4.水の村レイト(下)
(村の南、やけに操言の力の波動がただよっている)
王黎は宿の前の道を右へ進み、大通りに出た。しばらく南に向かって歩くと、大通りに面した二階建ての木造の建物が右手に見えてくる。
平屋の家屋が基本のレイトにおいて、いくらか頑丈に建設されたその建物は、操言士団の組織であるレイト操言支部の拠点、操言支部会館だ。
(怪魔との戦闘、あるいは祈聖石の保守……いや、それにしてはどこか不自然だ。何かが起きてる)
王黎は支部会館出入口のドアノブに手をかけた。しかし、縦長のドアノブを押しても引いてもドアが開く気配はない。
(もう開けてもいい時間なのに、わざわざ操言の力を使うなんて)
ドアが開かない原因を見抜いた王黎は、ふうと息を吐いた。
【汝、侵入者を防ぐ堅牢なる防人よ、我は来訪者なり。組しその両腕を下げよ】
何人も近付けまいとする屈強な門番が組んだ両腕をほどく姿をイメージしながら、王黎は「言葉」を紡いだ。と同時に操言の力を使う。
操言の力は、想像したことを言葉で表現することで森羅万象に干渉できる力だ。頭の中に描いたイメージと、それを表現する言葉が一致するほどに、力は強く発揮される。そして、操言の力が行使されると、その力の残り香とも言えるような痕跡が周囲に残る。その残り香、あるいは操言の力の存在そのものは、総じて「波動」と呼ばれている。
操言支部会館のドアは、普通の鍵で施錠されているのではなかった。操言の力によって、「開かない」状態にされていたのだ。ドアノブ付近に操言の力の波動がただよっていることから、間違いないだろう。
(村人には気付かれないだろうけど、同じ操言士にはバレバレなんだよねえ)
操言の力に対抗できるのは、同じ操言の力だけだ。そのため、操言の力は万能、無敵と思われがちだが、そうではない。より強い操言の力によって、その効果は簡単に低減、上書き、あるいは消滅させられてしまう。何より、訓練を重ねた操言士ならば操言の力の波動を敏感に感知できるので、同じ操言士相手に操言の力を使って欺くということは、基本的には不可能に近い。
操言の力による効果は時間経過とともに切れるものだが、王黎はそれを待つつもりはなかった。施錠に使われた操言の力を上回るほど強力な操言の力を使い、力づくで開錠してドアを開く。
――キィ。
木製のドアに取り付けられた金具が、窮屈そうな音を立てた。
「おはようございます。操言士団守護部所属の王黎と申します」
支部会館の一階は広く、中央には少人数が向かい合って話せるようなテーブルと椅子、壁側には本棚があり、部屋の奥に左右ふたつのドアがあった。そのうち右側のドアが開いており、その中には人の気配があった。
王黎は部外者でないことを示すために所属と名前を伝えてみたが、明るい出迎えはない。
通常、操言支部会館は夜間を除き施錠などされない。ここは都市部の住民すべてに開かれた場所であり、操言の力を頼りにする者たちが入れ代わり立ち代わり訪れるのが普通だ。
ところが、今は不自然にドアが施錠されており、いつもなら数名の操言士がいるはずだが、その姿もない。
「勝手に入ってくるな」
王黎が中央のテーブル付近で待っていると、右側のドアの奥からこげ茶色の髪の少年が出てきた。ルーカスほど青年とはまだ言いがたく、おそらく紀更と同じ成人したばかりか、もう少しで成人なのだろう。若い少年だったが、しっかりと白い操言ローブを羽織っているので、操言院修了試験には合格済のようだ。
「ブローチを寄越せ」
少年は警戒するような目付きで王黎を睨んだ。
「どうぞ」
王黎は胸元の操言ブローチをローブから外し、少年に向かって投げる。
初対面の相手に良い態度であると褒めることはできないが、ほかの操言士がいない中、施錠された操言支部で一人留守番をしている身としては正しい対応だろう。
「本物だな」
ブローチと王黎の瞳を交互に確認し、少年は呟いた。
操言ブローチの色は、持ち主の瞳と同じ色をしている。その色が異なるとなると、ブローチは偽物か他者の物となり、持ち主が本物の操言士であるかどうか疑わしくなる。そうやって本物の操言士であるかどうかを証明するのが、操言ブローチの役割のひとつだ。
「玄関の施錠はキミが?」
「そうだ。勝手に解除しないでくれ」
