5.闖入者(下)
王黎はどこへ行ってしまったのだろう。この苦しい戦闘に気が付いて、ここへ来てくれないだろうか。しかし、紀更の無音の呼びかけもむなしく、王黎が現れてくれる気配はなかった。
「痛っ!」
「ルーカス様!」
疲労して動きのにぶってきたルーカスの足に、カルーテが噛み付いた。最美は悲壮な声で叫ぶが、ルーカスの援護に入ることはできない。
「このっ!」
ルーカスは噛み付いてきたカルーテの首元に長剣を突き刺した。その瞬間、カルーテの身体は霧散する。しかし、新たなカルーテがまた一匹、森の中から飛び出してきて鋭い牙をルーカスに向けた。
(終わらない……誰か)
誰か、誰か――誰か助けて。紀更は泣きそうになった。
一人ではできない。どうしようもできない。どうにかしたいのに。
(私じゃ……できないの)
一人では何もできない。
でも、もしも誰かが居てくれたら。気付いて、傍に来てくれたら。
一人じゃなければ。隣に、誰かが居てくれたら。
(誰か!)
紀更が強くそう願った次の瞬間――。
「うらぁっ!」
野太い雄叫びが、キヴィネの放電音を上回った。
――ギジイイイインン!
続いて、エリックが攻撃した時よりも激しい金属音が、たっぷりと余韻を残しながらその場にいた全員の耳を刺激する。
――バチバチ! ジジッ!
今までとは違う強い攻撃を食らったキヴィネは怒り、狙いもつけず、強い電火をでたらめに放った。
「キャァァッ!」
頭上から降り注ぐ強い光と音の衝撃に、紀更は悲鳴を上げて目をつむる。
「くっ……誰だ!?」
キヴィネの放電の眩しさに、エリックも反射的に瞼を閉じた。しかし突然の闖入者の正体を見定めようと、なんとか薄目を開いて目を凝らす。
「助太刀する!」
言うやいなや、闖入者は地面を蹴ってキヴィネに突撃した。キヴィネの電撃攻撃を恐れる様子もなく、まるで岩場でも登るように鉄の箱を踏み台にして、闖入者はキヴィネの頭部に到達する。そして両手に持った刀を箱に突き刺した。
――ヴィイイイーーーン!
放電音とは違う、キヴィネの苦しむ声のような音が、空気を振動させる。
(キヴィネに刺さった!?)
視界が戻ったエリックは、その光景を目の当たりにして瞠目した。
キヴィネの身体を構成している鉄の箱に、普通の剣が刺さることはまずない。質感が鉄に似ているので鉄の箱と称されるが、実際にはどういった素材でできているのか、正確なことは不明だ。ただ、それは鉄のようにとても硬くて、普通の武器では容易に太刀打ちできないことは確かなのだ。
それなのに、闖入者の持つ両刀は多少の力を入れただけで見事にキヴィネに刺さった。やわらかな土に刺すように、とはいかなかったが、多少なりともキヴィネに物理的ダメージを与えられたようだ。
「う、ぉおお!」
闖入者の男は両刀に体重をかけ、二本の刀は箱を割いていく。そんな男にキヴィネは反抗しようと、しばし時間をかけて雷を練った。
「離れろ!」
放電の瞬間に、エリックが叫んだ。男はキヴィネを蹴って宙を舞い、地面に転がる。両刀を持ったままでもしっかりと受け身をとって、落下によるダメージを受け流す。その身のこなしは、相当戦い慣れている者のそれだ。
「チッ! 効力が切れかけてる!」
(誰なの……)
立ち上がり、少し腰を落とした体勢で両刀を握り直す男。その横顔を、紀更は遠巻きに見つめた。
毛先がツンとした黒く短い髪、顎先には髭。キヴィネを睨みつける瞳は青く、三白眼で目付きが悪い。手首から前腕を覆う鉄製の籠手に、同じく鉄製の胸当てと、鉄板で装甲を施したブーツ。その身長は、紀更たち五人の中で最も高いエリックよりもさらに高い。装備の分もあるだろうが、厚みのある身体付きは遠目にもわかるほどの巨躯で、戦うために生まれてきたようだった。
「操言の力も万能じゃねぇな」
「操言の力……被加護の武器か!」
黒髪の男と横並びの位置に立ったエリックは、男が両手に握る刀を観察した。
「加護をもらってからだいぶ時間が経ってる。効力はもうほとんどない。悪いが、完全に当てにはしてくれるなよ」
黒髪の男は雑に説明すると、キヴィネに視線を戻してエリックに叫んだ。
「怪魔の注意を引きつけながら、とにかく村から離すぞ!」
男は再び地面を蹴ってキヴィネに向かった。そして、キヴィネの鉄の箱の連結部分を両刀でたたきつける。何度も箇所を変えて、まるでキヴィネを挑発するように。
