3.帰郷(中)
「傭兵さんこそどうするつもりなんですか。このまま紀更様にくっついていく気ですか」
「それは無理だろ。紀更は操言院に戻るんだ。今までみたいに気軽に俺らが傍にいることはできないはずだ」
「俺らって、あたしを一緒にしないでくださいよ! あたしは紀更様の言従士なんですからね! あたしは気軽に紀更様の傍にいてもいいんです!」
ピーピーと甲高い声を上げる紅雷を尻目にユルゲンは共同営舎を後にする。時間は昼過ぎどころか夕方が近い。もう少ししたら肆の鐘が鳴る頃だろう。
「お前、金はどれくらい持ってる?」
「えっ……なんですか。たかる気ですか」
「たからねぇよ。いいからどれくらいだ」
「かなり少ない……としか」
「夕飯は奢ってやる。その代わり、明日からお前もきっちり働け」
「最初からそのつもりですけど!」
「依頼掲示板のある食堂へ行くぞ。飯を食ったらこなせそうな依頼を探すんだ」
「何それ。あなたと一緒に依頼をこなすってことですか。なんであたしが!」
「しばらくの間二人パーティだ、って言っただろうが。一人より二人の方ができることは多い。難易度の高い依頼もこなしやすくなる。だいたいの場合、ソロよりもパーティの方が有利なんだよ。一人で海に出て怪魔を相手にしてたんならわかるだろ、それくらい」
ユルゲン自身は一人であってもある程度難易度の高い、ようは危険な仕事もできる。実力だけを鑑みれば、傭兵でないどころか男でもない紅雷と組むメリットは正直なところさほどない。
「それはわかりますけど……なんであなたと」
紅雷は小さくなっていく声でぐちぐちと文句を言う。
そんな紅雷をユルゲンは根気強く諭した。
「俺もお前も、ここじゃ知り合いの一人もいない。多少なりとも見知った顔と組んでおいた方が安心だろ。メヒュラとはいえ、一応お前は女なんだから安全性はなるべく確保しておけよ。それに、言従士は操言士を守って支える存在なんだろ」
ふとユルゲンは足を止めた。背後にいる紅雷を振り返りまっすぐに見つめる。
「怪魔から余裕で紀更を守れるぐらいには強くなった方がいいんじゃねぇのか。この先、怪魔退治の仕事も当然選ぶ。戦闘に関して俺にできるアドバイスならなんだってしてやる。どんな経験も糧にして、言従士として成長を図ること。それが紀更を待ってる間にお前がすべきことじゃないのか」
自分と違って、紀更の隣にいる明確な理由を持つ紅雷。羨ましいと感じる彼女が、しかし紀更を守れるほど強いかというとそうではない。紀更の隣にいながら紀更を守れないのでは言従士の意味がない。羨ましい立場にありながらその立場の役割をまっとうできないのでは、羨む側のユルゲンとしては悔しいことこのうえないのだ。
「確かにそうだと思いますけど」
ユルゲンの意図することが紅雷にわからないわけではない。一人より二人の方が様々な依頼をこなせること。互いに顔見知りで、すでに数日間を一緒に過ごしている相手なので最低限の信頼関係はできていること。それに何より、傭兵としてのユルゲンの強さ、仲間としての心強さはよくわかっている。コンビを組むメリットはどう考えても紅雷の方が多いのだ。なんの気掛かりもなければ二つ返事をするべき場面だろう。
(でもあなた、それだけじゃないでしょ)
紅雷は声に出すことなく胸の中でユルゲンをなじった。
ユルゲンは決して明確な言葉にしないが、彼のその心内は紅雷にはお見通しだ。
(紀更様とつながっていたいんでしょ)
簡単な話だ。「紀更の言従士」である紅雷と行動を共にしていれば、間接的に紀更の動向を把握することができる。いつ紀更が操言院を出るのか知ることが容易である。ユルゲンはその利を得たいのだ。
ユルゲンの中に「紀更の言従士を鍛えたい」という謎の親心があることは嘘ではないだろう。だが紅雷を口実にすればまだ紀更とつながっていられる、という下心があるのも見当違いではないはずだ。
(紀更様と一緒にいたいって……はっきりとそう言えばいいのに)
ユルゲンにそう懇願されたところで紅雷個人としてはお断りだが、もしも紀更が彼の気持ちを受け入れるのなら自分は決して否定しない。けれど、明確に主張しないくせにだらだらと紀更と一緒にいようとする煮え切らない態度は腹が立つ。
紅雷はしばし考えた。目の前の男を徹底的に拒絶するか、それとも相手に利用されていることを承知で同じように自分も相手を利用し、自身のレベルアップを図るか。
(何が紀更様のためになる?)
