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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第06話 頭デッカチ操言士と新たな学び
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3.帰郷(下)

――いいなあ、兄さんは。すごいよ、そーげんの力をもっているなんて。


 王都ベラックスディーオの操言院に入るためにラフーアを出立する日の朝。まだ幼かった弟のモーリスは無邪気に笑って言った。

 確かにすごいかもしれない。なりたいと願っても、生まれつき操言の力を持っていなければ決してなることのできない操言士。その見習いとしてこれから操言院で学ぶ自分は選ばれた側の人間だろう。

 けれどモーリスのその笑顔と言葉は棘となり、この胸をやわらかくやわらかく突き刺した。今もその棘は消えていない。ゆっくりと時間をかけて毒を吐き続けているようで、年々この胸は腐敗していく。


――何がいいんだ。


 操言院に入り、一人前の操言士になるべく授業を受ける日々。その合間に故郷の家族から届く手紙で、モーリスがラフーア音楽院に入学したことを知った。自分には決してできない、どんなに強く願っても叶うことのない夢への道を弟は踏み出したのだ。

 わかっている。これはないものねだりだ。黒い瞳の者が青い瞳にはなれないように。ヒューマがメヒュラに、メヒュラがヒューマになれないように。人は生まれ持ったものに逆らうことはできない。だからせめて、己に課せられたこのさだめをまっとうしよう。決して優秀ではないけれど、自分はこの道で頑張ろう。

 そう自分に言い聞かせても捨てきれない音楽への憧れが、思いが、いつもこの手に横笛を握らせた。独学で練習し、こっそりと吹き続けてきたこの横笛は、声にならない哀しみをいつも理解してくれた。


――ローベル、あのね。私、モーリスと付き合っているの。


 操言ローブを羽織った自分に、彼女は少しだけ申し訳なさそうにそう告げた。一人前の操言士になって四年目、故郷である音の街ラフーアの操言支部に異動になってすぐのことだった。

 彼女は同い年の幼馴染だった。明確に表明したことはなかったが、互いに淡い想いを抱いていると、そう思っていた。


――知ってる? 彼ね、音楽の才能にあふれているわ。


 すまなそうな暗い表情をしたのは最初の数秒だった。すぐに彼女は自信あふれる顔になった。そして弟のモーリスがこの街で音楽家としてたいそう有望視されていること、その甘いマスクで多くの異性を虜にしていること、けれどもモーリスと両思いであるのはほかの誰でもなく自分であること。それらの素晴らしさをうっとりとした表情で語った。

