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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第06話 頭デッカチ操言士と新たな学び
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1.帰還(中)

(彼は結局何者だったのだろう)


 コリン・シュトルツ操言士団団長は、操言士団本部にある団長執務室の窓から青い空を見上げた。過ごしやすい気温と日光だ。この天候ならポーレンヌから王都に戻る第一王子一行の進行は順調だろう。予定通り昼頃には王都に帰還するはずだ。


(先生はおそらく、()()()生きている者ではなかった)


 誰もいない執務室にこうして一人でいると、目の前の仕事やこれから先の操言士団のことを考えるよりも、昔のことを思い出す時間が増えた。老いたからだろうと思うが、昨今の情勢がやけに昔のことを思い起こさせる気もする。


――コリン、神様と人の物語は終わっていない。むしろ進行している真っ最中なんだ。いつか必ず、この世界は大きく動き出す。再び誰かが犠牲になる日が来るんだ。

――犠牲とは大げさではないでしょうか。先の件についても、誰かが犠牲になったとは思いません。傷ついた人はいるのでしょうけれど。

――確かに、犠牲という言葉を使うには少し大げさかもしれないね。どういう状況になることを犠牲と呼ぶのかにもよるしね。


 あれからずっと考え続けてきた。

 自分はどうしたいのか、この国はどうあるべきなのか。

 何が願いなのか、何が望みなのか。

 考えて苦しんで、もだえて憎んで、彼以外にも重要な人物に出会って、あらゆる感情にまみれてあらゆる経験を経て、そうしていまいる場所――操言士団団長の座。


(ここが私の欲しかった場所? 本当に?)


 最後の戦争以来、オリジーアは戦争をしていない。再び戦乱が起こる気配も今のところない。それは自分の願った未来が実現していると言える気がする。しかしその実現のために、自分は大きな隠し事をしてきた。


(それがいま、ゆっくりと暴かれる……〝特別な操言士〟の存在によって)


 だからどうにかできないかと、新たな悩みの種を育ててきた。悩んで迷って考え続けて、今も答えを探している。簡潔で簡単な理論にならないかと言葉を探している。


(自分はずっと葛藤したまま……)


 自身の老いを自覚するくらいの年齢にはなったのに、いまだになんの答えても出せていない。それなのに三公団のトップの一人として、あらゆる決断を日々重ねている。皮肉なものだ。自身の内面はどろどろに揺れ乱れて何も定まっていないというのに、この口が紡ぐ言葉は他者の言葉や思いを無に帰してまで物事に白黒をつける。


(渾沌……)


 ままならない自分の心、自分の感情。

 考えて考えて考えて――考えすぎるから逆に見えなくなっているのだろうか。聞こえなくなっているのだろうか。震えるこの手を伸ばしてふれれば答えは手に入るだろうか。


――コリン、君の行く末も可能な限り見守っているよ。


 決してあたたかみのある人だとは思わなかった。どこか足元が浮いていて現実味がないような、そんな人物だった。それでも彼は、コリンに大きな影響を与えてくれた存在の一人だった。



     ◆◇◆◇◆



 オリジーアの首都、王都ベラックスディーオ。その名のとおりオリジーアを治める国王が住まう都で、大陸の中央北寄りに位置している。背後にキアシュ山脈を抱え、そこを水源とする長く広大なノート川の西に作られた都は、横長の楕円を描くような第一城壁に囲われていた。その第一城壁の中には北東から南西にかけて斜めに流れる、ノート川から分かれた支流ミニノート川がある。このミニノート川を主な生活用水として、城壁内には居住区画や商業区画だけでなく農耕地も広がっている。ほかの都市部との交易も当然盛んなので、ベラックスディーオにいれば不足するものは基本的にない。そのため、王都に生まれ育った者が生涯一度も王都から出ることなく死んでいく、ということは珍しいことではなかった。

 ベラックスディーオ全体を囲う第一城壁内の中央北寄りには円を描く第二城壁があり、王族が住まう王城はその中に建てられていた。第二城壁の中は北に向かってなだらかな丘になっているため、少し標高の高い場所に建っている王城からは王都全体が見下ろせる。高みに坐す王族だけが見ることのできる景色だ。


 第一城壁の中、王族でない一般市民たちが住まう部分は大きく七つの地区に分かれており、地区ごとに雰囲気はだいぶ異なる。

 たとえば北東のヴェレンキ地区は王都の中でも裕福な者たちが住むエリアで、俗に言う「苗字持ち」が多く住んでいる。また第二城壁に近いメクレドス地区には操言院と操言士団本部があり、中央通りを挟んで西隣のサバートド地区には王都騎士団本部がある。

 そのほか紀更の実家である呉服屋「つむぎ」があるのは王城からミニノート川を渡った先のマルーデッカ地区で、自営業をしている者が多い。王都の最も南のルンドネゲ地区から第一城壁の正門を通れば、南国道に出てポーレンヌ城へ行ける。

