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ヒオクダルスの二重螺旋  作者: 矢崎未紗
第05話 グラマラスな操言士と旅の終わり
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4.対峙(下)

「ゲルーネ! こっちだ!」


 エリックが恐れることなく、ゲルーネの後脚に長剣を振り下ろす。するとゲルーネは赤い目を細め、攻撃してきたエリックを暗闇の中で捜し、狙いをつけるように睨んだ。


(もう一度っ)


 ゲルーネの注意が自分から離れてエリックの方へ向いた隙に、王黎は再び目を閉じて集中を始めた。今の衝撃で、思い描いていたイメージと言葉はすべて散開してしまった。

 ルーカスは王黎を守ろうと長剣を握り直す。しかし、操言の力による攻撃を発動させるまで王黎の集中を切らせないように護衛することは、自分一人では難しいかもしれない。


(エリックさん!)


 ルーカスは闇の中で目を凝らした。少し離れたところでゲルーネに攻撃するエリックが見える。だが重厚な毛皮を持つ巨大なゲルーネを傷つけることは、容易ではない。紀更がそんなエリックを支援しようと機会をうかがっているが、暗闇の中を自由に動き回るゲルーネの攻撃に当たらないように、ミズイヌ型の紅雷に守られながら自分の身を守るので精一杯のようだった。


(エリックさんと紀更殿が加勢してくれれば!)


 三対二なら、少しは時間が稼げるかもしれない。


「ピァァッ!」


 その時、ドサバトが口から粘液を吐き出してきた。攻撃手段を変えて、ルーカスの動きを止めるつもりのようだ。

 ルーカスは避けようと思ったが、自分が避ければその粘液は王黎をからめ取るだろう。このパーティで王黎を戦力外にするのは敗北と同義だ。


(くそっ)


 己の攻撃手段がなくなるのを承知で、ルーカスは自身の長剣でドサバトの粘液を受け止めた。ねっとりとした粘液が、長剣とルーカスの肩にかかる。この粘液を取り除かないかぎり、ルーカスの剣は使いものにならないだろう。船の上での怪魔スミエルとの戦闘でも思ったが、物理的な盾が欲しいところだ。


「ピアァァ!」


 勝ち誇ったような声を上げたドサバトの鋭い節足の切っ先が、ルーカスをめがけて飛んでくる。ドサバトの攻撃から王黎を守るためには、とにかく身体を張って受け止めるしかない。

 ルーカスが痛みを覚悟したその瞬間――。


「おらっ!」

「ピァピァアア!」


 大声とともに、ルーカスの視界を大きな人影が遮った。そしてその影によって、ドサバトの節足が弾き返される。


「っ……ユルゲンさん!」

「待たせたな! 王黎を頼むぞ!」


 ユルゲンはちらりと王黎とルーカスを一瞥し、ドサバトに突進した。体内で力を練っているのか、ゲルーネがまだ攻撃してこないことを視界の端で確認しつつ、右足で地面を蹴って勢いをつける。ドサバトの節足を切断したいところだったが、ユルゲンの両刀は節足の表面に深く入り込んだところで止まってしまう。


「紀更!」


 ユルゲンは紀更がいる場所を確認しなかった。だがすぐ近くにいると確信して大声で叫んだ。


「ユルゲンさん!?」

「加護をくれ! 早く!」

「はいっ!」


 ユルゲンの参戦に気付いた紀更は、雲の隙間から注がれた月明かりの下に黒髪の姿を見つけて大きく頷いた。さいわい、ゲルーネの攻撃を回避しているうちに、紀更は一番安全な後衛に位置していた。王黎が自分の守りをルーカスに一任しているように、今なら自分も周囲への警戒を紅雷にすべて託して、言葉を発する以外の感覚を閉じることができそうだ。


――ひとつ目は定型句の暗記。ただし、祈聖石と対怪魔戦に関するものだけね。ようは、使う場面が決まっている言葉だ。いくつかあるけど、まずはそれぞれ三つずつ憶えよう。

――三つでいいんですか。

――うん。数よりも質が重要だよ。寝ていてもすらすら言えるほどに、とにかく何度も口に出すんだ。意識しなくても口や声が自然と言葉を紡げるくらいにね。


 王黎の教えを思い出しながら、紀更は肩幅に足を開き、楽な姿勢をとった。


(カカコ……大丈夫、できる……っ)


 そしてなめらかな発音で、言葉を声に変換する。


【清らかなる純白の輝きよ、邪なる悪を滅し屠る神気となりて、ユルゲンさんに聖なる力を授け給え】


 音の街ラフーアで、師匠の王黎は定型句を憶えるようにと紀更に指導した。操言院での暗記ばかりの授業に嫌気の差していた紀更だったが、定型句を憶えることのメリットや使い勝手の良さを王黎に説かれて納得した。