エリックと違ってしつこい男の攻撃に、さすがに怪魔キヴィネも腹が立ったのか、男をめがけて放電する。しかし男は素早い動きでそれらを避け、少しずつ村と反対方向へ後退った。
「無理だ! お前の体力が持たん!」
キヴィネは進行方向を男の方へ変えたが、退治しないことにはどうしようもない。キヴィネを村から遠ざけられたとしても、カルーテがまだいるのだ。
エリックは叫んだが、それ以上の大声で男は言った。
「操言士がいねぇなら何やっても無駄だ! いいから村から引き離すんだ!」
「操言士……」
エリックは長剣を握る手を下ろした。
操言士はいる。見習いだが、いまここに。
エリックは後衛にいる紀更を振り返った。
「エリックさん?」
エリックに見つめられて、紀更は弱々しい声を出す。その肩はわずかに震えている。
(紀更殿に……)
怪魔との戦闘において必要とされる操言士の役割。その役割を、まだ見習いの彼女は果たせるだろうか。
「エリックさん、限界です! カルーテは減らないし、俺は体力が!」
カルーテの群れと戦い続けているルーカスが、つらそうな声を上げた。かろうじて拮抗を保っているが、多勢に無勢だ。少しでも気を抜けば、ルーカスがカルーテの餌食になってしまう。
「っ……」
エリックは迷う。しかし、これ以上は躊躇していられない。この戦況を覆すには、操言の力が必要なのだ。
「紀更殿!」
「はっ、はい」
一番後方、村の入り口に最も近い安全な場所に最美と立っていた紀更は、エリックの大声に驚いて目を丸くした。
「こちらへ来てくれ!」
「えっ!?」
「危険なのは承知だ! でもあなたの力が必要なんだ!」
エリックは紀更へ向かって手を伸ばした。
戸惑う紀更をよそに、最美が首を振る。
「いけませんわ、エリック様! 紀更様は戦闘できる段階ではありません!」
「ほかに方法がない! この場にいる操言士は紀更殿だけなんだ!」
最美は紀更を行かせまいと、紀更の腕をぎゅっと掴む。
エリックの背後では、キヴィネの放電が黒髪の男をめがけて幾度となく放たれる。それでも男は懸命に電気攻撃を避けつつ両刀を振るう。その横ではルーカスがふらふらになりながら、やはりそれでも長剣を振るってカルーテに攻撃を続けていた。
(私にできることがあるの?)
身を挺して紀更をかばう最美。諦めずに怪魔と戦い続けるルーカスと黒髪の男。
彼らをただ見ていた。そう、紀更は見ているだけだった。恐怖を感じて怯え、叫び、身を震わせて、ただ何もせずに。
このまま小さくなっている間に戦いが終わってくれたら、どんなに楽だろう。王都に生まれ育ち、怪魔とも戦闘とも無縁に育ってきた紀更にとって、この状況は異常すぎた。
しかし、ここは王都ではない。紀更は、ただのいち市民ではない。人々の生活を支え守る操言士の見習いだ。なりたくてなった身分ではないが、我関せずではいられない――いや、いてはいけないのだ。
「最美さんはここにいてください」
紀更は覚悟を決めて、自分の腕を掴む最美の手をほどいた。
「紀更様!」
「血が出ています。動かないで」
のんびりはしていられない。ルーカスも黒髪の男も、体力が無限にあるわけではないのだ。紀更は左右前後、カルーテが襲ってこないか気を配りつつ小走りでエリックに近付くとその隣に立った。
「エリックさん、どうすればいいんですか」
震えを押し殺した声音で、紀更は尋ねた。
「操言の力で、あの男の刀が怪魔を貫き、割けるようにしてください」
「操言の力で?」
この一年間、紀更が操言院で学んだことはほとんどが座学だ。定型句の言葉はいくつか無理やりにでも暗記したが、その中に、エリックの要望に応えられる言葉はない。今の紀更が操言の力で確実にできることと言えば、風を吹かせるくらいだ。それに、戦闘経験皆無の紀更にとって、「刀が怪魔を貫き、割けるようにする」というイメージは、これまで一度も描いたことがない。それをいきなり実践しろというのだから、無理難題だ。
(刀が怪魔を貫く……)
紀更は村から少し離れたキヴィネを見つめた。
その瞬間、それまで避けていた男の足がよろけ、キヴィネの放電が男の胸に直撃した。
「ぐああぁっっ!」
「っ……やっ――……いやぁっ!!」
男が攻撃される瞬間を見てしまった紀更は強い悲鳴を上げた。