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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第05話 グラマラスな操言士と旅の終わり
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8.旅の仕上げ(下)

【陰影の暗幕、暗影の閑寂、我らの姿と声を覆え】


 翌日、弐の鐘が鳴ると一行は宿を出て、ポーレンヌ城下町の北西エリアに向かった。広い城下町の中にある、残りの祈聖石を巡るためだ。

 祈聖石が配置されているあたりまで来ると、王黎は紀更に、暗幕を使うよう指示をする。紀更は自分と王黎、そして紅雷の三人だけを覆う暗幕が空から下りてくるところをイメージして、操言の力を使いながら言葉を紡いだ。


「エリックさーん、ルーカスくーん! ユルゲンくーん」


 王黎はわざとらしく声を出す。しかし見えない暗幕に覆われた王黎の声が三人に届くことはない。少し離れたところにいるエリックたち三人の姿が紀更たちには見えていたが、その三人が紀更たちの姿を視認している様子もない。紀更たちの声も姿も、紀更が操言の力で作り出した暗幕の中に完全に隠れていた。


「うん、暗幕の効果は完璧だ。上達したね、紀更」

「はい……っ」


 王黎に褒められて、紀更は晴れやかに破顔した。

 それから王黎の案内で三人は少し歩く。城下町と外の境目、ほぼ都市部外と言っても差し支えのない場所にある白百合の群生地に着くと、王黎は白百合のひとつを指差した。


「これが擬態してる祈聖石だよ。僕は一切手を貸さないから全部一人でやってごらん」

「はい」


 紀更は頷くと、慎重な手付きで白百合の花にふれた。

 それはほかの花と同じように地面から伸びた茎の先に可憐な花を咲かせており、感触にも不自然さは感じられない。だがその真の姿は花ではなく祈聖石。怪魔から街を守るために操言士が祈りを込めた「石」なのだ。


【聖なる光の石よ、誠を以て真を現せ】


 白百合に擬態した祈聖石よ。私は人々と街を守る操言士。誠心誠意その役割を果たすため、あなたの真の姿を見せてほしい――そんな思いで心を満たす。

 すると白百合は淡く光り、六枚の花弁がゆっくりとがくから放たれた。花弁はふんわりと形を変えて丸く合体し、手のひらに乗るサイズの祈聖石へと姿を変える。がくから下の茎や葉は、まるで最初からそこに存在していなかったかのように透明になって消えた。


(きれいな祈聖石だわ)


 紀更は手の中に収まった祈聖石を観察した。それは美しい乳白色をしており、これなら陽の光を存分に吸収して光の神様カオディリヒスの力を蓄えられる。そして闇を好む怪魔から街を守ってくれるだろう。


【光の神カオディリヒス、安寧願う民の生活営むところ、悪しきは寄れず、これを持続せよ。強き光携えて、これを持続せよ】


 手のひらの上の祈聖石に片方の手をかぶせ、紀更は目を閉じて強くイメージした。

 頭上から降り注ぐ陽の光。たとえ人々が寝静まる時間になっても、この祈聖石はその光を抱く。この都市部に住む人々が安らかに生活できるように。安心して眠りにつけるように。怪魔も、あるいは野犬も、悪しき考えを持つ野盗も、この祈聖石が守る範囲には近寄れない。カオディリヒスの力を吸い込んだこの祈聖石の輝きが届くかぎり、すべての人々は守られる。それが操言士紀更の聖なる願い、そして祈りだ。

 操言の力を使う紀更を王黎は黙って見守っていた。同じように黙している紅雷も、自分の主がいかにして操言士の務めを果たしているのか、その役目の重さを感じ取るように魅入っている。