 それからは教えられたとおり、寝ていてもすらすらとその言葉を言えるようにと、毎日毎日言葉を繰り返し呟いてきた。ゼルヴァイス城に向かう西国道を歩きながら。宿で眠りにつく前に。そして船の上でも。何も考えず、意識せず、ただ口からその言葉が自然と出るように。聞こえるもの、見えるもの、ふれるもの、あらゆる五感を超越してただその言葉だけに集中できるまで繰り返し、繰り返し。

 そうして無意識でも言葉を紡げるようになってきたら、今度はその言葉と同時に何度も何度も想像した。思い描いた。脳裏に鮮やかに組み立てた。天から降り注ぐ陽光のごとく真っ白な優しい輝きが、地にはびこる怪魔を照らして焼き尽くし、怪魔の身体が霧散する姿を。怪魔を滅ぼすその光がただ一人の武器に注がれ、そこに付帯するイメージを。

 鍛錬し続けてきた見習い操言士紀更の最大出力の操言の力がいま、ユルゲンの両刀に宿る。


「うおぉおっ!」


 ユルゲンはドサバトに向かって、淡く光り始めた両刀を振り下ろした。両刀は物理的にドサバトの足を切り落とし、なおかつ、しなる鞭のように二本の光線束を放ち、ドサバトの身体を三等分にした。

 普段のユルゲンの刀にそんな力はない。ドサバトの身体を分断したその光線束は、まぎれもなく紀更の操言の加護によるものだ。


「ピ、ァ」


 叫ぶ間もなくドサバトの身体が霧散する。まるで最初からそこにいなかったかのように、ドサバトの姿はあっという間に消え去った。


「紀更様っ!」

「グォホオオオ!」

「紀更殿!」

「きゃっ!」


 その時、紀更がほっとしたその一瞬の隙を狙って、紀更を見つけたゲルーネが拳を振り下ろしてきた。すんでのところで気付いたエリックが、紀更の身体を強く突き飛ばす。


「っ……か、はっ」


 ゲルーネの拳はエリックを軽々と吹っ飛ばした。エリックの身体は地面をこするように後方へと弾き出され、樹木の幹にぶつかってようやく止まる。鋭い痛みとじわじわと麻痺するような感覚が、同時にエリックに襲い掛かった。

 エリックは地面に背中を付けたまま、ゲルーネの拳が直撃した左脇の下を右手で押さえつけた。その表情は全身の痛みを耐えるためにゆがみ、こめかみには一瞬にして脂汗が垂れてくる。


「エリックさん!」


 エリックによって突き飛ばされて地面に倒れた紀更は、両手を使って急いで立ち上がり、エリックに駆け寄った。エリックのすぐ傍に膝を突くと、エリックの腹部に左右の手のひらをかざして言葉を紡ぐ。


【やわく薄い保護膜よ、エリックさんの傷を覆え。痛み伴う損傷よ、ゆるやかに癒え、良好なる肉に回復せよ】


 それも、いつでも言えるようにと何度も繰り返し暗記した言葉のひとつだった。

 対怪魔戦で負傷者が出た場合、操言の力を使ってすぐに傷口をふさぐ。それから痛みをやわらげ、負傷者自身の身体が持つ治癒力の向上をサポートする。それら操言士に求められる役割のひとつ、「回復」に必要とされる定型句だ。


「エリックさん、大丈夫ですか!?」

「ああ……なんとかな」


 エリックの全身は白い光に包まれていた。騎士の制服で覆われていなかったために擦り傷となった頬や手の甲の皮膚が、紀更の操言の力を受けて再生する。全身の打撲の痛みは急には消えないが、徐々に楽になっていった。


「紅雷!」

「はいっ、紀更様!」


 ミズイヌ型の紅雷が、紀更に呼ばれて返事をする。

 紅雷はゲルーネが再度攻撃してこないか警戒していたが、ドサバトを斃したユルゲンがゲルーネの気を引いたため、紀更とエリックに再度迫ってくることはなさそうだった。


「エリックさんの傍にいてあげて」

「はい!」


 倒れて動けないエリックを紅雷に任せ、紀更は戦場に視線を戻す。

 エリックの応急処置をしている間に、ユルゲンは紀更が与えた操言の加護をまとった両刀でゲルーネの身体を覆う硬く黒い毛と皮を裂いて、確実にダメージを蓄積していた。


(でも、まだ斃せない)


 先ほど紀更がユルゲンに与えた加護は、紀更なりに最大限の力を使った。言葉もイメージも、練習通りほぼ完璧に結び付けられたはずだ。

 それでもゲルーネを斃すには力が足りない。最強の怪魔ゲルーネの強さは、二番目に強いとされるキヴィネの何倍もある。


(王黎師匠!)


 頼みは王黎だ。

 王黎の前衛に立つルーカスの長剣はドサバトの粘液が付着しており、武器としてはもう使い物にならない。それでも背中にいる王黎を守ることを意識して、ルーカスはゲルーネから視線を外さなかった。


(王黎師匠の力が――)


 ――必要だ。

 紀更が思ったその時――。

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