5.闖入者(上)
紀更たち四人は村の中を時計回りに観光することにした。
まずは宿を出て南へ歩き、村の南東にある南分水池。それから大通りに出て村役場に向かい、何人かの村人が訪れているのを外から眺める。
「弐の鐘が鳴りましたから、村人はほとんど村の外の農場に行っているはずです。役場に用がある人はそう多くないですね」
今日もルーカスは、率先して紀更に解説をしてくれた。
大通りを少し北に進んで、操言支部会館も外から見る。すでに王黎は去ったあとだったため、鉢合わせすることはなかった。
紀更は見習い操言士なのだから中に入ればいいとルーカスは言った。しかし紀更は首を横に振って固辞した。昨夜まで、操言支部について知らないも同然だったのだ。そんな知識不足の自分が支部に行っても、なんだか場違いな気がしてしまう。それに、操言支部会館を目にした紀更は、ずしりと心身が重くなるのを感じた。無意識のうちに、操言院での息苦しい時間を思い出してしまったようだ。
「変ですね。操言支部には普通、もっと操言士がいるはずなんですが」
窓ガラス越しに支部会館の中の様子が見えたルーカスは、不思議そうな表情を浮かべた。しかしそれ以上気に留めることはなく、一行は操言支部会館を左折して、大通りから一歩西に入った通りを道なりに歩いた。その先には、村人たちの憩いの場である噴水広場があった。
閑散としたその広場をさらに進み、今度は北分水池を見て回る。村の西側に流れるノノニス川から水を引き入れるための北分水池は南のものと同じ円形で、大きく立派だった。池の中央から水が湧き出て、池から溢れる分の水が、四方に作られた水路へと流れている。
「分水池は、村の人たちが作ったんですよね」
紀更はルーカスに尋ねた。
「都市部に必要なものは、その都市部の人たちの手で作るのが基本ですね。でも、作る技術が都市部になければ、ほかの都市部でそういう仕事を行っている人に頼みます。それと、実際の建築に関しては騎士団が手伝うこともありますし、操言士団が関わることもありますよ」
「操言士団も?」
「建築物がより長く、より強く保たれるように、操言の力を注いでもらうんです。たぶんこの分水池の建造にも、操言士が関わっていると思いますよ」
「騎士団、操言士団、平和民団……総出で作るんですね」
「水は大切ですからね」
ルーカスはすらすらと答えてくれた。
昨日もそうだが、ルーカスは紀更にたくさんのことを教えてくれる。王都以外の街や村など都市部のこと、その都市部をつなぐ道のこと、都市部にある機能のこと。
光学院で習った気もするのだが、実物を見ずに「勉強」として知る場合と、実際に見て感じながら「会話」を通して知る場合とでは、ずいぶんと頭に残る度合いが違う。
王都の外に出たこともそうだが、ルーカスの解説もまた、目の前が開けたような新鮮な風を紀更にもたらしてくれた。
――フゥ~……ピィ~……。
その時、水のせせらぎに交じって鳥が鳴いているような高い音が聞こえた。
〝どうして……こんなことに……〟
「えっ?」
続いて人の声、言葉も。しかしそれは、耳にというより脳に直接届いたようだった。
紀更は首を左右に動かしてあたりを見渡す。だがはっきりと聞こえているのは、北分水池から途切れることなく流れていく水の音だけだ。周囲に紀更たち以外の人間はいない。
「紀更殿、どうしました?」
「あ、えっと……鳥の鳴き声と、人の声のようなものが聞こえた気がして」
「鳥と人ですか?」
ルーカスは少し警戒して、紀更と同じように周囲に目を配った。しかしこれといって動物の姿は見えない。もちろん、鳴き声なども聞こえなかった。
「気のせいですかね。それに、鳥が鳴くのは珍しいことでもないですよね」
紀更はそう言ってかぶりを振ったが、喉に小骨が刺さったような拭えない違和感が残った。
その後、村の中の小さな市場を見て回った四人は宿に戻り、食堂で少し遅めの昼食をとった。
「王黎殿は戻ってこないな。紀更殿、何かしたいことはあるか」
エリックは困ったようにため息をついたあと、紀更に尋ねた。
これは紀更の息抜きのための小旅行だ。次にどうしたいか、決定権は紀更にある。
「そうですね……もう一度、北の分水池に行ってもいいですか」
紀更はしばらく考えてから答えた。
「構わないが」
「先ほどの案内では見足りませんでしたかね」