どう行動することが、大好きな紀更のためになるだろうか。どういう自分でいることが、紀更の言従士としてふさわしいだろうか。
迷いや苛立ち。ためらいや拒否感。紅雷はそれらをくしゃりと丸めて道に捨てた。
「わかりました。いいですよ」
紅雷が頷くのを急かすことなくじっと黙って待っていたユルゲンに、紅雷は告げた。
「しばらくあなたと組みます。あなたなんかいなくても、あたしがきっちりばっちり紀更様を守れるように。紀更様の役に立つ言従士になれるように、あたしも修行です」
「じゃ、よろしくな」
ユルゲンは大きな右手を差し出した。紅雷は唇を引き締めてユルゲンと握手する。
(悪いな、紅雷)
メクレ大通りを北へ歩き出しながら、ユルゲンは胸の中で懺悔した。
紅雷は単純で短絡的な思考を持っているように見えて、意外と馬鹿ではない。周囲を見渡して観察して、物事の関係性をよくとらえている。だからきっと彼女には見えているだろう。ユルゲンの中にある一抹の下心が。
(まだ……離れたくないんだ)
素直で愛らしい、緑色の瞳のあの少女から。
けれどそんな自分の気持ちを表出するにはまだためらいの方が大きくて。
(何やってんだろうな、俺は)
望まぬ相手をわざわざ説得までして、一時とはいえ仕事のパートナーにしている自分。その裏に、紀更との関係を断ち切りたくないという下心を抱いている自分。「何かを見つけなければ」という、故郷を出たそもそもの理由を放棄している自分。
(はあ……どうすっかな)
己の心の中にある真意がわかっていながら直視できない。それなのに己の欲望に従うように動いている自分がいる。
ままならない心、自分の感情。
いっそこのため息と共に吐き出されて消えてしまえばいい。そうすれば少しは楽になるかもしれない。女々しくて情けない自分を自覚しないでいられるかもしれない。
ユルゲンは深く息を吐き出した。
◆◇◆◇◆
操言士団本部があるメクレドス地区から西へ進んで中央通りに出る。ミニノート川を渡って中央通りを南下し、夜間連絡棟も過ぎる。しばらくしてからマルーデッカ地区へと入る歩道へ右折し、道なりに進み続けると呉服屋「つむぎ」にたどり着く。通りに面している方の正面口は店の出入口で客が行き交うため、紀更はその正面口ではなく家族が使う裏口のドアノブに手をかけた。約三週間ぶりに実家のドアを開けるのには少しばかり緊張したが、開けてしまえば軽くすんなりと紀更は我が家に足を踏み入れられた。
「あら、紀更!? お帰りなさい!」
人が入ってきた気配に気が付いた母の沙織が、目を大きく開いて嬉しそうな声を上げた。
「ただいま」
「やだ、もう! 帰ってくるなら連絡してちょうだいよ!」
沙織は紀更に駆け寄ると、小言を口にしながらも両手で紀更を抱きしめた。ほんのりと優しい母の匂いがして、紀更の表情はゆるゆるとほぐれる。実家という安全地帯に帰れたことを感じ、身体の力が抜けて疲労がどっと押し寄せてきた。
「元気? けがや病気はしていない?」
「うん、大丈夫よ」
沙織は点検するように紀更の身体のあちこちに視線を移す。
特に変わりのない母のその心配性な性格に、紀更は少し呆れながらも安らかな気持ちになった。
「レイトへの旅行かと思ったら旅に行くなんて聞いてびっくりしたわよ、もうっ。旅は終わったの? 帰ってきたのはいいけど、操言院にはまた行くんでしょう?」
「明後日の朝、操言院に行かなきゃいけないの。また寮に入るわ。でも今日と明日は休暇だから」
「じゃあ、ゆっくり休みなさいね。お店のことは気にしなくていいから」
「うん、そうするね。ありがとう」
沙織は紀更の頭をなでると、二階に行くようにうながした。紀更は裏口のすぐ右横にある階段を上って家族の居住スペースに移動する。自分の部屋に行って寝台に倒れ込むように横になると、紀更の瞼は急激に重たくなって紀更を夢の中へと連れていった。
◆◇◆◇◆