 紀更の操言の力を受け取るように、祈聖石はゆっくりと明滅した。紀更は一息つくと、祈聖石を擬態させるための言葉を紡いだ。


【聖なる光の石よ、誠が再び示されるその時まで、己が姿を偽れ】


 ローベルや馬龍のような、人々を守るどころか傷つけるような者たちの目を欺け。本当の姿を見せる相手は、人々を誠心誠意守る操言士だけ。真の操言士が再び擬態を解くその瞬間まで、美しい野の白百合となれ。

 祈聖石は淡く光ると球体になり、それから六枚の花弁になり、白百合の花へと姿を変えた。花を支える茎や葉も現れ、祈聖石はほかの白百合と同じ姿になる。


「ふぅ」


 紀更は深呼吸をすると、祈聖石が擬態した白百合を見つめた。それはほかの白百合となんの遜色もなく風にたなびいて、白い花びらがかすかに揺れている。

 祈聖石の守りの範囲を意識して操言の力を使った影響か、心なしか周囲にはやわらかな空気がただよい、優しい光が街を囲う障壁のように展開している気がした。


「上出来だね。たぶん、いま操言院にいるどの見習い操言士よりも操言の力を巧く使えているよ」


 祈聖石が擬態した白百合の花弁を指先でひとなでし、王黎はほほ笑んだ。王黎の薄く茶色い髪の毛先も、やわらかく温かな風に揺れている。


「初めての祈聖石巡礼の旅、頑張ったね、紀更。成長したよ」

「はい……っ」


 王黎に褒められて、紀更は感慨深く頷いた。それは上辺だけの作られた褒め言葉ではない。王黎は真に、弟子の成長を認めてくれていた。

 涙がこみ上げてきそうになって、紀更は自分の胸に手を当てる。

 一ヶ月前、操言院に缶詰めだった頃。操言士として自分に何ができるかなんて考えもしなかった。ただ言葉を暗記するように強制されるだけの日々。そこに自分の能動的な学びの姿勢がなかったことは反省すべきことだが、息の詰まる窮屈な操言院で過ごしていた間はただひたすらに苦しくて、こうして操言士としての役割を果たせる自分になれるなんて思いもしなかった。

 操言院でのつらい一年も、王黎に連れられて乗り越えてきたこの祈聖石巡礼の旅も、これまでに過ごしたすべての時間が報われる。これまでの自分の頑張りが無駄ではなかったこと、しっかり実を結んだこと、着実に前に進んでいることが自分でもわかり、紀更は感極まった。


「王黎師匠、ご指導ありがとうございます」


 旅に出るまでは師弟関係を結んでいるにもかかわらず、ほとんど放置されている状態だった。しかしそれがありがたくもあった。そして休暇が欲しいとあまり期待せずにすがってみたところ、王黎はあっさりと休暇の許可をとってくれた。旅に出てからは紀更の能動的な姿勢を引き出して、丁寧だが時に厳しく操言士の役割を、操言の力の使い方を、どう生きるのか自分で考えることの大切さを教えてくれた。


「王黎師匠が師匠で、私、よかったです」


 マイペースで人を振り回すことに躊躇がない。時折不真面目で困りもするけれど、肝心なときは必ず頼りになる。彼が自分の師匠でよかったと、紀更は心の底から思った。


「んー……まあ、師匠ですから。キミの成長は僕も嬉しいよ」


 王黎は穏やかな笑顔を浮かべた。


「紀更、これが終わりじゃない。まだまだこれからだよ。操言院に戻って修了試験に合格しなくちゃそもそも一人前のスタートラインにも立てないし、修行も訓練も、操言士である以上死ぬまで続くんだ。もちろん僕もね。無駄なことなんて一切ない。これからも自分の身に起きる経験をすべて肥やしにして、研鑽を続けていこう」

「はい……はいっ」


 紀更は何度も頷いた。瑞々しい緑の瞳からはこらえきれなかった嬉し涙が溢れ出てしまう。そんな紀更を慰めるように、紅雷は紀更の背中をやさしくさすった。

 白百合に擬態したその祈聖石が、ポーレンヌで巡る最後の祈聖石だった。

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