「ごめんね。待つのが嫌なんだ」
少年は勝手に開錠した王黎を責めつつ、ブローチを投げて返した。
受け取ったブローチを再びローブに装着し、王黎は苦笑する。
「ほかの操言士たちは出かけてるみたいだね。何かあったのかい?」
王黎が尋ねると、少年は王黎を睨んだ。話してよいのかどうか、迷っているのだろう。
だが、同じ操言士相手に隠す必要はないと判断したのか、ぶっきらぼうに答えた。
「村の南で怪魔が出現したから、陽が昇ると同時に退治に行ってる」
「怪魔……なるほどね」
少年の態度には構わず、王黎はソファのひとつに腰を下ろした。
「キミの名前は? 成人してる? 修了試験に合格したのは最近かな」
「アレックスだ。来年、成人する。二ヶ月前に合格した」
「十六歳か。だけどもう初段操言士……優秀なんだね」
「最年少師範操言士のあんたに言われると、嫌味にしか聞こえない」
「んー……確かに」
王黎は謙遜することもなく、やわらかく苦笑した。
操言院の修了試験に合格すると「初段」という段位が与えられて、見習い操言士の身分を脱する。そしてその後、昇段試験に合格することによって段位は上がっていく。最高段位は九段の上の「師範」で、王黎は三年前、わずか二十七歳にしてその資格を得た。過去の記録を大幅に上回る、史上最年少の師範操言士だ。自らそう名乗ったことはただの一度もないのだが、いったい誰が広めているのやら、「最年少師範操言士」は王黎の二つ名としてすっかり定着していた。
「キミ以外の操言士全員が怪魔胎児に行ったの? 怪魔が出現したとしても、ちょっと大げさじゃないかな」
「今日だけじゃない。ここ最近、怪魔の出現頻度が高いんだ」
「具体的には?」
「以前の二倍ぐらいだな。三日前くらいから毎日だ」
「心当たりは?」
「怪魔は自然に発生するんだぞ? いきなり増えた原因なんて、あるはずがない。あったとしても、わかるもんかよ」
「まあ、そうだね」
王黎の質問に答えつつ、アレックスは本棚から帳簿を取り出した。それはこの村にある生活器一覧で、操言の力の効果が切れそうな生活器を定期的に修繕するためにつけている記録だった。
操言支部会館には、日々住民たちがやって来る。明灯器が壊れただの、腰が痛いから治癒してほしいだの、用件は様々だ。操言士は人々の生活を豊かにし、その安寧を支えることが仕事なので、できないこと以外は基本的になんでも受け付ける。
しかし、今日ここにいる操言士はアレックスだけだ。南へ行ったほかの操言士たちは、いつ戻るかわからない。アレックスは一人で対応しきれないことを想定して、村人たちが入ってこられないように会館の出入口にわざわざ操言の力で施錠したのだ。だが仕事をしないという選択肢はないようで、アレックスは生真面目に、帳簿を睨んで修繕すべき生活器の順番と、その手順を考える。
そんなアレックスを観察しながら王黎は尋ねた。
「南へ行ったのは何人?」
「民間部の操言士も含めて七人。俺以外、全員だ」
「常駐操言士全員、ってことだよね。ほかの支部からの応援や騎士は?」
「いない。支部長は、自分たちで対処できなければ応援を呼ぶと言っていた」
アレックスは不愛想だが淡々と、そして的確に質問に答えてくれる。
「ほかの操言士が出払っているとはいえ、村人を無視するわけにはいかないでしょ。手伝ってあげようか」
「俺の手伝いより、怪魔退治の手伝いをしてくれ。あんた、守護部だろ」
「う~ん……ま、そうだね」
アレックスの言うことは正しい。守護部の操言士に最も求められること、それは怪魔退治なのだ。
「じゃあ、僕も南に行こうかな」
「連れはいいのか」
「誰のこと?」
「弟子と一緒にここへ来てると聞いた。あれだろ、〝特別な操言士〟」
「まあ、いるけど」
アレックスと違って、王黎は自分が質問されると明確に答えない。
そんなに深く知りたいわけでもないので、アレックスはそれ以上何も訊かなかった。
「ドアの施錠の効果、施しておいた方がいいかな」
「そのままでいい」
「そう? じゃあ、またね」
王黎はひらひらと手を振ると、ソファから腰を上げて支部会館を後にした。
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