてなぜオリジーアはセカンディアに攻め入ったの? それら両国の侵攻の根本的原因は何?」
「えっ……えっと」
雛菊が深堀りして尋ねてきたので、紀更は言葉に詰まった。
これはつまり、国の歴史に関する知識の講義だ。一問一答を皮切りに、雛菊の授業は始まっている。
紀更は脳みそをフル回転させて、光学院で学んだはずの内容を思い出そうとした。だが雛菊の質問の回答になり得るだけの情報は出てこなかった。
「すみません、わかりません」
「謝らなくていいわ。わからないんじゃなくて知らないだけでしょうから。知らないこと自体は悪いことじゃないのよ」
雛菊は眼鏡のレンズを通して紀更を見つめた。
「話を変えるわね。あなた、一年間は操言院で学んだのでしょう? 操言院と光学院の違いを誰かに聞いたことはない?」
「操言院と光学院の違い……いえ、知らないです」
「そう。じゃあ、基礎がなっていないのは単純に学んでいないからなのね」
雛菊は椅子から立ち上がると、黒板に「操言院」と「光学院」という文字を書き、その間に太い線を引いた。まるでそのふたつを分断するかのように太い線だ。
「操言の力を持つ見習い操言士向けの教育機関、操言院。一方、操言の力を持たない一般市民向けの教育機関、光学院。このふたつには決定的な違いがあるの。なんだと思う?」
「学ぶ内容ですか」
「それがどう違うと思う?」
「光学院では操言の力の使い方については当然学ばないですよね」
「そうね。でも、操言の力とはあまり関係のない点が違うの。それはね、快晴革命よ」
「快晴革命?」
それは先ほど、まったく基礎がなっていないとアンヘルが指摘した項目だ。
午前中に取り組んだテストで快晴革命に関連する問いがいくつかあったが、紀更はさっぱりわからず答えなど書けなかった。旅の途中に王黎がその単語を出してくれたこともなかったように思う。
自分がまだ知らない、しかし操言院と光学院の決定的な違いであるという重要なこと。
無知を落ち込むのではなく、いまここでしっかりと吸収して学ぼうと思い、紀更は真剣な眼差しになった。
「光学院で学ぶ歴史は正しいと思う?」
「はい」
紀更は即答した。それから付け足すように続ける。
「だって、間違っていることを教えるわけないですよね」
「誰もがみんな、普通はそう考える。でもね、普通に間違っているのよ。嘘を教えていると言ってもいいわ」
「えっ!?」
「それが嘘だと知っている大人もいるけどね」
「どういう……どういうことですか!?」
紀更は急に不安になった。
「今の光学院では、〝快晴革命で発表された歴史〟を教えているの。一方操言院では、〝快晴革命前後を踏まえた歴史〟を教えている。これが両者の決定的な違いよ」
窓の外の雨音が少し強くなる。紀更はごくりと唾を飲んで雛菊の解説に耳をすませた。
「この世界の成り立ちの話は知っているわね? 光の神様カオディリヒスと闇の神様ヤオディミスが世界を創り、ヒューマとメヒュラだけが言葉を習得した。やがて二神は争い、カオディリヒスが勝利した。負けたヤオディミスは消え去り、カオディリヒスは味方してくれた人間を祝福して〝力〟を授けた。その後カオディリヒスは〝太陽〟になって、ヒューマとメヒュラを見守ってくれていると」
「子供の頃に母から……光学院の先生たちからも、そんな風に聞いたと思います」
オリジーアに伝わるこの世界の始まりを語る物語。それは「歴史」というよりもおとぎ話に近いものだが、この国の始まりであり軸であり、代々語り継がれてきた事実のはずだ。いや、事実だと思って生きてきた。
「カオディリヒスから力を授かった人間の一人がレバ。彼はオリジーアという国を作り、初代オリジーア王になった。でもこの物語は、四十二年前に起きた快晴革命で発表されたものなの。快晴革命前は少し違う内容だったのよ」
「どう違ったんですか」