 こんな女だっただろうか。

 彼女の話を右耳から左耳へと受け流しながら、ローベルはひどく冷たい気持ちでそう思った。そのくせ、こうなることをどこかで予感していた自分にも気付く。


――死ね……。


 黒い言葉が胸の中にあふれた。


――みんな、死ね。


 何のために、誰のために。この身のさだめを受け入れようと必死の思いで自分に言い聞かせたのだろうか。彼女からこんな風に侮辱されるためだったのだろうか。


――操言士の兄がいるなんて、ぼくは鼻が高いよ。


 ならば代わってくれ。なりたいなどと一度でも願ったことのないこの身分を。この重苦しい操言ローブを代わりに羽織ってくれ。

 誰にも言えない悲痛な叫びがぎしぎしと心を削っていく。一日一日と時間が経つごとに、べちゃりと重たくそしてひどい腐敗臭のする泥のようなもので意識が覆われていく。


――死ね、死ね、死ね。みんな死ね。全員死ね。こんなゆがんだ世界は消えてなくなれ。


 馬鹿の一つ覚えのように繰り返した。口に出せない代わりに何度も何度も胸の中で唱えた。すべての憎悪を濃縮させたようなその言葉を重ねることで均衡を保った。


「すべてが自分と同じように苦しめばいい……我もそう思う」


 その黒い言葉に気付いてくれたのは、長い三つ編みの男だった。




「っ……」


 物理的な感覚はないはずなのに、ラルーカは飛び起きたように感じた。心なしか身体は冷えて、背中には嫌な汗をかいている気がする。


「今のは……」

「さぁて、誰かのぅ」


 今日も今日とて隣にはクォンがいる。小さな彼の身体はふわふわと宙をただよっていた。


「じゃが少なくない葛藤じゃな。操言士になどなりたくない――そう思う者もいるじゃろぅ。その逆で、操言士になりたいと強く願う者もいる」

「でも、操言士になれるかどうかは生まれついた瞬間に決まっている」

「操言の力……不思議な力じゃな」


 生まれつき、持たざる者と持ち得る者。

 力の有無で決定する道。選択も迷いの余地もないさだめ。


「自分ではどうしようもないことなのに、自分の人生のすべてを決めてしまう残酷な力。この世界にはどうしてそんな力があるのでしょうか」


 自身も操言士であったから、その疑問がまったく詮無いことであるとはわかっている。それでも、こんな記憶を見せつけられたあとには考えてしまう。


「さて、神様の御業かそれとも人の業か」

「業……前世の報いであると?」

「ほぉほぉ。言うてはみたが明確な理由などないのじゃろぅ。魂は巡るもの。業のひとつやふたつ、誰しもあるものじゃ。それがどんな形で現れるのかは……ふむ」

「なんですか、クォン」

「ラルーカよ、儂らは今まさにその報いを受けておるのじゃな」


 クォンは何か合点がいったようで満足げに笑った。


「そうかぇ、そうかぇ」


 クォンはそれ以上何かを言うことはなく、目を閉じて沈黙した。



     ◆◇◆◇◆



 夕食だと母に起こされて、久しぶりに両親と食卓を囲む。それからまた泥のように眠る。そして朝になり、ゆっくりと起床した紀更に沙織はお使いを頼んだ。


「こんなに?」

「お母さんたちはお店があるもの。それに、街の人たちと久しぶりにお話ができるでしょ? お願いね」


 沙織はそう言うと笑顔で紀更を送り出した。

 弐の鐘が鳴り終わった街は天気も良く、すでににぎわい出している。


(痛み止め、麻袋三枚、調味料に父さんが修理に出したままのトンカチの回収に、夕食の買い物まで……。これ、街中を回らなきゃいけないじゃない!)


 母から渡された紙片を片手に紀更は不満げに口を尖らした。

 ゆっくり休みなさい、と言ったその口でこうして用事を言いつける。方針をくるくると変えるのは母のよくやることだが、久しぶりにそれを感じると思わず重いため息が出そうになった。


(もしかして、周りを振り回す王黎師匠に心から苛立ったりしないのって、母さんで慣れているからかしら)


 マイペースなところが、母と王黎で少し似ている。そのことに気が付いた紀更はなんだかおかしくなってしまった。


「どちらかというと、お使いよりも人と会うのが目的みたいね」


 あらためて紙片のメモに視線を落とし、歩くルートを頭の中で組み立てる。すると訪れるべき先々は、日頃から関わりのある店であることに気が付く。ただ用事をすませるだけでなく、母の言うとおり久しぶりに王都内を歩き、街の人々と話をしてから帰ってくればなかなか楽しいお使いになりそうだ。久しぶりに帰ってきた娘への母なりの気遣いなのだろう。


「よしっ」


 操言院のことも操言士の修行のことも、少しの間忘れよう。今日は「休暇」だ。一ヶ月前の自分が望んだように、見習い操言士になる前の、普通の街娘として過ごしていた頃のようにのんびりと過ごすのだ。

 紀更は晴れた空の下を歩き出した。たっぷりと睡眠をとったおかげで身体は軽い。


「あらっ、紀更ちゃんじゃない! なんだか久しぶりねえ」

「こんにちは、メアリーさん。今日は晴れてるから絶好のお洗濯日和ですね」

「そぅ~よぉ~! 今日はいい稼ぎになりそうよ」


 洗濯屋「モニス」の店員であるメアリーに声をかけられ、笑顔で返事をする。カエルが鳴くような濁声のメアリーのいつもと変わらない調子に、紀更は王都に戻ってきたことを実感した。


「ピーターさん、こんにちは」

「ん……ああ、つむぎさんとこの」

「紀更です。麻袋を三枚欲しいんですけどありますか」


 園芸資材店の店長ピーターに話しかける。これまでにも名乗ったことはあるが、年老いたピーターは最近の記憶が長く続かないようでふわふわとしか認識ができない。しかし長年取り扱っている商品のことならばシャキシャキと対応してくれるので、沙織からのお使いは無事に果たせた。


「ねえ、紀更じゃない! アンタいつ帰ってきたんよ」

「ライザ姉さん!? そっちこそ、いつ王都に戻ったんですか」

「ついこの間だよ。やっぱり王都の工房が一番稼げるからね」


 四つ年上のライザは、光学院で学んでいた時によく教師に怒られていた。好きなこととそうでないことの差が明確で、興味のない授業はまったく聞かなかったのだ。そして成人してからはガラス工房に押しかけて無理やり雇ってもらっていた。武者修行だと言ってどこかの都市部の工房に移ったはずだったが、いつの間にか王都に戻ってきていたようだ。


(お店、人、建物……変わらない。でも……)


 王都内を歩き、人と話しながら紀更は注意深く観察する。

 今までは知らず見えず気にしていなかったが、人々が安心して過ごせるこの王都も巡った都市部と同じように、操言士たちが祈りを込めた祈聖石で守られているはずなのだ。その祈聖石はどこにあるのだろうかとつい探してしまうのは、王黎と共に各地の祈聖石を巡った経験ゆえだろう。


(わからないなあ)


 しかし擬態が精巧なのかそれとも文字通りの街中に祈聖石はないのか、目視でそれらを見つけることはできなかった。


(ふふっ……今日は休暇だ、って思ったはずなのに)


 休暇だから操言士のことは忘れる。そう思っていたはずなのに結局操言士として息をしている自分がおかしくて、紀更は軽く自嘲した。

 そうして気付けば陽は西に傾き、あとは自宅近くの市場で夕飯の材料を買い込むだけになる。マルーデッカ地区の光学院に戻ってきた紀更は、懐かしげに光学院を見上げた。


「紀更? 紀更じゃないか!」


 そんな紀更の名を、銀髪の青年が興奮気味に呼ぶ。

 紀更は振り返り、背後に立っている人物を目にして目を見開いた。

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