8.旅の仕上げ(中)
「こんばんは、パトリック殿。出迎え恐縮です」
ポーレンヌ城に到着し、馬車を降りたオリジーアの第二王子、サンディ・ヴィッツ・オリジーアは、出迎えのために立っていたポーレンヌ城の城主、パトリック・シャフマンに右手を差し出してほほ笑んだ。パトリックはサンディのその手を握り返し、フレンドリーに肩をたたく。
「久しぶりだな、サンディ王子。急な慰問、お気遣いいただき痛み入る」
二人は従者に囲まれながらポーレンヌ城の中に入った。
サンディは現オリジーア国王ライアン・セル・オリジーアの第二子で、歳は二十一歳。パトリックより三十は若いため、王子という立場であってもその身分で威圧することなく、年上のパトリックに対して一定の礼節を保っていた。
「ライアン王もわたしも、昨今の事情を心配しています。それを国民に示すためですよ」
「昨日の今日の慰問で、ポーレンヌの民たちもそのことに気付くだろう」
会話を続けながら、二人は会食の間へと向かう。
王子が慰問に来ると聞いたポーレンヌ城に勤める使用人たちは、その瞬間からひっきりなしに動き回り、王子滞在の準備をしていた。到着時刻が夕刻のためすぐ食事を出せるようにと、料理人たちが一番急いだかもしれない。
そうして万全に準備された会食の間に到着したサンディとパトリックは着席しながらも会話を続けた。
「先日のレイトとラフーアの件、そして昨夜のポーレンヌの騒ぎはやはり関係しているのか」
「操言士団も騎士団も、そしてライアン王も断定はしていません。確固たる証拠がないですからね。ですが、これだけ短期間に同様の事象が発生したのですから、それらが関係している可能性が高いとの見方を持っています」
「先の件を受けて、ポーレンヌでは騎士団と操言士団、共同での対策をとっていた。王都に先駆けて操言士団に部隊編成の考え方を取り込み、試行錯誤ではあるが緊急事態に備えることはできていたと思う」
「はい、ライアン王もそれは承知です。ポーレンヌが都市部防衛に手を抜いていたとは思っておりません。ポーレンヌが事前に対策をとっていたからこそ都市部壊滅という最悪の事態にはならなかった、との認識です」
給仕係が温かい夕食を運んではテーブルに並べていく。その様を動く風景のひとつにしながら、なおも二人の対話は続く。
「オリジーア国内に何が起きているのか解明するのはこれからですが、ひとつ、操言士団が異様に気にかけていることがあります」
「それは〝特別な操言士〟のことか? 現在、特別な操言士はポーレンヌに滞在しているとオドレイ支部長から話は聞いている」
サンディは頷いた。
「特別な操言士の目付け役でもある師匠の操言士から、操言士団に何やら連絡が入ったようです。同様に、その師匠の目付け役である騎士からも騎士団へ報告が」
「中身は? 当然、それらの内容はライアン王に報告されているだろう?」
「ええ。ですが、残念ながらわたしに詳細は知らされていません。ライアン王と各団長、それに一部の華族の方までに情報統制されているようでして」
「なるほど。中身はまだ詳細不明な内容か、あるいはよほど漏らしたくない情報か。だが王子の貴殿には教えてもよかろうに」
「逆に、共有するほどのことではないのかもしれません」
「しかし、その情報の発信元である特別な操言士一行を王都に連れて帰る役目を貴殿は仰せつかったのであろう?」
パトリックが意地悪な笑みを浮かべたので、サンディは苦笑交じりに語気を強めた。
「慰問が本務ですよ」
「引率も間違いではなかろう。それで、明日はどうする」
「朝から、怪魔が出現した地点と火事が起きた場所を慰問させてください。それから、操言支部会館とポーレンヌ騎士団本部にも慰労に参ります」
「すべての行程に、息子のウィリアムを同行させよう。王都から警護の者が付いてきていると思うが、ポーレンヌの騎士と操言士も警護につけさせていただくのでご了承いただきたい。細かいことはその都度言ってくれ」
「お気遣いありがとうございます。では早速、ひとつよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「明日、慰問と慰労が終わったのち、〝特別な操言士〟とお会いしたいのです」
「それは……まあ、王子命令とあれば城へ招集することは容易だが。いいのか、王都に連れ帰る前に王子自らが話を聞き出して」
パトリックは忠告も込めて、一段と低い声で言った。
怪魔による都市部襲撃という異常事態。その異常事態に立ち合っていた、操言士団が気にかける「特別な操言士」の一行。オリジーア王も王都の操言士団も気にかけているというその存在にこの騒ぎの直後に接触することは、サンディの立場を悪くするのではないか。パトリックは言外にそう心配したがサンディは朗らかな笑みを浮かべた。
「怪魔襲撃のことは何も訊きません。ただ、どんな方なのか直接……そうですね、わたしが個人的に知りたいのです」
「その発言、ほかではするなよ? 国の将来を揺るがしかねん」
特別な操言士が女性であることはサンディも既知のはずだ。個人的に彼女のことを知りたいなどと言えば妙な噂が立つことは必至。それを懸念してパトリックは釘を刺した。