紀更が恐る恐る尋ねると、雛菊は語った。
「カオディリヒスとヤオディミスが世界を創ったのは同じ。ヒューマとメヒュラのくだりも、初代オリジーア王のくだりもね。違うのはその先」
「先?」
「オリジーアが建国されたあとにセカンディアという国が作られたんだけど、セカンディア王家は神様から力を授かったオリジーア王を妬んだの。自分も力を欲したセカンディアは、カオディリヒスから無理やり力を奪った。そこで光の神様は、オリジーア王家に再び力を与えて、セカンディアに奪われた力の奪還を命じた」
「もしかして、戦争の原因って」
「そう、セカンディアが奪った神様の力を取り戻すこと。それが戦争の原因で、目的で、勝利条件よ」
初めて聞く話に紀更は絶句した。
そんな話、今まで誰からも聞いたことはない。過去にあった戦争のこともその原因も、その背景にある神様とふたつの王家のいがみ合いも。自分はまったく知らないまま、今日この瞬間までを過ごしてきた。
「それは……それが本当の歴史なんですか。それが戦争の原因で……神様のためにオリジーアとセカンディアは戦ったんですか。どうしてその歴史を、今の光学院では教えていないんですか」
紀更は前のめりになりそうな身体を自制しながら雛菊に尋ねた。雛菊は眼鏡の奥でスッと目を細める。
「私は、それも嘘なんじゃないかと思ってる」
「嘘?」
「セカンディア王家が光の神様カオディリヒスの力を奪い、オリジーア王家がその力の奪還を神様から命じられたという話は、今では〝偽史〟と呼ばれているわ。この偽史を根拠に、オリジーアとセカンディアは四つの戦争を重ねたの。でも奪還はならず、オリジーアは疲弊した。四つの戦争はすべて、先々代のエドワード王の治世で起きている。想像してみて? たった一人の王様の時代に四回も戦争が起きたらどうなるか。騎士も兵士も、多くの健康な男性が戦場に駆り出されて死んでいくわ。残った病人や負傷者、女子供や老人だけで畑は耕しきれず、食料は枯渇する。若くて健康な男性がいないんじゃ働き手となる子供も生まれないしね。悲惨な時代だと思わない?」
紀更は目を閉じて想像してみた。
街から男性たちがいなくなる。彼らはみな戦場へ。残ったか弱い力だけでいつまで生活が保てるか。井戸が壊れたら女性だけで修繕できるだろうか。火事が起きたら消化できるだろうか、新しい家を建てるために必要な木材を女性だけで切り倒して入手できるだろうか。そして何より、子供たち次世代が生まれない。街の中には先が見えず真っ暗な雰囲気が立ち込めるに違いない。
「そんな国の状態をなんとかしようとしたのが先代のチャルズ王よ。彼は王子の身分でありながらも報復戦争で実際に戦場に出て、その悲惨さを経験している。だから快晴革命を行ったの」
「その快晴革命って……何なんですか」
「戦争を主導したエドワード王が亡くなって、チャルズ王が戴冠したその翌年のことよ。『これまで信じられていた歴史は偽りであり、研究の結果、正しい歴史が判明した』……とてもよく晴れた空の下、国民の目の前でチャルズ王はそう発表したの。そこで〝正しい歴史〟とされたのが、あなたが光学院で学んだ国の成り立ちよ」
(偽りの歴史……正しい歴史)
どう違うのだろう。快晴革命前に語られていた歴史――「偽史」と、快晴革命の折に発表された「正しい歴史」。
紀更は必死に頭を動かし、頭の中の考えを自分で確認するように呟いた。
「快晴革命前は、セカンディアが光の神様の力を奪ったとか、それを奪還するようにオリジーアは神様から命じられたとか、そういう歴史が語り継がれていた。でも革命後の歴史には、そんな話は出てこない。どうして歴史を変える必要が?」
「チャルズ王の立場になってごらんなさい。彼は何が目的で快晴革命を行ったと思う?」
「戦争……疲弊する国……戦争をしないため」
紀更は口を衝いて出た自分の言葉にはっとした。