 王都に生まれ育ちながらも王都の第一城壁内すべての地を訪れたことがない、という者は少なくない。それだけ王都ベラックスディーオは大きく広かった。


(本当に王都に帰るのね)


 馬は常歩(なみあし)で王都を目指して進む。

 紀更は前に座る最美の背中から横に顔を出して、段々と大きくなって近付いてくる王都の第一城壁をぼんやりと見つめた。

 操言院での勉強を少し休みたいと王黎に申し出て休暇を得られたのが、約一ヶ月前。せっかくだから旅行しようと半ば強制的に王黎に連れられて王都を出たのは約三週間前のことだ。もうずいぶん昔のことのように感じるが、それだけこの祈聖石巡礼の旅は毎日が濃く、有意義だった。


(エリックさんとルーカスさんが護衛をしてくれて、ユルゲンさんと最美さんもたくさん助けてくれて、最後には自分の言従士の紅雷と会うこともできて……一人じゃできなかった旅だなあ)


 振り返ってみればどれもこれも思い出深い。この旅が今日で終わるだなんてまだ信じられないほどだ。


(さっきのマリカさんの態度、どういうことなんだろう)


 旅の終わりを感傷的に思いつつも、紀更はさきほどの光景を思い出した。

 ユルゲンとエリックの馬は列の殿(しんがり)を歩いている。紀更は背後を振り返ってユルゲンの様子をうかがいたい気持ちになったが、いま振り向いたら何かに負ける気がして振り向けなかった。


(ユルゲンさんはマリカさんと知り合いだったの?)

――ユルゲン、あなたもね。加護が必要ならいつでも手を貸すわよ。


 そう言ってユルゲンにほほ笑んだマリカは、同期である王黎に話しかけるのと同じくらいにとても親しげだった。だが怪魔襲撃騒ぎの翌朝、ポーレンヌ操言支部会館の前で会ったマリカは、ユルゲンと知り合いであるというそぶりは見せなかった。それどころか初めてユルゲンと会ったという態度だった。王黎もそうだと思ってユルゲンを紹介したはずだ。ユルゲンの方もマリカと知り合いだとは一言も言わなかった。


(加護が必要……。ポーレンヌのあの襲撃事件の夜、マリカさんがユルゲンさんに操言の加護を施した? それとも何か別の時に?)


 わからない。マリカとユルゲンがどのような関係なのか。なぜ二人とも初対面かのように、知り合いではないかのように振る舞っていたのか。そしてなぜ別れ際のあのタイミングでマリカはユルゲンに声をかけたのか。あれはまるで、ユルゲンと自分との仲を周りに見せつけるのが狙いだったようにも思う。

 マリカの言うように、ユルゲンは怪魔と戦うために必要な操言の加護をいつかまたマリカに頼むのだろうか。


(それは……何か、いや……)


 どうして二人のことがこんなにも気になるのだろう。胸がざわざわして落ち着かない。無性に不安がかき立てられる。マリカに対する印象がどことなく良いものではないからだろうか。王黎に尋ねれば、何か知っていて教えてくれるだろうか。

 悶々と悩む紀更だったが、そのおかげで王都までの道のりはあっという間だった。

 王都に到着した一行の列は第一城壁の正門を通ると、正門から第二城壁までまっすぐ北へ伸びる中央通りを北上する。ルンドネゲ地区を抜けてマルーデッカ地区を左手に見ながら夜間連絡棟を過ぎ、ミニノート川を渡って第二城壁の正門前、ヴィローラ広場にたどり着いたところで一行は停止した。


「紀更、僕らはここまでだよ」


 さらっと馬から下りて王黎は言う。最美に補助してもらいながら紀更も下馬した。背後でルーカスたちも次々に馬を下りる。

 騎手のいなくなった馬たちは、ヴィローラ広場で待機していた王都の騎士たちが手際よくどこかへ連れていった。


「紀更殿」


 そこへ、一足先に馬車を降りていたサンディが駆け寄ってきた。サンディの紫紺の髪が視界に入るなり、紀更は緊張で背筋が伸びた。


「無事に王都へ帰還できて何よりです」

「あ、はいっ……えっと」


 サンディはさわやかな笑顔を浮かべるが、紀更はなんと返したらよいのかわからず口ごもった。ポーレンヌ城で少しばかり対話したとはいえ、王子を相手に緊張せずにいる方が無理だった。


「貴女の今後のことは操言士団に任せています。昨日もお伝えしましたが、貴女が一人前の操言士になってこの国のために活躍してくれる日を心待ちにしています」


 サンディの「見習い操言士紀更」への期待。それはこれまでになかった、「操言士の役割を果たさなければならない」という心地よいプレッシャーを紀更に与えた。サンディのその期待に応えたくて、紀更はここ一番のしっかりとした声音で返事をする。


「はい。精一杯務めます」


 するとサンディは無言で紀更の右手を取り、腰をかがめてその手の甲に小さな口付けを落とした。

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