「ええ、わかっています。ですから特別な操言士だけでなく、お連れの皆様を同席させてください」
「では特別な操言士一行の招集はこちらでしよう。場所はこの城の応接室で構わんな」
「はい。ありがとうございます、パトリック殿」
二人の夕食が終わったのち、ポーレンヌ城の使者がポーレンヌ操言支部会館を訪れてオドレイに面会を申し出た。
――特別な操言士とその一行は明日、肆の鐘が鳴り次第ポーレンヌ城に登城されたし。サンディ・ヴィッツ・オリジーア王子が面会を御所望である。
城主からのその命令を聞いて、オドレイを支える副支部長的な立場にいる操言士の圭吾はぎょっとした。しかしオドレイは相変わらずこれといった感情を浮かべることもなく、王黎の元へ出向いてその命令を伝えるように圭吾に頼むのだった。
◆◇◆◇◆
「嘘……ですよね」
「嘘じゃないよ」
「どうして王子様が?」
「どうしてかはわからないけど、とにかくそういうわけだから。明日は昼過ぎまで祈聖石巡りをして、約束の時間にはポーレンヌ城に行くからね。紀更、返事は?」
「うぅ……はい」
慰問に訪れている第二王子のサンディが面会したがっているため、明日、肆の鐘が鳴り次第登城されたし――。宿泊客が就寝し始めるくらいの時間に宿へやって来た操言士圭吾からその命令を聞いた王黎は、別室にいた紀更やエリックたちを自分の客室に集め、明日の夕方、ポーレンヌ城へ行く旨を伝えた。紀更は驚き戸惑ったが、最終的にはふてくされるように落ち込んだ。
ゼルヴァイスの地では王族に連なる血筋の城主ジャスパーに挨拶をしたが、ポーレンヌでは城主への挨拶がなくほっとしていたというのに。それなのにまさか、今度こそ本当に王族に挨拶をしなければならないなんて。断れるはずがないことは百も承知だが断りたい。王族に呼び出されることを名誉に思って喜ぶ一般市民もいるのかもしれないが、残念ながら紀更は深い海のような緊張感に襲われて胃が痛い。
そんな紀更の百面相を見て面白いと思ってしまったユルゲンは、助け舟を出してやることにした。
「王黎、一般市民が王子サマと面会だなんて普通はあり得ない話だ」
「まあ、そうだね。王都の幹部操言士なんかだと珍しいことでもないけど」
「紀更は幹部操言士じゃねぇだろ。ゼルヴァイス城の城主に会うのすら緊張してたんだ。紀更が少しでも自信を持って王子と面会できるように、何か手ほどきをしてやるのも師匠の役目なんじゃねぇのか」
「う~ん」
王黎は顎に手指の背を当てて考え込んだ。
「ユルゲンさん……っ」
一方、紀更の気持ちをすべて代弁してくれたユルゲンに、紀更は深く深く感謝して目を輝かせる。
「うーん……そうだなあ……そう、だねえ……うーん」
王黎はやけにわざとらしく、首を左右交互にかしげて考えるそぶりをする。その様を見ていたルーカスは、隣のエリックに小声でささやいた。
「あれ絶対、〝面倒くさい〟って思ってる顔ですよね」
「間違いないな」
二人の騎士は冷ややかな目で王黎を見守るが、紀更は王黎から妙案が出されることを期待して待った。しかし残念なことに、唸り続けていた王黎がぽんと手をたたいて開けたような明るい笑顔で言い放った言葉は紀更の期待を粉々に打ち砕いた。
「付け焼き刃のマナーなんて逆に紀更を不安にさせるだけだから、特に何もしないでおこう。ね!」
「え……王黎師匠、それは冗談ですよね?」
「大丈夫、だいじょーぶ! 王子様と一対一じゃないし、僕ら全員その場にいるわけだし、紀更が一般市民ってことはサンディ王子も承知のはずさ。一緒に食事をするわけでもないしダンスを踊るわけでもないし、いいよ、マナーなんて。ね」
「で、でもっ……何か粗相があってはいけないですよね!?」
「え~。じゃあ、優雅にお茶を飲む練習でもする? 自分のお作法の出来が気になって王子様の話が右耳から左耳に抜けない? その方が粗相というか、失礼じゃない?」
「う……うぅ」
王黎の指摘には紀更も同意せざるを得なかった。
確かに、付け焼き刃でお辞儀やお茶のお作法をたたきこんでも、その作法がきちんとできるかどうかが気になって王子との会話に気を回すことなどできないだろう。
「相手は王子様だけど、それ以前に僕らと同じただの人だよ。焦ったら実家での接客を思い出せばいいんだよ」
「接客ですか」
「布を買い求めにやって来たお客さんと話をするとき、丁寧な態度も大事だけど本当に大事なのはお客さんの要望をくみ取ることでしょ? それと同じだよ。サンディ王子が紀更に求めているのは完璧な淑女のマナーじゃない。キミがどんな人物なのか、キミの人となりを知りたいんだ。そのための面会希望だと思うよ」
「人となり……私なんかの? 王子様がそれを知ってどうするのでしょうか」
「さあ~ねぇ~。でもサンディ王子は民を思う人望のある王子だよ。ちょっと粗相があったからって激昂したり、一方的に失望したりするような人柄じゃない。紀更が素直に心を開いて話ができれば大丈夫だよ」
王黎は紀更の頭をぽんぽんとたたいた。
明日のことを思うと紀更はとても眠れそうになかったが、祈聖石を巡って歩き回った身体は疲れていたようで、客室に戻って寝台に横たわるなりすやすやと眠りについた。
◆◇◆◇◆