ついさっき見た場所では飽きないだろうか。それともよほど面白かったのだろうか。ルーカスは不思議そうな表情をしたが、宿を出ると北分水池を目指して歩き出した。
(何か……なんだろう……気になる)
紀更の胸の真ん中で、妙な違和感がゆらゆらとざわついていた。
ふと聞こえた鳥の鳴き声。そして、誰かの言葉。
ルーカスもエリックも最美も、紀更以外の誰も何も言わなかったので気にしないようにしよう、と紀更は思ったのだが、時間が経つにつれて違和感は強くなってきていた。
「紀更殿、分水池はこちらですよ」
北分水池を目指して大通りを歩いていたが、紀更がまっすぐに北上を続けたので、ルーカスは戸惑って声をかけた。
「いえ、あの……こっちに行きたいんです」
「村の北口ですか?」
大通りを北上すれば、分水池ではなく北口にたどり着く。
紀更に村を出るつもりはなかったが、なぜかそちらへ行かなければという衝動に突き動かされて、紀更はわき目もふらずに進んだ。
ルーカスとエリックは、紀更の行動に疑問を持ちながらも、ほかにすべきことも行くべきところもないので紀更のあとに続く。最美も黙ったまま、最後尾を歩いた。
(空耳かな……でも)
村の中と外の境目である北口は、東口のように石の壁やアーチはない。「水の村レイト」と書かれた立札が、外から村に入ってくる者に見えるようにぽつんと立っているだけだ。
〝どうして……こんなことに……〟
その声、言葉には無視できない悲壮感があった。苦しくて、つらくて、けれどどうしようもなく憎くて、すべてを壊してしまいたいような。そんな自分を激しく後悔するような、逃れられない罪深さが。
「この北口をまっすぐ進んでノノニス川を渡ってしばらく北上すると、昨日歩いたレイト東街道に出るんです。ただ、その丁字路を境にして、東側の道はレイト東街道ですが、西側は西国道と呼ばれます。水の村レイトの西にある音の街ラフーアへとつながる道です」
ルーカスが説明してくれるが、その内容は紀更の右耳から左耳へ抜けていく。
(なんだろう、この感じ)
ふと聞こえた気がした鳥の鳴き声や誰かの言葉。それが気になったはずなのだが、ここに立っているともっと別のものが気になってくる。何か大きな、よくない気配が近付いているような、とても嫌な感じだ。背中がぞわぞわして体温が下がっていく。緊張して、皮膚の真下に薄い膜が貼られていくような感覚。それが全身に広がる。
「っ……何かいる! これは!」
それは紀更だけでなく、ルーカスの背筋も冷たくさせた。
「怪魔です!」
最初に気が付いて声を荒げたのは、やはりルーカスだった。
村の北に広がる小さめの森の中から、地面が揺れるほどの大きな音が聞こえる。それは体積のある物体がずしりと地面に体重をかけている足音のようで、驚いた鳥たちがそろって森から飛び出した。
「カルーテだけじゃなさそうですね!」
「ああ、ほかにもいる!」
ルーカスとエリックは腰元の長剣を抜き、戦闘態勢に入る。
「ギィイィイイ!」
その瞬間、数匹の怪魔カルーテが森から飛び出してきた。
護衛対象の紀更にカルーテを近付けないようにするために、二人の騎士は怪魔に突進し、注意を引きつける。
一方、最美はいち早く紀更に駆け寄り、戦況を確認すべく右へ左へと視線を走らせた。神経を研ぎ澄ませて、怪魔の殺気をたどる。
「ルーカス! あまり出すぎるな!」
三、四匹のカルーテに立ち向かうルーカスの背中にエリックの怒声が飛んだ。後衛にいる紀更に怪魔を近付けたくないが、かといって紀更から離れるのもよくない。
戦闘に集中するあまり仲間の立ち位置と距離を見失わないように、ルーカスは視野を広く持ちながら長剣を振るった。
「きりがないですね!」
首と胴体を切断されたカルーテは、霧散して姿を消す。しかし一匹消えるごとに森の奥からまた一匹のカルーテが出てくるので、その数はなかなか減らない。それどころか、一定の数を保つように補充されているようだった。
「なんだ? 何か変だ」
違和感を覚えたエリックが難しい表情を浮かべたその時、最美が叫んだ。
「お二方、キヴィネがいます!」
「なにっ!?」
――パチパチ、ジジッジィー!
落雷が細かくはじけるような電撃音が空気を震わせた。空は晴れているので、それが雷などの自然現象でないことは一目瞭然だ。
「あれは……」
カルーテと戦っているルーカスとエリックを心配そうに見守っていた紀更の緑色の瞳が大きく開かれた。